大切ななにかを失って。

大切な
なにかを失って。

怒り狂い
それを欲するあまり他人をも傷付ける事を繰り返し更に騙す事をも厭わないからこそ

欲したはずのものを台無しにしてもなんとも思わず
また似たようなものを探し出して威嚇の上に潰して仕舞う愚かさと。

悲しみのあまり

その記憶を全身全霊を賭けてでも
自身の全うすべき事と思う者とでは。

「死」に対する概念は
全く異なるものとなる。

片や

なんとしてでもどんなに卑怯な手を使ってでも 
生き延びるための活路を見出し逃れ

正当化までして他者を貶める愚を。

他方は

死を
死として捉えては居らず
自身の概念の中には

存在しない事象として

他者に対してのみ
その事象を適正に使う。

この場合

どれほど階級を押し進めようと
それを自身は他者に対して使う言葉としての役割しか持たない。

喩え
仮に普通の人の場合と同じく思ったとしても

直ぐにその愚挙に気づいて
冷静になるからだ。

本来

渇望したはずの現実は。

もう二度と存在しないのだと

気付くからだ。

だからこそ

力を使い果たしてもまだ尚。

力を出そうとするのだ。

喩えとして

臥所とされる学説が多い
沖田総司の最期は

これに近いものがあったのではないかと思うのだ。

さもなくば、と。

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