太平記 現代語訳 17-13 新田軍、計略をもって、金崎城の囲みを解く

太平記 現代語訳 インデックス 9 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----

今庄浄慶(いまじょうじょうけい)と由良光氏(ゆらみつうじ)との交渉の結果を最後まで見とどけないまま、「この分では、金崎(かねがさき:福井県・敦賀市)へ行くことなど、とてもムリ」と、早々に判断してしまった者は多かった。鯖波を出た時には250騎であったが、あちらこちらへ逃げ去ってしまい、残るはわずかに16騎になってしまっていた。

一行はそのまま、金崎城めがけて馬を進めた。

深山寺(みやまでら:福井県・敦賀市)のあたりで一人の樵(きこり)に出会ったので、金崎方面の情勢を問うてみると、

樵 あぁ、あそこの城はなぁ、昨日の朝から包囲されてるよ。方々の国から軍勢がやってきてねぇ・・・そうさなぁ、2、3万騎はいるんかなぁ・・・城を百重千重に取り巻いて、攻めてるよ。

脇屋義助 そうか・・・。

新田軍メンバー一同 ・・・。

脇屋義助 これから先、おれたち、いってぇどうしたもんかなぁ。

新田軍メンバーA ここから東山道(とうさんどう)経由で、人目を忍びながら越後をめざすってのは?

新田軍メンバーB いやいや、もうこれ以上何をやっても無駄。今すぐ全員、腹切ってしまおう。

このように様々の意見が飛び交う中に、栗生左衛門(くりふさえもん)が、進み出て、

栗生左衛門 どのルートを選んだにしても、越後までは長い長い道のりなんです、行き着くのはとても不可能でしょう。旅人姿に変装したって、召使いの一人も従えてない旅人が、疲れて道を行くんですからね、すぐに、落人(おちうど)だって分かってしまうじゃないですか。

新田軍メンバー一同 ・・・。

栗生左衛門 かといって、全員、ここで腹を切るってのもねぇ・・・それって、あまりにも、あきらめ早すぎゃしませぇん?

新田軍メンバー一同 ・・・。

栗生左衛門 あのね、おれの考え、ちょっと聞いて下さい。まず今夜は、この山中で人目を忍んで夜を明かす。で、明日の夜明けごろに、金崎城を包囲してる敵軍のまっただ中へ、突撃する、「おぉい、杣山城(そまやまじょう)からたった今、後攻め(ごづめ)にやってきたぞっ!」って、大声で叫んでね。運よく敵がパニック状態になってくれて、城の包囲網に穴が空きゃシメタもん、そこをくぐり抜けて、金崎城へ入る。

新田軍メンバーB 敵が踏みとどまって、おれらの前に道が開かなかったら?

栗生左衛門 その時はね、やつらと思う存分太刀を打ち交わしてね、おん大将・義貞様の見ておられる前で、討死にするまでのことよ。死んで骨になろうとも、オレたちの名だけは後世に残るでしょうよ。

新田軍メンバー一同 よし、それで行こう!

新田軍メンバーA だったら、こちらの人数を少しでも多く、見せかけるようにしときたいよね。

新田軍メンバー16人は、鉢巻きと上帯を解いて青竹の先に結び付けて旗のように見せかけ、こちらの梢、あちらの陰に立て置き、夜明けをじっと待った。

-----

鶏が3度鳴いた。山の端が、雪の積もった所から次第に明るくなってくる。たなびく横雲も見えてきた。

脇屋義助 よぉし、行くぞ!

16騎は、中黒紋の旗1本を掲げ、深山寺の木陰から敵陣の後方に駆け出して、口々に叫ぶ、

新田軍メンバーA 瓜生(うりう)家、

新田軍メンバーB 富樫(とがし)家、

新田軍メンバーC 野尻(のじり)家、

新田軍メンバーD 井口(いのくち)家、

新田軍メンバーE 豊原(といはら)家のメンバーら、ただいま参上!

新田軍メンバーF 平泉寺(へいせんじ)、

新田軍メンバーG 剣(つるぎ)、

新田軍メンバーH 白山(はくさん)の衆徒も、同じく参上!

新田軍メンバーI 総勢2万余で、金崎城の援護にやってきたぁ!

新田軍メンバーJ 城の中の人々ぉー、さぁ、そっちらからも、うって出ろぉー、足利軍を挟み打ちだぁー!

新田軍メンバーK まっ先にうって出てくんの、誰と誰ぇー? そいつらの戦いぶり、臆病か勇ましいか、城の中からよくよく見といてなぁー、後で恩賞決定する時に、証人になってやれよぉー!

脇屋義助 エーイ! エーイ!

新田軍メンバー一同 オーーウ!

まっ先に進む武田五郎(たけだごろう)は、京都の戦で切られた右の指の傷が未だに癒えず、太刀の柄(つか)を握る事が出来ない。仕方なく、杉の板でもって木太刀を作り、右腕に結わえ付けて戦っている。

二番手に進むは、栗生左衛門。帯副(はきぞえ)の太刀(注1)が無いので、周囲1尺ほどの太さの深山柏(みやまかしわ)の木を1丈ほどの長さに切り、鉄棒のように見せかけて右の小脇に挟み、敵の大軍の中に踏み込んでいく。

-----
(訳者注1)予備のための刀。太刀に添えて、腰に帯びる。
-----

これを見た、金崎城を包囲している足利サイド3万余騎は、「馬はどこだ、鎧はどこだ」と大慌て。新田側の策略にはまり、深山寺方面に立ち並べた旗が、木々を揺るがす強風に翻るのを見て、「後詰めの勢力は大軍だ」と思いこんでしまった。包囲の最前線に位置していた若狭(わかさ)国と越前(えちぜん)国の武士たちは、楯を捨て、弓を引く事も無く、サット退いてしまった。

城中の新田軍800余人は、これを見て、海岸の西方へ、あるいは、氣比神宮大鳥居の前へと、城からうって出てきた。

城の周囲に充満していた足利側の大軍は、あわてふためいて十方へ逃げる。後から退いてくる味方を敵軍と思いこみ、返し合わせて同士討ち、あるいは自分の前を横切って逃げていく友軍を敵軍と見誤り、立ち止まって自害する。戦場から2里3里隔たっても、まだ逃げ足が止まらず、追う者もいないのにどんどん城から遠ざかり、みな、自分の本拠地へとんで帰っていってしまった。

-----
太平記 現代語訳 インデックス 9 へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?