映画『HelloWorld』を観る。そして考察をめぐり考えたこと。ちなAnotherWorldもifも観ておらず、純粋に映画本編のみに基づいた「感想」メモ。

ナオミが脳死状態になったのはいつか。自分は2037年説一択だな。
もちろん大人ナオミに感情移入して彼のあの壮絶な10年に意味を持たせたいっていう感情論が大前提にある(主観爆発)けど、考察を読んで回って、2027年説の図解を見たときにやっぱりだよねーって思った。

2027年16歳の時に脳死になって、その後20年かけて直美を脳死状態から覚醒させたいのなら一行さんは16歳の、一行さんを庇って落雷を受け脳死になる(この説はそれを前提として考えられているらしい)寸前の直美を連れてくることになるはず。なんで失われている筈の10年を無理くりつくって連れてくる必要がある?ifを知らない自分からすると、ものすごく「変」。

月面世界(現実)ーナオミの世界ー直美の世界(上層⇒下部)
という構造になっているのなら、わざわざ直美の世界まで作る必要がなくない?それに<16歳>で止まったままであるはずの本来の脳に、わざわざ<26>歳の「ナオミ」(それも一行さんによって植え付けられた悲惨な偽の記憶を背負わされたナオミ!)の精神を<36歳>のナオミの身体に持ってくるってそれって何のプレイ。
違和感しかない。

本編では、一行さんを救うために必死になった直美は直美世界の一行さんと別の新たな世界に飛んでそこでともに生きるっていう一つの未来が明確に示されていた。「直美」は本編の主人公としてきちんとハッピーエンドに着地していた。
だから、個人的には、エピローグに添えられたあのなおみは「ナオミ」で、彼もまた報われたんだと思いたい。
私は2037年の一件を経て、「ナオミ」世界において消去される寸前の「ナオミ」がサルベージされたんだと思いたい。のでした。

それと、純粋に疑問なんだけれども、存在(同一データ?)の重複が許されないためにどちらかの<なおみ>が消されなければならない、だから自分を消せと<ナオミ>が言いました(よね?一回観ただけなんで結構あいまい)けど、そんなら「ナオミ」世界での「ナオミ」が消去されて「直美」までその世界から新しい別の世界に行ってしまったら、「ナオミ」世界はどうなんの?「直美」のいた元世界はアルタラによって上書きされてますやん。でも「ナオミ」世界はそうではないらしい。一行さんも「直美」とともに去ってますし、「ナオミ」世界における「ナオミ」と「一行」さんは存在そのものが消失してません?それってアルタラが現実世界を忠実に複写するのだとしたらもんのすごいバグじゃないんすか。
という答えを見つけにまた考察巡りをしようっと。誰か語ってくれてるかな。

ともあれ。

面白い映画でしたよ。アマプラ鑑賞ですけど。まだ1回しか見てなくていろいろ考察読んで回った段階での感想に過ぎないけど、それでもなんか書き留めて置きたい!と思うくらい心に引っ掛かりを残してくれる作品でしたまる。

引用させてください。この考察がとても好き。

ただし、本編の時点での大人ナオミの死は「幸福に死んだ」訳ではないと思うんですよね。外側から見て幸福だったとか不幸だったとか意味づけできるものではないので不毛だけれども。あれだけの犠牲を払ってボロボロになりながら執念で覚醒させたのに、その愛する存在から「拒否」されて(辛うじて感謝は得られたけれども)、蘇らせた「瑠璃」は自分が好きだった「瑠璃」とは別人であることに図らずも気づかされて、自分とは別人の「直美」と自分の瑠璃とは別人の「瑠璃」を生かすために自分を差し出したナオミを、「幸せな死だったよね満足して死んだからいいよね」って言うのはあまりにも冷たいなあと思うのでした。私は。

その点で言えば、最後月面で覚醒した「ナオミ」はたぶん一行さんが蘇らせたかった「ナオミ」とは別人なのですよね。もし2027年に意識を失ったとする説をとるならもっともっと決定的に別人なわけですよ。ああ無情。

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