#68. 書けるとこから

書けるとこから書こう。
あまり見ない文章のテーマだけど、私は知っている。

内面の自己開示をしようとしないと、私はうまく言語化できないと。

言語化していつでも見返すことができる状態にすることで、後で絶対お守りになるということ。

そして見ない文章、タブーとされる話こそ、実は結構多数の誰かの心に必要な文章ということ。

そして前置きがここまで長くなると言うことは、かなり筆も心も書く上で重いということ。

でも心が重くなるような自分の心の重みを認識できたのは、本当に大きかった。だから書いてる。

ふぅ、それでも重い。でもいい。主観目線で未だにパワハラ時代のこと書いてないけど、フラッシュバックさせるような内容を書く必要はない。

幼少期のその経験から派生した色々な事象について書いて、自分の中で認めたいと思う。

負の感情は清算すべき。精算ではなく、清算。
言葉の正確な意味に自信は無いが、

例えば我慢したり、帳消しにしたり、忘れたりするのではなく、

鍵が見つかったら、見つかって以降起きた自分の感情の動きをつぶさに観察して、一つ一つについて丁寧に言語化していくこと。

前者は一時的になかったことになるが、負債として溜まっていって、いつか折れる。

例えばその事象に陥ったときに絶対的に助けてくれる人がいたとしても、それでもなお、その事象から逃れることはできない。

これは私がパワハラ、休職、そこからの復帰を経て、身をもって学んできたことだが、

今回幼少期のトラウマを認識して初めて、トラウマとの対処法を調べた結果、上記の内容が出てきて、正しかったんだな、と思った。

現状20数年前から積み重なってきたトラウマを認識、結構言語化されて、だーーーーいぶ呼吸がしやすくなった。

けど、いつだってまた恐怖に陥りそうで、さっきも実際陥りかけたから、ぼんやり書いたほうがいいよなぁ、この幸せな気持ちをぼーっと享受してるだけじゃ

この幸せを長いものにできないな、と思ったから書くことにした。

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