わたしが競馬の巫女だったころの話
大学生のころ、近所のおっさんたちに「巫女さま」と呼ばれていたことがある。もちろんほぼ冗談だ。「巫女さま」の仕事は競馬新聞を見て、盛岡競馬場、水沢競馬場、福島競馬場で行われるレースの出走馬の名前を適当に指さすことだった。
近所のおっさんたちは、遠い親戚であったり、同級生の父親や祖父であったりした。みんな昔から顔見知りだ。彼らの趣味はもっぱらパチンコと狩猟、そして競馬だった。農閑期になると趣味タイムは一層加速した。彼らの間で、農家の子でなく、学校にもろくに通えず、なのに受験をして遠く(実際は隣県)の大学に通い、なまっちろい顔、無駄に高い身長でぼーっと立つわたしは「変な子供」だった。おっさんたちは遠慮をしないので、「お前さんはつくづく妙だ」「子供らしくない。無表情で不気味な子だ」と直接言われた。しかしおっさんたちの性根は良く、わたしも挨拶だけはきちんとする習慣があったので、関係は悪くなかった。
ある日の下校途中に、おっさんたちがゴミ燃やしの(※)焚火に当たりながら薄い新聞をのぞき込んでいるのを見た。いつもの光景だが、おっさんたちは真剣な顔をしていた。家で取っている新聞と違って、色がついていた。
「これ、これ。ちょっと来(こ)」
おっさんが手招きするので近づくと、ちょっと変わった色付き新聞が差し出された。
「なあこいづよ。どれでもいいから指さしてみてけろや。おめがいいと思ったやづどれでもいいからよ」
縦割りの票にカタカナの名前が並んでいた。これが競馬の表であることはわたしにもわかった。長い名前が多い中、短い名前は特に目を引いた。ティラミスみたいな名前の馬を指さしたと思う。根拠はなかった。(その後”巫女業”が続いたのちもインドラとかオニギリ(オムスビ?)のような短い名前の馬は片っ端から指さした。わたしは短い名前の馬が好きだった)さらにあと2つ指させというので、気に入った馬の名前を指した。
「これかよぅ。まあいいべ、帰っていいぞほれほれ」
おっさんたちが「しっしっ」のしぐさをするのでわたしは家に帰った。
次におっさんたちに出会うと、普段は仏頂面(※)の彼らが珍しく笑顔でこちらを見た。
「お小遣いやるべな! きっさいで好きなもの好きなだけ買ってきていいぞ」
とすこぶる機嫌がよい。「きっさい」というのは近所の駄菓子屋だ。店名の由来は知らない。正式名称ではない。わたしが適当に指さした馬が勝ったのだという。おっさんたちはニコニコしていた。こんな顔見たことがない。
「またやってけろや。ほれどの馬がいいと思う? きょうは2頭指さしてけろな」
わたしは指差し、またそれがよい結果につながったらしい。おっさんたちは会うたびどんどん機嫌がよくなった。
「神棚に祀らんといかんな」
「座敷童ってこんなやづなんだべな」
「外に出でんもん(出ているもの)座敷は違うべ。競馬の巫女さまにすっぺな」
そうしてわたしはおっさんたちの競馬の巫女になった。勝つ確率は半々ぐらいだったと思う。根拠も競馬の知識も何一つなく、名前の印象だけで選んだ。おっさんたちは「なまじ知識があると迷ってしまう。素人に選ばせた方がまし」という理由でわたしを選び、思ったより良い結果が出たのでおだてて祀り上げることにしたそうだ。
勝てば、勝った額の20分の1を受け取った。現金ではなく、野菜や米、お菓子のことがほとんどだった。今思えばおっさんたちは現金を渡さないように配慮してくれていたのだと思う。米を持って帰ると、実家がコメ農家の母は「うちのお米がいちばんおいしい! こんなものいらん!」と怒った。母の怒りを伝えると、次から米はうるち米からもち米に代わり、母は文句を言わなくなった。
おっさんたちは競馬のこととなると、無邪気な少年のようだった。わたしがひいきの馬を指さし、それが勝つと「巫女さまはすげえな!」とほめてくれた。「俺もこいづが勝つと思ってたんだぁ。やっぱりわかるもんだな!」と沸いた。家では飲ませてもらえない炭酸飲料をくれた。外すと、「だめでねえか! やっぱりガキが適当に選んだだけだと当たらねえな!」とあっけらかんとけなして来た。適当な結果でおっさんたちの機嫌も、わたしのその日の評判も上下するのがおもしろくて、2年ぐらい馬選びをやっていた。
卒業の年に、転居し独り暮らしになるのでもう馬選びはできないとおっさんたちに告げた。
「そうか。巫女って年でもねえしちょうどいがんべな(いいだろうな)」
老けてきたしな、と後ろでほかのおっさんたちがガハハと笑った。
「がんばれよ。社会に出るといろいろあっけっども、そのほどんとはどうでもいいことだからな。どうでもいいことは気に病むなよ。取り越し苦労はすっだけ無駄だからすんなよ」
そう言っておっさんたちはわたしを送り出してくれた。
最後に指さした馬が勝ったと聞いたがその分の「配当」はもらっていない。
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