どこまで勉強すればいいの?

これは,あまり聞かない質問ですよね。

「何のために勉強するんだ?」という目標の質問と、その「目標にどの割合で注力すれば良いのか?」という、力量が合わさった質問です。

質問の背景

私の親は,戦後の大変な中,母は女だという理由で,父は,長男で稼ぎ頭だからという理由で,大学を断念した人たちでした。

自分たちの中で,「世が世なら!」という気持ちがあったのでしょう。

それが,私に対して,今で言う教育的虐待に走らせたのだと思います。

とは言っても,放任ではあったので(ここが謎)ピッタリ勉強についているわけではありません。

むしろ,「家で学校の勉強などするな。しなくても遺伝子でできるはず」
(なんじゃそりゃ)
「俺は,砂浜の砂で書いて,トップを取った。」(学歴戦争の今、そんなこと言ったって…)と、無茶苦茶です。

会社の近くに家を建ててからは,見栄を張りたいばかりに習い事をさせます。「絵画」「英語」「水泳」「日本舞踊」「そろばん」「習字」「ピアノ」「バスケットボール」など。

もう毎日毎日,大忙しです。(小学生なのに。)

なおかつ,学年で5位以内に入らないと,家に入れてもらえません。
こっそり作った基地ですごくことが多かったです。そこで,豆球電気で読む,「少年少女文学全集」。

たまらなく極上の時間でした。(全く反省してない)
大体,とてつもないマンモス校で,1学年10以上ある小学校で,5位以内なんて…ニアミスひとつでアウトです。


そこで,最初の質問を,おばあちゃんにしたのでした。

どこまで勉強すればいいの?

おばあちゃんの答えは

「これから将来、何になるか決めているの?」
「ううん」

「決めていても、なれるかどうかは、ご縁もあるでしょうしね。」
「え、そうなの?」

「そうよ、なりたいものになれる人は、わずかね。でも、やるべき仕事天職にすることはできるわね。」
「天職????」(残念ながら私の中では、天使が舞っていて、理解不可能)

「まぁ、先のことは、誰にもわからないってこと。」
「じゃあ、勉強してても無駄になる?」

「いいえ。例えば、辞書を開くとき、この辞書には、絶対載ってる。って、わかってるから辞書を開くのでしょう?」
「そりゃそうだよ。」

「図鑑には、これが載っている。国語辞典はこれ、漢和辞典はこれってね。ちゃんと知ってる。」
「そうだね。確かに。」

「それと同じで、将来のことはわからないけれど、知るためには、どうすれば良いかは、知っておかないといけないでしょう?」
「なるほど。」

「それに、人に聞く方が社会に出たら多くなってくるのよ。その専門家の方に、失礼のないように、自分で勉強する術を学ぶのよ。」
「ん〜?」

「あなたが、数学の専門家だったのするでしょう?すっごい難しい数学を知ってる。そして、あなたは何かのきっかけで、ある賢そうな素敵な若者を見かけたとする。」
「うんうん。」(なんか、小説っぽいぞ。)
「話しかけると、とても賢くて、食べ物を友達に器用に均等に分けてたりするの。『この子に数学を教えてみたいな』と思ったとしても、もし1+1の法則も知らないとしたら、あきらめるかもしれないでしょ?」
(えぇーそこは、諦めずにいて欲しいところだけど・・・そうだろうな)

「逆に、あなたは本が好きだから、作家になりたいと思ったとするでしょう?そしたら、色んな文章を学ばないといけない。なんて聞く?」
「わかんない」

「そう。質問ができるために、勉強するの。」
???

世の中のこと全部知るなんて、無理な話なのよ。

学校のテストの点は、あくまでも柱の背比べの印みたいなもの。

大事なのは、「必要な時に必要な人に、適切な質問ができるように学ぶのよ。」

この世には、素晴らしい専門家がたくさんいるから、その人に、「この人になら、教えたいな。」と思われるように、学びなさい。

そうすれば、沢山の事典や辞書を持っているのと同じで、なんでもできるようになるから。


なるほどねぇ。。。


小学生の私の理解度の低さに、残念感を隠せませんが、確かにおばあちゃんの言う通りでございました。

 


サポートいただければ、より頑張って、みなが、しあわせになれる記事を書いていきます!