【歌詞批評】恋の哀歌: 椿屋四重奏『紫陽花』

 椿屋四重奏の「紫陽花」は、傑作である。
 その理由は、紫陽花の比喩が、恋愛の終わりとそれに伴う哀しみ、時間の流れを巧みに織り交ぜているからである。


「笑いながら君は 雨に流れて消えた
ずぶ濡れの紫陽花みたいに 綺麗で悲しい」


 ここでの「雨に流れて消えた」という表現は、悲しみや失った愛を象徴する一方で、一過性の出来事や時間の無常さも示唆する。
 紫陽花は、日本で初夏から雨季にかけて咲く花であり、その美しさとともに、切なさや悲しみの象徴ともされる。

 その一方で、「笑いながら」という表現は、哀しみの中にも一種の慰めや受け入れのあり方を示している。それは、恋愛の終わりがもたらす悲しみという雨が降り続ける中でも、その瞬間瞬間に存在する美しさや価値を見つけることの大切さを教えてくれる。

 「紫陽花」は悲しみと美しさが混ざり合った情感を巧みに表現する、優れた作品である。

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