【土偶】
縄文時代の農耕は初めは芋栽培でした。芋は腐りやすく保存がきかないので、次から次へ栽培して収穫しなければなりませんでした。それで神頼みとなり、年中行事で少女を生贄に選んで強姦し、殺して切り刻み、畑に埋めると、少女の死体が芋になって、収穫が増えると信じました。それがハイヌウェレ神話になりました。
縄文農耕もやがて雑穀栽培になると収穫がいくらか安定して、保存もできるようになり、生贄の代わりに木の実や貝などの食材を地母神の顔に見立てて土偶を作り、それを壊して、畑に埋めるようになりました。
弥生時代に水田稲作が本格化すると、土偶さえも不要になりました。
尚、東南アジアや南洋諸島では近代までそんな少女生贄行事をやっており、インドでもそんな迷信に基づいた幼女殺害事件が19世紀まで残っていました。
大野晋『日本語の成立』
吉田敦彦『日本神話のなりたち』
竹倉史人『土偶を読む』
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