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【beauty japanを通して叶えたい自分像とは】

『命ある限り 私の使命を全力で‼︎

私とは、一体何者なんだろう。
と疑問だけを持って生きてきた学生時代。
高校生までの記憶はほとんどない。
生き方が薄っぺらかったのか、自分や周囲に興味がなかったのか、何故かはわからないが、きっと将来に希望などなかったのだと思う。

でも、2つだけ鮮明に思い出せる出来事がある。

ひとつ目は、中1の夏に姉が亡くなったこと。
テレビ画面に、ニュース速報で『静岡県の大浜海岸で若い女性と見られる遺体が見つかった。』と一報が流れた。3日前に捜索願いを出していた当時16歳の姉だった。釣り人が発見し通報してくれたとのことだった。
人生で初めての衝撃だった。
姉の人生の最期に立ち会うことは出来なかった。
荼毘にふされ帰宅した姉との対面は、絶望でしかなかった。
それからどう月日を過ごしたのかわからないが中学を卒業し近所の高校へ進学した。
記憶に残るふたつ目の出来事は、この年に起こった。

高1の夏、部活がなかったその日は、家から少し離れた友達の家まで歩いて友達を送りに行った。その帰り道、、、
知らない人の知らない車に乗せられ、高台の公園の奥にある砂利の空き地に停めた車の中で襲われた。
男女の神聖な行いと信じて守ってきたものが一瞬で消えてなくなった。最後は生きて帰ることだけを願っていた。第二の絶望だった。

次の日も学校へ行った。
その次の日も学校へ行った。
誰にも話さなかった。
でも3日目に苦しくなった。
警察に行った。
母親は、、、恥ずかしいと言った。何で生きているんだと。
絶望が絶えなかった。
失うものはもう何もないと確信した。

もしもこの先、私が誰かに愛してもらうことが許される時がきて、愛する人の子どもを産めるその日が来たら、私は我が子へ伝わる愛情を全力で注ごうと決意した瞬間でもあった。

結婚し6人の子供に恵まれた。娘が後天的に腎臓病を発症し治療薬の副作用で情緒が乱れ、みているのも抱きしめるのも辛かった。でも何故か絶望ではなく、守りたい気持ちでいっぱいだった。


『ムーンフェイス』は
治療を頑張った証だった♡


そんな時、体軸体操と出会った。

筋肉と筋肉の交差点を自分の指で
押しながら体性感覚を身につけていく

指導者になり、最初に娘に指導した。
身体と心にゆっくりだが軸を獲得していった娘は自分をコントロールする力が身につき出来ることが増えていった。娘はたくさん笑うようになり私は気持ちが楽になった。
気持ちに余裕ができ、自分のトレーニングにも時間を持てるようになった。スキルアップを重ね、念願のトレーナーとなった。

レッスンに来てくれる子どもたちもまた、発達面に不安と絶望を感じた保護者から依頼されるケースも少なくはない。
体軸体操を行った子どもたちは、速度は違えど皆同じ成長をみせてくれる。何より嬉しいと思う瞬間は、子どもだけでなく親子で笑顔になってくれることだ。

『明日はこれをやってみたい
‼︎
と明日への希望をもてる子どもを増やしたい
‼︎

『できた
‼︎』と喜ぶ子どもの笑顔を
やったー
‼︎と一緒に喜べる大人を増やしたい‼︎

これが私の叶えたい自分像と未来である❣️

『できた‼︎』の瞬間に立ち会えたときのわたし


明日に『ワクワク』を繋げる活動が私の使命であると強く感じています‼︎
女性として生まれ成長し、母となり、授けていただいた母性を最大限に活かした活動をしているという誇りがあります。
社会に貢献できる女性の発掘支援プロジェクトであるbeauty japanでなければ、私の想いはお伝えすることができませんでした‼︎
ここ山梨で、昔の私を知っている人にも私の活動を知って欲しい‼︎
そんな想いから、大切な子どもたちの大切な心と身体を育むため、沢山の人に体軸体操を知ってもらえるように、このbeauty japan fujiyama大会、私の想い全てを込めて全力で挑戦させていただきます‼︎

大会を通し関わってくださる運営の方々、スポンサー様、応援してくださる全ての方に感謝いたします✨
ありがとうございます✨
大会当日まで、そしてその先も、どうぞよろしくお願いいたします🙇‍♀️

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