昨日宇宙電話で繋げてもらいました。

私が、

飛行機に乗れる為に

車に乗れるようになる為に


ワタシの辛かった日のこと

気持ち、行動

ここに

アウトプットします。

私は苦しみ、悲しみを味わいたくて

この地球に

やってきただなんて。

なるほどねー。


いや、そんなに苦しい日々ばかりじゃなかったし、

むしろ

小さい時は

のほほんと心配事もなく。

可愛い可愛い私であった😍

始まりは2人目を出産したあとなのか?


それとも本当はもう少し前からなのか?

出来ないと言えないし、

できるとも思ってた子育て。

普通に嫌なこともあるけど、

理想を追い求めていた。

現実と理想の間にフォーカスしてるから

苦しかった。

人と比べて

もっと苦しくなった。

自分でもできると思ったし

普通に出来ないやつになるつもりもなかった。

でも、出来なかった。

そしてその中でもがいた。

そして

友達と子供を連れて

カラオケに行った帰り

やけにアイスコーヒー苦かったのと

体が凄い重かったのを覚えている

車の運転中に

胸がどうしても苦しくて

何度も片手でむねを叩いた。

息がしずらかった。

家の駐車場に車を止めて赤子を抱っこして

上の子を車から出して

家に入り、

どうにも何をしようと、不安でしかない、

近所に住む母に娘に電話をしてもらい、母に来て貰った。

分からないけど、

近所の産婦人科に、電話をしたら

すぐ来ていいと言われ。

すぐ行った。

助産師さんと先生に話をした。

少しだけほっした。

そして紹介状をもらって翌日違う病院へ行った。

パニック症候群といわれた。

聞いたこともないし、

とにかく薬を飲んだ。

覚えていないが

周りにその情報を持っている人がいなかったし、

その内容を伝えたのは

母と主人。

本やさんで調べたりもしてみた。

雑誌に見かけたこともあった。

つまみ食いのように

症状への上書きをするように

いま自分のない症状も現れた。

段々と運転する車が怖くなった。

それでも、

頑張って子供を乗せてあちこち行った。

運転出来なかったら、

私はダメだ。

だって旦那は忙しい。

休みも日曜日だけだ。

私が運転できるから、

どこでも行ける。

子供2人可哀想な目に合わせる訳には行かない。

あの時、母は何も特に言わなかった。

旦那もなんて言ったんだろう。

全然覚えていない。

ただ、不安だった。

今が未来が不安だった。

そして

不安が不安を呼び始めていた。

旦那はあまり心の支えにはなっていなかった。

と思う。

その時全然旦那が

私の世界にいなかったかの様に子供と母の事しか浮かばない。

おそらく、母は落胆していたはず。

私は

不安の他に何を感じていたんだろう。

目の前にあるものを

ただ、

片付けなきゃ、やらなきゃ、

ご飯を作り、食べてねる。

毎日毎日。

繰り返し。

どこかに遊びにも行けなかったし

ホントの友達にも中々会えていなかった。

孤独なのに、弱いのに、誰にも助けてと言えなかった。

そんな気持ちにも気がついていなかったのかも。

毎日おそらく自分の、できないことを

批判していたのかな。

毎日苦しかった。


苦しかった私。

苦しいっていえなかった。

可哀想だね。

自分でその時自分を愛せていなかった。

全然、嫌いだった。

自分はどこにいたのかな?

必死すぎて

何も覚えていない。

消したい気持ちをどこかに蓋をしているのかな?

あの時の私が今目の前にいたら

ハグしてあげる。

そんなに頑張らなくていいんだよ。

適当でいいんだよ。

やらなくても死なないから。

こんなに頑張っているんだからそんなに自分を責めちゃんかダメだよ❤



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