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2024/07/25 - 21:52 | 「懐かしさ」の種類

動画編集が楽しすぎる。けど、まだまだ改善の余地しかないね。もっとたくさん撮って、写真くらい安定したクオリティ出せるようにしたいなぁ。

なんかやっぱり、手ブレと、色、撮る時の明るさなんかな、その辺が課題感やな。もう3,4本作ったら感覚も掴めるような気がする。次回の白山登山ではやってみたいことも、あれもこれも色々やりたいな。

今日は、あんまり特に何もなかった。でも、面白いコラムをみつけた。大好きな文筆家さんのありあさんが連載しているコラム。

https://irodori-x.com/column/19494/

クリームソーダから始まる、「懐かしさ」の分類。ありあさんの文章は、なんでもないことを物語にしてしまう。

平成生まれのわたしが、なぜ、経験していないはずのカセットテープやレコード、そして昭和を感じさせる喫茶店や子どもの頃それほど飲む機会のなかったクリームソーダを“懐かしい”と感じるのか、

いや、確かに。でもそんなことも考えたことないわ。一瞬にして、文章に周りを巻き込んでしまう。

マーケティングの分野からノスタルジア(ここでは、日本語の“懐かしさ”と同義とする)を研究したBarbara B. Stern(バーバラ B. スターン)は、「“ノスタルジア”は、“個人的ノスタルジア”と“歴史的ノスタルジア”に分けられる」と言います。

読んでいて、きちんと調べられている文章だなと思う。書き手がきちんと理解している文章のほうが読んでいて面白い。僕は毎日を大した疑問もなく過ごしてしまうから、もしかすると損をしているのかもしれないとすら思う。まあ別にいい悪いの話ではないだろうけど。

こうした、なぜ?を言語化する力が弱いなと、自覚がある。し、一貫した文を書くのが苦手な自覚もある。どうしたらいいのかはよくわかんない。

とりあえず、コラムはおもしろい。

ちなみに、コラムを読んで、ぼんやり自分の「懐かしい」を分類してみた。

滋賀県のじいちゃん家の写真と、春が近い田んぼの写真。これがきっと、個人的ノスタルジア。畳に敷かれた布団と、磨りガラス越しに漏れる、居間のあかり。ものすごく辺鄙な田舎のじいちゃん家も幼稚園児の頃から、大好きな場所。この田んぼ道も、じいちゃん家から、お決まりの散歩道にあって、お盆の時期はこの道を通って、水車小屋へ連れて行ってもらったり、公園に行ったりした記憶がある。

夏の路肩で、ショーケースに並ぶラムネと、オロナミンC。我が家では、ラムネは年に一度の夏祭り限定の特別な飲み物だった。ビー玉が好きすぎて、毎回とっておいてたから、きっと家を探せば出てくる。

ものすごくきらきらした、憧れの飲み物だったなぁ。


海に沈む夕日。正直にいうと、海に行った経験が数回しかない。もっといえば、海に沈む夕陽を見たのは、この写真の時を含めて、2回だけ。僕が住んでいるのは、金沢市でも、内陸の方で、むしろ山は近いのだけど、(だからこそ、幼少期に山の麓の公園に連れて行ってもらって遊ぶことは多かった。今思えば、それが今の登山に繋がっているのかも)なんなら、琵琶湖の方が行ったことが多いくらい海には縁がない。

それでも、この写真の時にも、それに、海に沈む夕日にも、ものすごく懐かしみを覚える。

写真フォルダを遡って、自分の「懐かしい」を探すのはなかなか楽しかったし、案外、「懐かしい」なんていい加減なものなんだろうなという結論が出た。


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