轟君と八百万さんについて思うこと

轟君と八百万さん

 公式ではないので勝手にくっつけて話すのもどうかとは思いますが。
 

 私は漫画やアニメファンの動向には詳しくないのですが、轟百と言われるカップリングにはまってから、ネットでいろいろ検索しまして。興味深いなと思いました。
 おそらくNLカップルと言われているらしい男女カップル勢の中では轟百が一番多いのかな?と感じています。
 相手が女子の場合はほぼ八百万百一択的な。

 中には蛙吹さんだったり、お茶子さんだったりとくっつけてる場合もあるようですが、極めて少数のように感じます。

 なぜ女子で想像するときは相手が八百万さんなのか。

 結論から言えば、原作で最もかかわりの多い女子だから、だと思います。

〇体育祭
〇期末試験
〇爆豪奪還
〇AB対抗戦

 二人にまつわる大きなイベントはこの3つでしょうか。
 でもこれに、13巻特典のオリジナルアニメを加える必要もあるかと思います。個人的には一番大きな転換点はこのアニメであるのではないかと考えています。
(派生ミニドラマ「縁日がきた」や、ノベライズの中で轟君が「八百万ならどうするか」ってすぐ考えたりしている描写は除外して考えようと思います。)

 救助訓練で、独断専行しようとする轟とそれに反発した爆豪が諍いを起こし、それを八百万が一喝する場面があります。そのときに、八百万は轟に対しても理路整然と叱責しています。「こんな訓練?真剣に取り組まずに、何が訓練ですか!」
 アニメではその言葉に轟ははっとしたような表情を見せます。
 自分を叱りつける人物(同級生で、しかも異性で)は彼のこれまでの人生の中でそうそういなかっただろうと想像できます。流れの中で轟は当然のことをしたまで、という認識だったでしょうが、そこに内在する彼の「非」をつきつけられた格好となりました。
 そんな意識で訓練して何が身につくのか。
 すべてに全力で向き合わななくてどうするのか。
 たかが、とか、こんな、という意識を微塵も持たず、常に全力で取り組むこと。それを旨とし、相手が実力者であろうと自分よりも強者であろうと、面と向かってぴしりと言い放つことのできる女子。
 轟君は賢いし、きちんと分別のある子なので、このときもムッとした様子は全くなく、はっとして納得している表情を浮かべているのですね。
 この時に「八百万百」は強く印象付けられたのではないかと思います。

 で、このあと拉致された爆豪を救出すべく動き出す轟の「ストッパーになる」ために同行するという八百万。(と飯田君)
 さらりと「信頼している」ことを伝えているわけですが、この、揺らがない信頼を預けられてる経験(あるいはそれを明言された経験)もまた、轟君にとってはわりと大きなことなんじゃないかと思うのですよね。

 実は八百万さんが轟君に異性として惹かれている描写は皆無と言ってもよくて、でもヒーローとしてすごく信頼していて頼もしいと思っていることがわかる描写が積み重ねられてる気がするです。

 一方八百万さんに対する轟君。期末試験の時に八百万さんが個性を発動してるところでくるっと後ろを向いたりね。相手が女子なんだ、ということは意識してんだなあとその場面ではちょっと思いましたがね。

 でもそれ以前の体育祭騎馬戦ではその女子を馬に使いましたからね、このお人。
 八百万ちゃんが馬かよ!女子の上に乗るんかお前!とあの場面では思いましたよね。
 ん?とすると、体育祭を経て期末試験に至る過程で、八百万さんを女子だと認識するようにはなったってことですかね。
 期末試験では彼女に負担をかけない策を練ったわけですし。無意識に彼女を守ろうとしてたわけですよね。おお。今そう思った。
 いったい何があって同級生から同級生の女子に変遷したんだろう。それ知りたい。

 とまあ、それは横に置くとして。
 轟君からも、八百万さんをヒーローとして一目置いているし、信頼しているんだ、ということは示されていて。
 そういうちょこちょことしたつながりを見せてくれているからこその、AB対抗戦における「解説者」ですよ。

 それぞれのヒーローとしての資質を語らせるなら、適任は緑谷君だと思うんです。彼はヒーローオタクで事細かにデータが頭に入っている。いつものようにぶつぶつ呟かせるだけで十分八百万の長所をわからせ印象付けることができる。
 でも作者が解説させたのは、轟焦凍だった。敢えてのこのチョイスに意味を求めてしまうのは轟百好きの性ですかね。
 ここでは特筆すべき点がもうひとつあって、あそこで轟焦凍が八百万百について「だけ」、「いきなり」語り始めても、おそらく違和感を覚える読者はいなかったであろう、ということ。
 それだけの関係性の構築ができているキャラクター同士だという証左だと思うんですよ。轟くんはメインストリームに属する主要キャラですが、八百万さんは脇キャラにすぎません。それでもこういう印象になっているのは、轟君がらみのエピソードでちょいちょい八百万さんが顔を出しているからなんだろうな、と。

 そして最新刊(31巻)で轟君の病室に行ってるのが八百万さん芦戸さん切島さん障子さんだったところ。
 奇しくも彼らはミッドナイトの死を目の当たりにした面々でした。
 ミッドナイト先生は、死の間際に八百万さんを信頼し、後を託しました。 自分に目をかけてくれ、信頼し、期待してくれた先生の死。それのみならず、「俺の見込んだ女」だと自分を評価してくれていたマジェスティックも失った。その悲しみも癒えぬまま、包帯でぐるぐる巻きにされた重症の轟君の傍に立つ八百万さんは、しかしこの場で涙を見せぬのです。
 泣きじゃくる芦戸さんを支えながら、泣きはらした目で「大丈夫です」と力強く言う八百万さんの絵を見て、堀越先生の八百万はこうなんだと、改めて思いました。
 彼女は強い。脆くて、弱くて、でも、強い。
 芦戸さんや八百万さんの「大丈夫です」はおそらく轟君の心には、その時点では届いていないでしょう。それでも、後々、耳に残るその言葉が、轟君を支える一つの力になってればいいな、とも思います。
 で。この轟君に声をかけるメンツの中に八百万さんがいて、この状況の中で涙を見せることもなく、「私たちは轟さんを見ていたから大丈夫なんだと伝える役割を与えられている」ところに着目してしまうのも轟百民の性なんですわ。

 こうして少しずつ積み重ねられている関係性が好きです。

 作品の中でどこかに恋愛関係が発生することはまずないと思います。
 男同士女同士は確実にないでしょうし、男女においてもそんなものを入れ込む余地もないし、入れ込む意味もない物語だと思います。
 そういう性愛的なものとは階層の違う友愛ともいうべき仲間の絆の物語だと思うからです。
 なので、キャラ同士の絡みは、読者である自分が勝手に妄想して楽しんでるに過ぎないものです。
 ただ、そういう想像をするに足る材料は、わりと与えられているなあ、と思うがゆえの、頭の悪ぃ雑感陳述でございました。

 もう一つ付け加えるならば、オリジナルの小説なんか書いてると、キャラAとキャラBをくっつける設定で書き始めたのに、展開の中でキャラAがどうしてもキャラCのことを好きになっていってくっつこうとする、みたいなことがあるんですよね。勝手に暴走するというか。キャラクターにも相性があるんだなと思うことが。
 そういう観点でいうと、自分的には、あくまで本当に個人的な見解ですが、轟君と八百万さんは、なんかほっといても一緒の流れになってく感じがするなあって思うです。

 まあ、そんな感じで、ただいま絶賛この二人にはまっております。
 という。益体もないただの長いつぶやきでした。

 書きなぐってちょっとすっきり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?