さびしさに蜜柑を一つ買った夜
私は蜜柑を買ったことがなかった。
一生ないと思っていた。
蜜柑が嫌いなのではない。むしろ好きだ。
蜜柑は「もらうもの」であった。
毎年段ボールいっぱいに詰められた蜜柑がどこからともなく何箱か届く。
近所からも「もらいものだけど」と回ってくる。
それをやっぱり「もらいものだけど」と誰かに渡す。
毎年冬になればそれが当たり前のところに住んでいた。
大学進学して、地元を離れて、何年か経ったけど
いやというほど冷え込む七畳間にいると温かい部屋で家族と、近所の人と、友達と食べたあの箱いっぱいの蜜柑が恋しくなって余計にさみしさが募った。
部屋着にコートをつかんで部屋を飛び出し、夜中のスーパーまでの道のりを歩いているとぽつりと満月が見えた。
スーパーにキチンと陳列された蜜柑は地元のものでなくて、やけに高かったので一つだけ買った。
夜道で手のなかにあった蜜柑は無造作に段ボールにつめられた蜜柑とあまりにも対照的で、さみしそうに見えた。
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