太平記 現代語訳 3-5 櫻山四郎入道とその一族若党、備後国・一宮にて自害

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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備後国(びんごこく:広島県東部)で倒幕に決起した櫻山四郎入道(さくらやましろうにゅうどう)は、備後半国を平らげた後、東の方は備中(びっちゅう:岡山県西部)まで進軍し、西の方も安芸(あき:広島県西部)までも制圧せんと、もくろんでいた。

そのように意気込んでいるところに、「笠置寺は陥落、楠、自害」との情報が飛び込んできたので、いったんは彼のもとにはせ参じた者たちも、みるみる陣から去っていく。

ついに、櫻山の側に残るは、運命を共にする親族たちと長年つかえてきた若党たち、合計20余名のみ、という状態になってしまった。

櫻山四郎入道 うーん、これまでかのぉ・・・鎌倉幕府の力は盤石、日本全国寸分の地も余すところ無く、支配しとるけんのぉ。

櫻山軍団一同 ・・・。

櫻山四郎入道 こないなってしもぉては、わしらの親しい者らでさえも、とてもわしらを匿(かく)うことなんて、できんでのぉ。

櫻山四郎入道 ましてや、親しくない者らなんどは、なぁも頼みにはならんで。

櫻山四郎入道 他人の手にかかって屍を野にさらすよりは、自決した方が・・・のぉ、みんな!

櫻山軍団一同 はい!

彼らは意を決し、備後国の一宮(いちのみや)へ参った。

社の前で櫻山四郎は、まず、今年8歳になった最愛の息子と、長年つれそった27歳の妻を、刺し殺した。さらに、社壇に火をかけ、自らも腹かっ切り、一族若党23人、みな灰燼となって果てた。

他に死に場所はいくらでもあったろうに、なぜ櫻山は、備後国・一宮の社壇に火をかけて、焼死したのか?

かねてより櫻山は、この一宮への信仰あつく、社の建物の破損著しいのを嘆き、なんとかしてそれを再建しよう、との大願を持っていた。

しかし、そのような大事業を行うには、志のみあれど力不足。今回の倒幕計画に参加したのも、朝廷からの恩賞に預かって、この大願を成就しようとしてのことであった。

「神は非礼を享(う)け給わざり」ということであったのか、所願空しく、死んでいったのであるが、

櫻山四郎入道 (内心)この社を焼き払ってしまえば、朝廷も幕府もやむを得ず、「何とか社を再建せよ」という事になるじゃろぉて。我が身はたとえ、地獄の底に落ちることになろうとも、この社殿再建の願が成就するのであれば、何も悲しむ事はないぞ。

かくなる勇猛心を奮い起こし、社に火をつけ、その中で絶命していったのである。

衆生救済のためには、神にでも人間にでも変身して世に現れようとの、み仏の慈悲の誓願を思えば、順縁(じゅんえん)、逆縁(ぎゃくえん)(注1)、いずれも、済度利生の方便(さいどりしょうのほうべん:注2)といえる。

社殿への放火という、今生(こんじょう)での逆罪も、まわりまわって、来世の良き仏縁になるであろうと、よくよく深く思い定めた上での、櫻山四郎入道のこの行為であったのだ。

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(訳者注1)仏にそむく行いをする者にさえ、仏は救済の縁を繋ぐ、という意味。

(訳者注2)人々を救済するための手段。

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