【打撃】 その覚悟
喩えば
【打撃】
と云う言葉が在るが
これは本来球技に使われる言葉では無い。
元は武道の言葉であり
全てに対する
打ち込みの
度合い
強さを指す。
【打撃】と云えば
野球が比較的解り易いとは思うが
球を撃つのでは無く
投げる時の威力の事を主に指す。
例えば
正しい高速ストレートを投げた場合に車が高速で走るような音がするのと似ている。
例えば
豪速球を投げた場合
その瞬間の
空気が破裂するような音。
この振動こそ
【打撃】と云う。
これを仮に
野仕合いででもやった場合
それは周囲にまで
大きくかつ深刻な影響を与える。
誰も近くに居なければ
それを避ける事も
そのまま続ける事も可能だ。
若し
若しも仮に
周囲に誰か居た場合
確実に
内臓にまで深刻な影響を喰らい
骨折や圧力に拠って飛ばされて
半死半床の状態は免れないと云われている。
「同等の鍛錬を積んでいない者は」
喩え受け身を取ろうとも
その殆どが
耐えられないとされている。
それらの事実を知らない
考古学の学者は
記述を有り得ないと言い切る手合も多いが
全ての情報を正しく計算した場合の話であるがこれらは事実であり
仮に其処に誰かが居ようものなら
是が非でも
実力を保持つ者が
渾身の力で受け止めなければ
己れ以外の全ては助からない事も全て覚悟の上で
鍛錬を積まなくては為らなくなる覚悟をも決めた上で
突き進まなくては為らなかったのだ。
補足として
仮に実力を伴わない場合は
それ自身が
骨折、大破なり
獲物が微塵になるなり
その衝撃に耐えられない事も
付け加えて於く。
時代劇にも出でくる
奥義なるものの中には
単なる絵空事でも無ければ
創作噺でも無い
紛う殊無き真実も隠れている事もあるのだ、と。
その辺りは
趣味が高じての考古学の方で見知ったのみにて。
例え訊いても
既に知る者すら存命していないのに
それでもとなれば、これしか。
武士とは
死ぬ事と見付けたり、
とはそのようなものやも知れぬ
とは誰ぞの言葉と思しきか。
これを利用しようと企む輩が出るのはいつの時代も同じ事のようだが。
その企みは全て
真者の前にはなんの効力も持たなかった事を思えば
これほど愚かしい企みも
他には有るまい。
もし
もし仮に
両者の力量が高かった場合には
覚悟を決めた者が
互いの能力で膨れ上がった力をも受け止め切る事もままならなかった事もあった事を
付け加えて於く。
その場合
対峙した者はその事に気付かない事も侭有る事すらも。
之 気付かぬ事
甚だ愚かしきと申さク
何故なら受け切れなければ
仕掛けた方諸共巻き込まれると知ったからこそ。
それは生き残る者が独りも居無くなる事を意味すると察するほどであったからこそ。