太平記 現代語訳 26-7 上杉重能と畠山直宗、高兄弟を讒言す 付・「完璧」の語源

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高兄弟だけでも、「もういいかげんにしてくれ!」と言いたくなるのに、問題な人物が、さらに2人いた。上杉重能(うえすぎしげよし)と畠山直宗(はたけやまなおむね)である。(注1)

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(訳者注1)これから後の時代、室町時代から戦国時代にかけて、上杉氏と畠山氏の人々の中から、日本史上においての知名度が高い人々が出現してくるようになる。

[鎌倉公方]を補佐する[関東管領]の職は、次第に、上杉氏によって独占される状態となっていく。

「上杉」の名字を持つ人のうち、最も知名度が高い人は、おそらく、[上杉謙信]だろうと思うが、謙信は、上杉氏ではなく、長尾氏の出身である。山内上杉家の家督と関東管領職を相続して、名を上杉政虎と改めたのである。

畠山氏の中には、上杉謙信ほどの知名度の高い人がいないようだが、室町時代のある時期以降、この家から、足利幕府の管領に就任する人々が出現し、斯波氏、細川氏と並び、[三管領家]と呼ばれるような、幕府上層に位置する家系となる。

[応仁の乱]に関する記述の中には、[畠山義就]、[畠山政長]という二人の人名が登場することが多いだろう。([応仁の乱]発生のきっかけを作った人たち、として)。幕府上層に位置する人々であり、従えている人の数も多かったので、[応仁の乱]を引き起こすきっかけを作れたのであろう。
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この二人は、自らの才覚の小なることを省みることもなく、他人よりも高い官位を望み、少しだけの功績しかないのに、他を超える褒賞を得ようとばかりしている。当然の事ながら、足利家執事として絶大な権力を持ち、万事思うがままの状態にある高兄弟に対して、二人の心中には、嫉妬の念がメラメラと燃えさかる。

それゆえに、折に触れ時に触れ、重能と直宗は、足利兄弟に対して、高兄弟のアラを探しては休むことなく讒言(ざんげん)を繰り返した。

しかし、足利兄弟は、

足利直義(あしかがただよし) (内心)いやいや、そうは言うけどな、いざという時にほんとに頼りになるの、高兄弟をおいて、他に誰がいる? 我々に敵対する勢力が再び武装蜂起した時、彼らの他にいったい誰が、それを鎮圧できるというのだ?

足利尊氏(あしかがたかうじ) (内心)高師泰(こうのもろやす)と高師直(こうのもろなお)、あの二人はとにかく、他の者らとは別格扱いにしとかなきゃねぇ・・・でぇ、彼らが妬ましいもんだからな、重能と直宗はあのようにな、ササイな咎を次々と取り上げては、あれやこれやと言ってくるんだよ・・・イヤハヤ、まったくもう、困ったもんだよなぁ・・・。ま、いいさ、右の耳から聞くだけ聞いといてだな、そのまますぐに、左の耳から出しちゃったらいい。

足利尊氏 (内心)・・・それにしても、なさけないなぁ、重能と直宗は・・・あぁいったゴマスリ男や讒言マニアが、世をかき乱していくんだよねぇ・・・あぁ、ほんと、カナシイことだよねぇ・・・。

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人類の歴史を振り返ってみれば、天下を取り、世を治めるに至った人の下には必ず、賢才輔弼(けんさいほひつ)の臣下がいて、国の乱を鎮(しず)め、君主の誤りを正してきた。

たとえば、古代中国の尭(ぎょう)帝の下には八元(はちげん)の臣下、舜(しゅん)帝の下には八凱(はちがい)の臣下、周王朝・武王(ぶおう)の下には十乱(じゅうらん)、漢王朝・高祖(こうそ)の下には三傑、後漢王朝・光武帝(こうぶてい)の下には28将、唐王朝・太祖(たいそ)の下には18学士、これらの臣下はみな、高位高給を得ながらも協調の心篤く、争い合おうとする心は皆無、互いに非を諌(いさ)めあい、国政を安定せしめ、天下に平和がもたらされる事のみを、ひたすら希求して止まなかった。このような臣下をこそ、まさに、「忠臣」と呼ぶべきであろう。

しかし、足利幕府においては、高家と上杉家とは仲が悪く、ややもすると相手を出し抜いてその権力を奪ってしまおうと考えている。そのような事では、とても、「忠烈の心ある人」とは言えない。

この事を思うにつけても、私、太平記作者は、昔の中国のある事件を思い起こさずにはいられない。以下にその内容を述べたいと思う。話が長々と横道にそれることになり、お聞き苦しい点が多少はあろうやもしれぬ、「なにをこのような、つまらぬ事をグタグタと書いておるのか」との読者諸賢よりのお叱りを受ける事になるかもしれぬが、なにとぞ、ご容赦たまわりたい。

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古代中国・春秋(しゅんじゅう)時代、楚(そ)の国に、卞和(べんか)という身分の低い者がいた。

ある日、山中の畑を耕していたところ、土中に、周囲1尺余りほどもある大きな石を見つけた。(注2)

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(訳者注2)「韓非子・第4巻・和氏第13」が原典。原典と太平記中の記述とは、例によって微妙に食い違っている。
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卞和 これは驚いた・・・原石じゃぞ! これを磨かば、巨大なる美玉(ぎょく)を得られようぞ。

卞和 このようなダイソレタものを、わしごとき庶民の所有物になど、できようか。これはやはり、どこかの貴人に奉るべきであろうて。誰ぞ、ここにやってこぬかのぉ・・・。

たまたまそこに、山で狩りをしていた楚の武王(ぶおう)が来合わせた。

卞和は、王の前に進み出ていわく、

卞和 陛下、今陛下の目にしておられますこの巨大なる石、これは世に類希(たぐいまれ)なる玉の原石にてござりまする。どうぞ、この石を持ち帰りになられ、職人に磨かしめたまわんことを。

武王 おう! それはそれは!

武王は大いに喜び、その原石を宮廷に持ち帰った。

武王 これこれ、今すぐ、玉磨(たまみがき)師を呼べい! この原石を磨かせるのじゃ!

武王側近A ハハッ!

武王の命に従って、それから数十日、玉磨師は、原石を磨きに磨いたのであったが、

武王 なんじゃこれは、全然、光っておらんではないか! いったい何をしておったのじゃ!

玉磨師B は、はい・・・必死に磨いてはおるのですがぁ・・・はぁ・・・

玉磨師B おそれながら陛下、これは、玉の原石などではありませぬ、そこらに転がっておるのと同じ、ただの石であります!

武王 (大怒)ナァニィ! さてはきゃつめ、たばかりおったな! ただではおかん! おい、あの石を供出せし、あの男、ただちにひっとらえてまいれ!

武王側近A ハハッ!

卞和は、左足切断の刑を受け、その石を背中に背負わされて、楚国の山中に追放された。

山中に草庵を結んだ卞和は、石を背中に負いながら、無実の罪によって足切断刑を受けた事を、嘆きに嘆き続けた。

卞和 (涙)ううう・・・ゼッタイに、ゼッタイに、この石は玉の原石じゃ、間違いない・・・間違いなぁいぃ! ううう・・・わしはウソなどついてはおらぬ! わしは無実だ・・・無実だ・・・無実だぁ・・・ううう・・・。(涙)

卞和 (涙)ううう・・・ああ・・・玉の原石と普通の石とを識別できる人間が、この世には一人もおらんのかぁーーー! ああ、情けなや・・・あああ・・・あああ・・・。(涙)

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3年後、武王は死去し、その子・文王(ぶんのう)の代となった。

これも不可思議な因果のめぐりあわせであろうか、山中に狩りに行った文王は偶然、卞和のいる草庵の近くを通る事になった。

文王 うん? あの草庵から泣声が聞こえてくるのぉ・・・いったい、どうしたというのじゃ?

文王は、草庵の中に入った。

文王 これこれ、そちはいったいなにゆえ、さように泣いておるのか?

卞和 (涙)はい、どこのどなたさまかは存じませぬが、よくぞ聞いてくださりました・・・。ううう(涙)

文王 いったい、何がどうしたというのじゃ、言うてみよ。

卞和 (涙)はい・・・わたくしめはその昔、この山中に入りて畑を耕しておりました。その際に、土中より1つの石を見つけましてござりまする・・・。世にも類希(たぐいまれ)なる玉の原石でござりましたがゆえに、それを・・・それを・・・王様に献上たてまつりましてござりまする。・・・ところが・・・ところが・・・う、う、う、うわぁ・・・(涙、涙)

文王 (内心)なに、「王様」じゃと? もしかして、父上の事か?

文王 その先を述べい!

卞和 (涙)は、はい・・・。あの玉磨師めが! よく分かりもしないくせに、いけしゃぁしゃぁと、「これは原石ではない、ただの石じゃ」と、知ったような事をほざきよって・・・ううう! そしてわたくしめは、これこの通り、不慮の刑に遭いて左足を切られ、かような体に・・・ううう・・・うあああああ・・・。(涙、涙)

文王 ・・・。

卞和 殿、たってのお願いでござりまする!

文王 なんじゃ?

卞和 願わくば、願わくば、この原石を、あなたさまに献上いたしたく・・・。この石を磨き出し、間違いなく玉の原石であることを、なにとぞ、世に証(あか)してくださりませ・・・さすれば、我が無実の罪を晴らすことも、かなおうかと・・・願わくば、願わくば・・・ううう・・・。(涙)

文王 よし、分かった。もう泣くな!

文王は、大いに喜んでその石を持ち帰り、武王の時とは別の玉磨師に磨かせた。しかし、彼もまた、正しき鑑定眼を持ってはいなかったのである。

玉磨師C これは、玉の原石ではありませぬのぉ、ただの石ですわい。

文王は大いに怒り、卞和の右足を切らせて、山中に追放した。

今や両足を失ってしまった卞和は、五体の苦しみにさいなまれつつ、血涙を流しながら嘆き続ける。

卞和 (涙、涙)あああ、あああ・・・あの親にしてあの子! 哀れなるかな、わが楚国よ、二代続けて、石を見る目のない君主の統治を受けるとは・・・・・・ああ、わしにはもはや絶望しか残っておらぬわ・・・とっとと死んでしまいたいぞ・・・ううう・・・うあああ・・・。(鮮血混じりの赤い涙)

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さらに20年が経過。卞和の生命線は強靭にして、一本のか細い糸のようなその命は、なおも持続していた。例の石を負いながら、嘆き暮す毎日。

文王も死去し、時代は、成王(せいおう)の御代に変わっていた。

ある日、狩りの為に山中に入った成王は偶然、卞和のいる草庵の前を通り過ぎた。

卞和は、なおも懲りずに草庵の中から這い出て、先々代、先代の2代にわたり、足切りの刑に処されてしまった事情を訴え、涙の中に、例の石を成王に献上した。

成王は、すぐに玉磨師を召し出し、その石を磨かせた。

三度目の正直、卞和の執念はついに実った。

成王 うーん・・・見事な玉じゃのぉ!

玉磨師D ご覧くださりませ、この輝きを! 玉から発せられる光、天地に輝きわたってござりまするぞ。

成王 まさに、天下無双の名玉じゃ。

成王側近E かの男の言葉通り、ただの石ではなかったのですなぁ。

この玉の発する光は凄まじかった。夜道を行く車の中に置けば、前後17台の車の姿を明明と映し出す。ゆえに人々はこれを「照車の玉」と呼んだ。また、宮殿の中に懸ければ、12の街区を明るく照らし出した。ゆえに人々はこれを「夜光の玉」とも呼んだ。まことに、天上のマニ宝珠(ほうじゅ)、海底の珊瑚樹(さんごじゅ)といえども、この玉の横に置けば、みすぼらしく見えることだろう。

かくして、この玉は楚の国宝となり、代々の王に相続されていった。

時代は下り、この玉は、趙(ちょう)国の王の持ち物となった。

趙国王も、楚国の歴代の王にも増して、この玉を愛好した。「趙璧(ちょうへき)」と名前を変え、24時間、肌身放さず状態となった。窓に蛍を集めなくとも、その玉さえあれば書物は明明と照らしだされ、闇夜の中にその玉を掲げれば、行く先の道は明瞭に照らし出されるのであった。

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その後、中国は戦国時代に突入。全域に渡って戦乱の絶える間は無く、弱肉強食、大が小を滅ぼす世となった。

趙は、強国の秦(しん)と境を接していた。

趙璧のうわさを聞いた秦の昭王(しょうおう)は、

秦・昭王 ムムム・・・なんとしてでも、その「趙璧」とやらを、奪いとってみしょうぞ・・・。さて、さて、いかような手を使えばよいものか・・・。

当時の中国には、「会盟(かいめい)」という外交儀礼があった。これは、国境を接する国どうし、双方の君主が国境に赴き、羊を殺し、その血をすすって天地の神に誓い、法を定め約を堅くして国交を結ぶのである。

この会盟の儀の時に、隣国に見下されたら大変な事になってしまう。その時ただちに、あるいは後日に、隣国からの侵略を受け、へたをすると君主の座を奪われ、といった事態を招いてしまうのだ。ゆえに、会盟に赴く際には、君主は選りすぐりの賢才の臣、勇猛の士をひきつれてその場に臨み、相手国と才能を競い勇武を争そうのであった。

ある日、秦・昭王から、「会盟しようではないか」とのメッセージが、趙国・恵文王(けいぶんおう)に送られてきた。恵文王はただちにそれに応じ、会盟の日取りを決めた。

約束の日、趙・恵文王は国境へ赴いた。

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「会盟の儀、未だ定まらず、未だ互いに羊の血をすすらず」という中に、秦・昭王は宴を催し、趙・恵文王をそこへ招いた。

宴席は終日に及んだ。

酒もたけなわになってきた時、昭王は、盃を高く挙げた。

秦国の兵士リーダーF (小声で)おっ、陛下が合図の盃を上げられた。よし、行くぞ!

秦国の兵士一群 (小声)こころえた!

彼らは、酒に酔った風を装いながら、酒宴の場へ乱入した。そして昭王と恵文王の席へつめより、目をイカラシ、肱(ひじ)を張っていわく、

秦国の兵士リーダーF 陛下ァァァ、陛下ァァァーーー、いやぁ、本日の会盟、まことに、まぁことに、しゅうちゃくしごくに、ぞんじたて、たてまつりまするぅー、ウワハッハッハッー!

秦国の兵士一群 おめでとうごりまするぅーー!

秦国の兵士リーダーF 陛下、その盃、しばらく、しばらくぅーーー!

秦国の兵士一群 しばらくぅー、しばらくぅーーー!

秦国の兵士リーダーF 陛下、大いに興に乗り、盃を干されんとされるのはよろしいのですが・・・じゃが、じゃがのぉ、鳴り物一切無しの酒では、あまりにもさびしすぎるというものじゃ!

秦国の兵士一群 さよう、さよう!

秦国の兵士リーダーF そこでじゃ、ここはヒトツゥ、趙国の主・恵文王様にお願いしたいーーッ! わが陛下が盃を干されるのにあわせて、琴を奏で、寿(ことぶき)をイッパツ言上していただきたいんですがのぉ!

秦国の兵士一群 琴を、琴を、寿をーーっ!

恵文王 (内心)ううう、おのれぇ! 挑発しおって・・・なにぃ、秦王の酒の肴にわしに琴を弾けだとぉ!・・・うぬら、趙国の君主をなんと心得えおるか・・・(ギリギリ)。

恵文王 (内心)・・・いやいや、ここはガマン、ガマンじゃ。もし否めば、こやつら、わしを刺し殺すかもしれぬ・・・。

恵文王は仕方なく、琴を弾いた。

当時の中国では、君主の傍らには必ず左右史(さゆうし)という、君主の言動を記録する係の者がついていた。秦国の左太史はさっそく筆を取り、こう書いた。

 「秦趙両国の会盟において、まずは酒宴、催さる。その席上、秦王、盃を挙げたもうた時、趙王、自ら進んで寿を言上し、琴を弾きたり。」

恵文王 (内心)あ、あ、あんな事まで書きおって・・・後世まで残る歴史に、とんでもない事を書かれてしもぉた・・・あぁ、無念じゃ! この上ない恥辱じゃ!

恵文王は、内心に怒りをたぎらせたが、どうすることもできない。

盃が廻(めぐ)り、今度は、恵文王がそれを飲み干す番となった。その時、恵文王の臣下グループ中より一人の男が立上った。男は、つかつかと秦・昭王の席に歩み寄っていく。

恵文王 (内心)はて、あの男・・・そうだ、最近召し抱えた男・・・姓はたしか、藺(りん)とか言うたな・・・。

やにわに、男は剣を抜き放ち、肱(ひじ)をいららげていわく、

藺相如(りんしょうじょ) さきほど、わが主君は秦王様の為に、琴を弾かれましたぞ。秦王様、今度は、あなたさまの番ですな!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王様、いったいなぜ、お返しに、わが主君の為に、寿を述べようとなさいませぬのか!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王様! どうしても、琴を弾き、寿を言上するのが、おいやとおぇせならば、ならばの、私めにも覚悟がありまするぞ! 今この場でただちに、主君の為に死ぬる覚悟がのぉ!

昭王は、もう何も言えない。

昭王 よしよし、わかった、わかった、そないに怒るでないわ。今まさに、寿の言上をさせていただこうと、思っていたところじゃにぃ。

昭王は、自ら立上って寿を言上し、ホトギ(注3)を打ちながら舞いを舞った。

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(訳者注3)口が小さく胴が大きい陶器。おそらく、これを打つと良い音が鳴ったのであろう。
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すぐに、趙国側の左太史が進み出て、次のように書き下した

 「某年某月某日、趙秦両国の会盟あり。趙王、盃を挙げたまう時、秦王、自ら酌を取り、ホトギを打てり」

このように詳細に記して、恵文王の恥をそそいだのであった。

やがて、恵文王が酒宴の席を引き上げようとした時、昭王の傍らに隠れていた兵20万人が、甲冑を帯してそこに馳せ来った。昭王は彼らを差しまねき、恵文王の方を向いていわく、

昭王 ところでのぉ、趙王殿、わしにひとつ提案があるのじゃが・・・。

恵文王 ・・・(かたずを呑む)。

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昭王 聞くところによりますればのぉ、趙王殿、あなたは、すばらしい宝玉をお持ちとか・・・。

恵文王 (ドキッ)・・・。

昭王 それそれ、えーと、何という名前でしたかのぉ、えーと・・・あ、そうそう、卞和(べんか)じゃ、卞和が掘り出したる原石から磨き出されたという玉・・・その玉の名は・・・えーと、えーと、あ、それそれ、「夜光玉」でしたかな?

恵文王 (ドキドキッ)・・・。

昭王 その玉、世にも類希(たぐいまれ)なる光を発するとかいう話しですな。いったいどのような輝きなのであろうかの、わしも一度、この目でとっぷりと拝ませていただきたいものじゃ。

恵文王 ・・・。

昭王 そこでじゃ、趙王殿、いかがでしょうかな、その玉とわが方の領土とを交換するというのは?

恵文王 えぇっ!

昭王 その玉と交換するためなら、我が領国中の15城を、あなたに差し上げてもよいと思いまするがのぉ・・・。

恵文王 えっ、15城?!

昭王 さよう、15、15城ですぞぉ!

恵文王 うーん・・・。

昭王 それがどうしてもおいやというのであればの・・・いたしかたあるまいて、両国の会盟はたった今、この場でご破算じゃ。さすれば今後永久に、両国の和親は望めませんのぉ。

中国の「1城」とは、360平方里の面積を持つ領域の事である。

恵文王 (内心)それを15個も、くれるというのだ・・・全部合わせれば、国2、3個分にもなる! じつにオイシイ話ではないか!

昭王 いかがですかな? わしのこの提案。

恵文王 (内心)かりに今、玉を惜しんで、この話を拒絶したとしよう、するといったいどうなる? 秦国側の大兵力に包囲されている現状の下では、無理やり玉を奪われてしまうであろうて。どっちみち、玉を渡してしまわねばならぬのであれば、15城と交換した方がまだまし、というものではないか。

恵文王 その話、おうけいたしましょう。

昭王 おぉ! よぉ言うて下された。これで、秦趙両国の絆(きずな)は未来永劫にわたり、この日この場にて、しっかと結ばれましたぞ!

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玉をゲットした昭王は、大喜び。

昭王 (しげしげと玉を見つめながら)なるほど、これが天下の名玉か・・・いやぁ、美しいのぉ!

昭王 この玉を得んがために、わが領国の15城を差し出す、というのじゃからのぉ・・・15城、15城じゃ・・・そうだ、この玉を、「連城の玉」と名付けようぞ。

昭王 ・・・15城・・・15城じゃよ・・・ウフフフフフフフ・・・ウハハハハハハハ・・・ガハハハハハハハ・・・ギャハハハハハハハ・・・。

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その後、恵文王はたびたび使者を秦国に送り、玉との交換条件になっている例の「15城」の引き渡しを迫った。しかし、昭王はたちまち約を違えた。たったの1城をも渡そうともせず、かといって、玉を返還する気配もない。ただただ使者を欺き、礼を軽んじて、返答さえ送ってよこさない。

かくして、恵文王は玉を失ったのみならず、中国全土からの激しい嘲りを受ける事になってしまった。

ある日、藺相如(りんしょうじょ)が恵文王の前にやってきていわく、

藺相如 陛下、願わくば、私めを秦国への使者に任命いただきたく!

恵文王 (溜息をつきながら)ハァー・・・なに・・・秦国への使者だと?・・・。

藺相如 はい。秦国の都へ赴き、秦王にかけあって、あの玉を取り返してくるのでござりまする。さすれば、陛下のお憤りも止むというもの。

恵文王 ハァー・・・いったいどのようにして、あの玉を取り返してくるというのじゃ・・・今や秦は超大国、国土は広く兵は多い。わが国の武力では到底太刀打ちができぬわい。たとえ兵を率いて戦をしたとて、玉を取り返す事など絶対に不可能じゃ・・・ハァー・・・。

藺相如 いえいえ、兵を率いて行こうというのではありませぬぞ。武力でもってあの玉を取り返そうというのではありませぬ。我が一人の力でもって、秦王を欺き、玉を取り返すのでござりまする。

恵文王 ・・・。

藺相如 わたくしめに、良き謀りごとがござりますれば、陛下、なにとぞ、秦国への特使に任命くださりませ!

恵文王は納得がいかなかたっが、

恵文王 ハァー・・・よし、そこまで言うのであれば、やってみるがよい。そちを秦国への特使に任命する・・・ハァー・・・。

喜び勇んで藺相如はただちに秦国へ赴いた。兵を一人も率いずに、身には剣もつけず、衣冠を正し車に乗って、特使としての威儀を調えて秦国の都へ入った。

宮殿の門をくぐってあいさつをし、出迎えの者に告げた。

藺相如 趙王陛下の特使、藺相如、ただいま秦国の王宮にまかりこした。秦の国王殿にじきじきにお目通り願い、申しあげたき義あり!

昭王は宮殿に出御し、ただちに藺相如を謁見(えっけん)した。

昭王 ふふふ・・・ひさしぶりじゃのぉ、藺相如。どうじゃぁ、あれから元気にしておったかぁ?

藺相如 ははっ!

昭王 して、今日はいったいいかなる用向きで、参ったのかなぁ?(ニヤニヤ)

藺相如 はい、例の玉(ぎょく)の事で。

昭王 玉? はてさて、いったい何の話じゃ? 玉? いったい何のことじゃぁ?(ニヤニヤ)

藺相如 先年、わが主君より秦王殿に進呈せし「趙璧(ちょうへき)」またの名、「夜光の玉」に関する、極めて重要なるある事実をお伝えせんがために、藺相如、本日、秦の王宮へまかりこしましてござりまする。

昭王 う?

藺相如 秦王殿、あの玉、実は・・・。(両手で顔を覆い、下を向く)

昭王 なんじゃ、なんじゃ?! あの玉に何か・・・。

藺相如 実は・・・隠れたる傷が少々ござりましてな・・・。

昭王 なにぃーーー!

藺相如 傷が存在することをば秦王殿にお知らせせぬままに、玉を呈上いたしましたること、まったくもって我が国の重大なる落ち度にてござりまする。このままでは、結局、かの玉、秦王殿の宝にはなりもうさぬ。ゆえに、趙王陛下は私めに命じられましてござりまする、「あの玉に隠れたる傷が存在せし事を、秦王殿に包み隠さず、ありのままにお伝えせよ」と。

これを聞いて昭王は喜んだ。

昭王 いやいや、よくぞ来てくれた! 傷の存在を知らぬ限りは、玉は永遠に「傷持ちの玉璧」。しかしながら、ひとたびその傷の存在を知らば、それはいくらでも修復可能ではないか! 修復の後は、玉は永遠に「完全なる玉璧」となるであろうが!

昭王は例の玉を取り出して玉盤の上に置き、藺相如の前に据えた。

昭王 さ、さ、速やかに傷の場所を教えよ!

藺相如 はは! ではおおせに従いまして。

昭王 どこじゃ、どこじゃ、傷はどこじゃ?!

藺相如 ご覧くださりませ、それ、ここに・・・。(手を玉に伸ばす)・・・(ガバッ)

藺相如は玉を左手に取るやいなや、それを宮殿の柱に押し当て、右手で剣を抜いた。

昭王 こらっ、何をする! ものども、であえい! であえい!

藺相如 寄るな、寄るな! 一歩たりともわしに寄らば、この玉、粉々にしてくれるわ!

昭王 あああ・・・玉・・・玉・・・。も、ものども、ひかえい、ひかえい!

藺相如 秦王! そなたはよくも・・・よくも、わが陛下をだましおったな!

昭王 ううう・・・。

藺相如 「君子は食言せず、その約の堅きこと金石のごとし」というではないか! 秦王、そなたは我が陛下を脅し、ムリヤリ、秦の15城とこの玉との交換を承服させた。しかるにその約を違え、15城を引き渡そうともせず、玉を返そうともせぬ!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王、そなたはの、盜跖(とうせき:注4)のごとき、ヌスットじゃ! 文成(ぶんせい:注4)のごときペテンシじゃぁ!

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(訳者注4)盜跖は荘子に出てくる大盗賊。文成は漢王朝時代の人。「盜跖うんぬん」はともかくとして、文成よりも先の時代に生きている藺相如の言葉に文成の名が登場するわけがない。この部分、おそらく元ネタは「史記・廉頗・藺相如列伝」なのだろうが、史記中の藺相如はもっと別の事を言っている。この部分、史記と太平記とでは話の内容が大きく食い違っているので注意が必要。
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昭王 ・・・。

藺相如 はははは・・・。この玉にはの、傷なんか毛頭無いわ!

昭王 ヌヌヌ・・・。

藺相如 わしはな、わが命もろもと、この玉を粉々に砕かんがため、この秦国にやってきたのよ! わが肉体の血を秦王、そなたの王座の前に注がんがためにな!

彼は目を怒らせ、玉と昭王とをはたと睨む。わが身に近づく者あらば、たちまち玉を切り抜き、返す刀で自らの腹を切らんと、まことに思い切ったその様子、あえて誰も遮りとめようとする者もいない。昭王は呆然として言葉無くたたずむばかり、群臣は恐れて近づこうともしない。

藺相如 この玉、持って帰らせていただきますぞ、よろしいですな、秦王殿!

昭王 ・・・。

かくして、藺相如は「連城の玉璧」を奪回し、それを趙国に持ち帰った。まさに、「璧を完うした」わけである。

璧玉を取り戻す事ができた恵文王は大喜びである。藺相如をほめたたえ、大禄高位を授けた。かくして彼の位は王の外戚をも超え、その禄は万戸を超えることとなった。さらには、「牛車に乗ったまま宮城の門をくぐってもよし」という事にまでなった。彼が宮門を出入りする時には、王侯貴人でさえも目を側め、道をよけるのであった。

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ここに、廉頗(れんぱ)将軍という恵文王の旧臣がいた。先祖代々、趙の王家につかえて功績を積み、その忠はまことに重い。

廉頗 (内心)うーん・・・まったくいまいましいわい! わしに肩を並べられる者など、この趙の国内には一人もいないと思っておったにのぉ!

廉頗 (内心)藺相如め、あの玉の一件でえらいのし上がりよったもんじゃ。わしを凌いでしまうほどの高い権力の座にまで登りつめてしもうたではないか! ええい、まったくもって、いまいましいヤツじゃわい。

廉頗 (内心)よし、あやつを、亡きものにしてくれるわ! やつが宮中に参内するその道中を狙ってな・・・そうだな、兵は3000人くらい配置するとしようか。

これを察知した藺相如は精強の兵1000余を率いて自宅を出、王宮に向かった。

はるか彼方に待ち伏せしている廉頗を見つけるやいなや、藺相如は、

藺相如 これ、ただちに車を返せ! 館(やかた)に戻るのじゃ!

車引き ハハッ!

彼は廉頗と一切戦おうともせずに、すぐに兵を率いて車を飛ばし、館に帰った。

廉頗の兵G ざまを見ろ、藺相如め!

廉頗の兵H きゃつはまさに、「虎の威を借る狐」、自分の力では、何もできない男なのじゃよ。

廉頗の兵I 「いざ、直接対決!」となったらの、我らが将軍の小指ほどの力もないのじゃなぁ。

廉頗の兵一同 ワッハッハッハッハァ・・・。

これを聞いた藺相如側の兵たちは、

藺相如の兵J 言わしておけば!

藺相如の兵K これより直ちに、廉頗の館へ押し寄せ、

藺相如の兵L いざ合戦じゃぁ、雌雄を決してやろうぞ!

藺相如の兵M わしらを嘲笑ったやつらに、目にもの見せてくれるわい!

兵士らの憤りを見て、藺相如は目に涙を浮かべ、彼らに説いた。

藺相如 (涙)おまえら、こういうことわざを聞いた事がないかのぉ? 「両虎相い闘いて共に死する時、一匹の狐、その弊(ついえ)に乗じて是(これ)を噛(か)む」。

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 今、この趙国においてはのぉ、廉頗とわしとは「二匹の虎」、戦えば必ず、二人共に死ぬ。して、「一匹の狐」とは、秦国の事じゃ。我らの闘争がもたらす国家の弊に乗じ、趙国を食らわんとするは必定(ひつじょう)。廉頗も藺相如もいなくなってしまったこの趙国、いったい誰が、これを守れるというのか?

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 これを思うが故にのぉ、わしは廉頗と戦いとぉはないのじゃ。

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 世間の人々は、わしを、「あの弱虫め」と嘲るであろうの。しかし、その嘲笑を避けんがために、国益に反してまでも、わしが廉頗とあくまで争うならば・・・そのようなことでは到底、わしは、国家の忠臣とは、言えぬであろうが!

このように、理を尽くして制止したので、兵たちもみな折れ、合戦を思いとどまった。

この一部始終を伝え聞いた廉頗は、言葉も無く、ただただ大いに恥じ入るばかりであった。

廉頗 あの藺相如という男、なんというスケールの大きな人間なのであろうか・・・それにひきかえ、このわしは・・・まったくもって、チャチな男よのぉ・・・ハァー(溜息)。

廉頗 ・・・詫びよう・・・じかに会って、詫びるのじゃ!

廉頗は、杖を背中に負い、藺相如のもとに赴いた。

門番 申しあげます、廉頗殿がこれへ! しかも、たったお一人で!

藺相如 なに!

門番 とりあえず、お庭に、お通し申し上げましてござりまするぞい!

藺相如は、あわてて庭に出た。

藺相如 廉頗殿! いったい・・・。

廉頗 藺相如殿、わしはのぉ・・・わしは、今日、あなたにお詫びする為に、やって参りましたのじゃ。

藺相如 ・・・。

廉頗 過日、あなたが兵士らに語られたお言葉をお聞きましての、わしはつくづく、自分が情けのぉなってきましたわい。

藺相如 ・・・。

廉頗 あなたは、まさに、わが国の忠臣じゃ! 自らの全てを国に捧げつくさんとするその誠の心・・・かたや、わしはといえば、自らのプライドにこだわり、つまらんイジばかり張っておるだけではないか・・・つくづく、恥じ入り申した。

藺相如 ・・・。

廉頗 (背中に負ってきた杖を手に持ち)願わくば、この杖でもって、わしを300回ほど打ち据えてくだされぃ。それでもって、わしの罪の償いとさせてくださりませぃ(涙)。

廉頗は庭に立ち尽くし、涙を流している。

義の心深く、怨みの心を全く持たない藺相如が、廉頗を杖で打つはずがあろうか、

藺相如 廉頗殿、廉頗殿・・・よぉおこしくださりましたなぁ・・・さ、さ、どうぞ、中へお入りくださりませ、さ、さ、さような所に、お立ちにならずに。

廉頗 ・・・(涙)。

藺相如 おぉい、酒の用意じゃ! これから廉頗殿と、一献(いっこん)傾けるでなぁ!

藺相如家人一同 ハイハイハイーっ!

廉頗 藺相如殿・・・(笑顔)。

藺相如は廉頗をもてなし、大いに親交を深めて家に帰した。まことに優しいその心。

以来、秦国と楚(そ)国に挟まれ、国土狭く兵力少なき趙国も、藺相如と廉頗が文武の両道さかんに国を治めている間は、他国の侵略を受ける事なく、その王権は長く保たれた。

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私心を忘れ、君主への忠節を専らにせんと志す人は、この藺相如と廉頗を、範とすべきである。

しかしながら、足利幕府を倒そうとしている虎や龍が、国土の四方辺境で機を窺っているという今この時に、高(こう)と上杉(うえすぎ)の両家の人々は、さしたる怨みも無く、大して咎められるような点もないのに、互いに権を争い、相手の威をそねみ、何とかして確執に持ち込まんと、互いにスキをうかがっているのである。

まさに、両者共に「忠臣からは、ほど遠し」としか、言いようがない。

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