太平記 現代語訳 9-7 六波羅庁、陥落

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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北条仲時(ほうじょうなかとき)と北条時益(ときます)のもとへ、糟谷宗秋(かすやむねあき)が駆け込んできた。

糟谷宗秋 大変です! わが陣営内から逃亡者続出、残ってるのは、1000騎たらず!

北条仲時&北条時益 ナニッ!

糟谷宗秋 こんな人数で、あんな大軍防ぐなんてムリ、ぜったいムリです!

北条仲時 ・・・。

北条時益 ・・・。

糟谷宗秋 東側だけはまだ、敵に塞がれてません。今すぐ、ここから脱出されませ! 天皇・上皇両陛下をお連れして。

北条仲時 ・・・。

北条時益 ・・・。

糟谷宗秋 関東へ落ち着かれたら、もう大丈夫。大軍を率いて再び上洛、京都を攻めればいいのです!

糟谷宗秋 佐々木時信(ささきときのぶ)が、瀬田(せた:滋賀県・大津市)の宇治川(うじがわ)の橋を守ってますからね、彼の軍勢といっしょに行けば、兵力は十分、道中無事に行けるでしょう。佐々木がお供するとなったら、近江(おうみ:滋賀県)の中で手出ししてくるヤツなんか、ゼッタイいやしませんから。

糟谷宗秋 近江さえ過ぎてしまえば、もうその先はOK。美濃(みの:岐阜県南部)、尾張(おわり:愛知県西部)、三河(みかわ:愛知県東部)、遠江(とおとおみ:静岡県西部)、あっち方面で、敵方に寝返った者がいるってな情報はありませんからね。鎌倉までの道中、きっと、平穏無事に行けますって。

糟谷宗秋 鎌倉へ到着されたらね、反逆軍討伐、そく、決行してくださいよ!

北条仲時 ・・・。

北条時益 ・・・。

糟谷宗秋 ほらほら、グズグズしてる場合じゃないでしょ! こんなチッポケな平城(ひらじろ)にですよ、天皇陛下と上皇陛下にこもっていただいた末に・・・わが方の名将たちがですよ、あんなつまんねえヤツラの手にかかって死ぬだなんて・・・そんな事、あってたまるかってんだ! さ、さ、一刻も早く、鎌倉へ! さ、早く! 早く!

北条仲時 宗秋の言うのも、もっともだよな、時益殿。

北条時益 よし、わかった! 宗秋、お前の言う通りにするよ。

糟谷宗秋 ウン!(強くうなずく)

北条時益 そうと決まったら、急がなきゃ。まずは、女院(にょいん)、皇后、摂政関白ご夫人方はじめ、女こどもをこっそり逃がす。そいでもって、我々も、心を落ち着けて包囲陣の一角を打ち破り、関東へ向けて脱出だ!

北条仲時 OK!

二人は、小串秀信(おぐしひでのぶ)をつかわして、院と御所にこの旨を奏上した。

光厳天皇(こうごんてんのう) なんやて、ここを脱出する?!(顔面蒼白)

皇太后 なんとまぁ、えらいこっちゃがな!

天皇、皇太后はじめ、皇后、女院、摂政関白夫人、内侍(ないし)、上童(うえわらわ:注1)、上級女官たちに至るまで、敵に包囲された中に閉じこめられて、恐怖は既に頂点に達していた。そこへもってきて、六波羅庁(ろくはらちょう)両長官からのこの思いもよらぬ言葉に、全員パニック状態になってしまった。

一同 えらいこっちゃ、どないしょ、どないしょ! うああああ・・・(涙)

思いもよらぬ別離の悲しみ、この先いったい、自分の運命はどうなっていくのであろうか、そのような事など一切考える心の余裕もなく、全員はだしのまま、我先にと、六波羅庁から脱出していく。まさに、かの古代中国の逸話、「金谷園(きんこくえん)に咲きこぼれていた春の花が、朝の嵐に吹かれて四方に霞のように散っていってしまい」のごとしである。

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(訳者注1)朝廷に仕える童男・童女
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仲時は、別れの言葉を告げるために、妻の居室に入った。

北条仲時 ・・・。

仲時の妻 ・・・。

北条仲時 どんな突発事件が起こって、京都を去らざるをえなくなったとしても、キミとはゼッタイに離れるまい、どこまでもどこまでも、いっしょに連れてくぞ・・・オレはね、ずっとそう思ってきたよ。

仲時の妻 ・・・。

北条仲時 でもなぁ、東も西も敵だらけ、道はみんな塞がれちゃってる・・・これから関東への道中、どんな危険があるか分かりゃぁしない。キミをそんな危ない目に、あわすわけにはいかないよ。

仲時の妻 ・・・。

北条仲時 キミは女だからね、万一の場合にも命だけは助かるだろう。松壽(まつじゅ)もまだ幼いからな、たとえ敵に見つかったとしてもだ、いったい誰の子だか分からない、大丈夫だろう。

仲時の妻 ・・・。

北条仲時 今のうちに、な、な、夜の闇に紛れて、ここを脱出してくれ。どこか田舎に身を隠してな、世間が静かになるまで、しばらくじっと待ってりゃいいよ。

仲時の妻 あなたは?

北条仲時 オレは、陛下をお守りして鎌倉へ行く・・・大丈夫だよ、オレの事は心配すんなって。

仲時の妻 ・・・(涙)。

北条仲時 無事、鎌倉へ着いたらな、すぐに迎えの者よこすから・・・な、な?

仲時の妻 ・・・(涙)。

北条仲時 ・・・もしも、道中でオレが討たれたと聞いたら・・・誰かいい人と再婚してな、松壽を何とか成人させてやってくれ。ものごころつく程にまで育ったら・・・出家させてな、オレの菩提をとむらわせてやってくれよな・・・(涙)。

仲時は悲しそうにつぶやき、涙を流しながら立ち上がった。

仲時の妻 いや! いや! ううう・・(涙)(仲時の鎧の袖にすがりつく)

仲時の妻 (涙)どうして、そんなつれないこと言うのよ! 薄情よ、薄情だわ!

北条仲時 ・・・。(涙)

仲時の妻 (涙)こんな時に幼い子供を連れてうろつきまわってたら、落人(おちうど)の家族だって事、いっぺんに解ってしまう。

北条仲時 ・・・。(涙)

仲時の妻 (涙)知人のとこに身を寄せたって、敵に探し出されるに決まってる・・・あたし、はずかしめられて・・・松壽、殺されてしまう!

北条仲時 ・・・。(涙)

仲時の妻 (涙)お願い! いっしょに連れてって! 道中、もうどうしようもなくなったら、そこでいっしょに死にましょうよ!

北条仲時 ・・・。(涙)

仲時の妻 (涙)いったい、どこの誰に頼れというのよ、頼れるとこなんか、どこにもありゃしないわ! 吹きっさらしの木の下に、秋風吹きすさぶ露の中に捨てて行かれたんじゃ、あたし、あたし・・・とても生きていけない・・・ううう(涙)。

北条仲時、心は猛しといえども、さすがに岩木の身にはあらず、嘆き悲しむ妻を前に別れを惜しみ、なかなかそこを離れることができない。

古代中国において、漢(かん)の高祖(こうそ)と楚(そ)の項羽(こうう)、互いに闘いあうこと70余度。項羽はついに高祖の軍に包囲され、来(きた)る夜明けとともに到来する自らの死を覚悟。自軍を包囲する漢の兵が四面にみな項羽の郷里、楚の地の歌を歌っているのを聞き(注2)、項羽は幕の中に入って夫人の虞(ぐ)(注3)に相対し、別れを惜しみ悲みを含んで自ら詩を読んだ。いわく、

 わが力は山を抜き わが気概は広大な世界をも覆いつくす
 されども 時 我に利せず わが乗馬・騅(スイ)も 前進するのを止めてしまった
 騅よ 騅よ なぜ前へ進んではくれぬのか このわしにいったい どうせよというのじゃ
 虞よ 虞よ お前をどうすればよいのじゃ このわしは

(原文)
 力抜山兮気蓋世
 時不利兮騅不逝
 々々々可奈何
 虞氏兮々々々奈若何

悲しみ歌い、嘆き憤(いきどお)り、涙にむせぶ項羽・・・虞夫人は悲しみに耐え兼ねて、即座に自ら剣の上に伏し、項羽に先立って命を絶った。

翌朝、項羽は28騎を伴って戦場に臨み、漢軍40万騎をかけ破り、自らも剣を振るって漢の将軍3人の首を取った。生き残った自軍の兵に向かって項羽いわく、

 我ついに 漢の高祖がために亡されぬる事
 戦いの罪にあらず 天 我を亡せり

自らの運命を見極めた末に、ついに烏江(うこう)のほとりにて自害した項羽の心境、かくのごとしかと、仲時と妻との悲しい別離を見つめる周囲の人々も皆、涙を落とす。

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(訳者注2)項羽の郷里の歌を歌う者が敵軍中にいるということは、彼の本拠地にいた者たちまでもがすでに、敵軍に寝返って包囲網に加わっていることを意味している。ゆえに項羽は絶望してしまったのである。これが「四面楚歌」の語源である。

(訳者注3)この女性の名が「虞美人草(ぐびじんそう)」の語源である。
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北条時益 さぁー行くぞぉ! しゅっぱぁーつ(出発)!

時益は、光厳天皇ら一行の先頭に立ち、馬を走らせはじめた。

北条仲時邸の中門のすぐ前を通り過ぎながら、彼は叫んだ。

北条時益 おぉい、仲時殿、いったいナニぐずぐずしてんだぁー! 陛下はもう、馬に乗られてるぞぉー!

彼はこのように言い捨てて、六波羅庁を出ていった。

北条仲時 もう行かなきゃ・・・じゃ・・・元気でな!

仲時の妻 (涙)いや! いや! 連れてって! 連れてって!

北条仲時 すまん!(鎧の袖に取り付く妻と幼い子供を、ムリヤリ引き放す)

仲時は縁側から馬にまたがるやいなや、六波羅庁の北門を出て東方に馬を走らせる。後に残った人々は泣く泣く左右に別れ、行くあてもないままに、東門を通って六波羅庁から脱出していく。

北条仲時 ヘヤァ! ヘヤァ! ヘヤァ! ヘヤァ!・・・(馬に鞭を連打、鐙(あぶみ)を連打)

仲時の乗馬 ドドッ、ドドッ、ドドッ、ドドッ・・・。

仲時の耳の奥には、別離の際の家族の泣き叫ぶ声が渦を巻いている。

 いや! いや! 連れてって! 連れてって! 連れてって・・・

仲時は、未練の一切を断ち切ってしまわんと、さらに激しく馬を鞭打つ。

北条仲時 ヘヤァ! ヘヤァ! ヘヤァ! ヘヤァーッ!・・・(馬に鞭を強連打、鐙を強連打)

仲時の乗馬 ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ・・・。

日没とともに、心はますます暗く沈み、ただただ、馬にまかせて東方へ東方へ・・・進み行く道はまさに暗夜行路(あんやこうろ)、二つに分かれた二人の行く道、この先再び交わる事は無しと、夫も妻もまだ知る由もない・・・あぁ、何と哀れな事であろうか。

14、5町ほど馬を走らせた後、はじめて仲時は後ろをふりかえった。はや、既に火が放たれたのであろうか、六波羅庁の方角には一片の煙が立ち上っている。

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矢 ピィューン、ピィューン、ピィューン、ピィューン・・・。

時は五月の闇夜、一寸先も見えぬ暗黒のしじまの中に、苦集滅道(くずめじ:京都市・東山区・清水寺付近)一帯には早くも、落ち武者狩りに出動の野伏(のぶし)たちが充満。六波羅庁メンバー一行めがけて、十方から矢が飛んでくる。

矢 ピィューン、ピィューン、ピィューン、ズグッ!

北条時益 うっ!

一本の矢が時益の首に突き立ち、骨にまで達した。ドウと落馬する時益。

糟谷時広(かすやときひろ)殿! 大丈夫ですか!

糟谷時広は、馬から下りて時益のもとに駆け寄り、首に刺さった矢を抜いた。それと同時に、時益は息絶えた。

糟谷時広 殿ぉ! 殿ぉーー!・・・(涙)

糟谷時広 おのれぇ! よくも殿を!!!

矢を放った敵は、いったいどちらの方向に潜んでいるのであろうか、この闇夜では、馳せ合わせて敵を討つ事もできない。敵の目を忍んでの逃亡の道中であるから、仲間を呼んで反撃に打って出ることも不可能である。

糟谷時広 殿、殿の仇を討ちたいけど、どうにもしようがありません。これからお側で自害して、あの世までも主従の義を貫きます!(涙)

時広は泣く泣く、時益の首を取り、錦の直垂(ひたたれ)の袖に包んで、路傍の田中深く隠した。そして、自らの腹をかき切って時益の遺骸の上に重なり倒れた。彼は時益をしっかと抱きかかえながら、息絶えていった。

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四宮河原(しのみやがわら:京都市・山科区)のあたりにさしかかった時、六波羅庁メンバー一行の前後に。叫び声が上がった。

野伏たち おぉい、そこ行きよんのん、落人やぞぉー!

野伏たち さっさと捕まえて、身ぐるみ剥(は)いでまえー!

矢 ピィューン、ピィューン、ピィューン、ピィューン・・・。

四方から雨のように矢が射られてくる。

皇室メンバーA あぁ、もうあかん。

皇室メンバーB もう先へは進めへん。

公家たち あかん、あかん、もうあかん!

皇太子をはじめ、ここまでお供してきた公家たちも四方へ逃亡してしまい、光厳天皇の前後にはわずかに、日野資名(ひのすけな)、観修寺経顕(かじゅうじつねあき)、綾小路重資(あやこうじしげすけ)、禅林寺有光(ぜんじんじありみつ)がいるだけになってしまった。

一片の暁の雲をへだてて都を後にし、思いはひたすらに東方万里の彼方、鎌倉へ鎌倉へ・・・。しかし、この思いがけない災難に遭遇し、天皇も上皇も苦悩にうちのめされ、涙が止まらない。

後伏見上皇(ごふしみじょうこう) (内心)中国唐王朝の安禄山(あんろくざん)の乱の時、玄宗(げんそう)皇帝は長安の都を後にして、剣閣(けんかく)の険しい山道を逃げのびていったというが・・・(涙)。

光厳天皇 (内心)あの寿永(じゅえい)年間の、平家の人々に守られての安徳(あんとく)天皇の瀬戸内海逃避行も、こないな感じやったんやろぉなぁ・・・(涙)。

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五月の短い夜も、いまだ夜明けにはほど遠く、逢坂の関(おうさかのせき:滋賀県・大津市)よりこちらは一面闇の中。一行は、杉の木陰(こかげ)に馬を止めて小休止をとった。と、その時、

矢 ヒューン・・・ブシュッ!

光厳天皇 あぁっ!

陶山次郎(すやまじろう)は、急いで馬から飛び降り、天皇の側に駆け寄った。

陶山次郎 陛下、いかがなさいましたか!

光厳天皇 左の・・・肘(ひじ)・・・あぁ・・・。

陶山次郎 うっ・・・こりゃいかん、矢ぁささっとる! 陛下、御免おそばせ!

矢 グイッ!(腕から矢が抜かれた)

光厳天皇 うぁっ!

陶山次郎 矢ぁ抜けましたわ、早く傷口吸って毒出しとかんと・・・御免つかまつります!

陶山次郎の口 グジュゥー・・・ペッ! グジュゥー・・・ペッ!

陶山次郎は、天皇の矢傷に口を付けて血を吸った。玉体から流れ出る血潮は、雪のように白い肌を見る見る真っ赤に染めていく。なんともはや、おいたわしい事である、もったいなくも万乗の君が、いやしき匹夫の矢に傷つけられるとは・・・まるで、神龍が釣り人の網にかかるようなものではないか・・・まったくもって、あさましい世の中になってしまったものである。

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ようやく、夜が明けそめてきた。

わずかに朝霧が残る中に、北方の山の方を見渡せば、野伏とおぼしき連中ら5,600人ほどが、盾をつき弓を構えて、一行を待ちかまえているではないか。六波羅庁メンバーたちは、ただただ呆然と立ちつくすばかり。

先頭を進んでいた備前(びぜん)国の住人・中吉弥八(なかぎりのやはち)は、野伏たちの方に馬を進め寄り、叫んだ。

中吉弥八 もったいなくも、一天の君が、関東へ御旅行の道中だっちゅうに、このような狼藉(ろうぜき)働くやつぁ、いったいどこのドイツだ! 心あるモンならば、弓を置き、兜を脱いで、ここを通せ! そっちに礼儀をわきまえとるヤツが一人もおらんというんなら、オマエら全員召し取り、首切ってからここ通ったるでぇ!

野伏一同 うわはははははは・・・。

野伏A あんなぁ、あんた! いくら「一天の君」言うて、そないに大声でワメキ散らさはってもやなぁ、そこにいはんのん、もう運もナニも尽き果ててしまわはった「一天の君はん」やないかいなぁ。

野伏一同 うわはははははは・・・。

野伏B 「関東へ御旅行」やなんて、そないな優雅なもんとちゃうやろがぁ! 命カラガラの逃避行やんかぁ。

野伏一同 うわはははははは・・・。

野伏C そうそう簡単にはなぁ、「はぁそうですか、ほな、一天の君はん、どうぞ、お通りやしておくれやっしゃ」ってなわけには、まいりませんのやわ。

野伏一同 うわはははははは・・・。

野伏A わしら、ここを通さんとは、言わへんでぇ。無事通りたいんやったらなぁ、お供しとる武士らの馬に鎧、兜、みんなここへ置いてから、心安うお通りやす。

野伏一同 そうやそうや、置いてけ、置いてけ!

中吉弥八 にくったらしいヤツらじゃのぉ。よぉし、そんなに欲しけりゃぁ、取ってみぃや!

弥八とその若党6騎は、馬の鼻を並べ、野伏たちの群れめがけて突撃した。欲の皮のつっぱった野伏らは、蜘蛛の子を散らすように四方へ逃亡していく。弥八らは、六方へ分かれて数十町ほども彼らを追跡した。

弥八は、あまりにも深追いしすぎた。やがて彼は、返し合わせてきた野伏20余人に包囲されてしまった。

彼は少しもひるまず、野伏グループのリーダーとおぼしき人物に馬を馳せ並べ、ムズと組み付いた。

馬と馬の間に、二人はドウと落ちた。勢い余って、4、5丈ほどもの高い崖の上から、二人は転落した。上になり下になりして転げ落ちながらも、二人とも共に組んだ手を放さないまま、深田の中へ転げ落ちた。

相手の下になってしまった弥八は、

中吉弥八 (内心)下から突き上げて、コイツを一刺し。

彼は、腰に手をやった。

中吉弥八 (内心)あっ! 無い! 刀が無い!

転落する最中に、刀が抜け落ちてしまったのであろう、そこには鞘しか無かった。

野伏は、弥八の胸板の上に馬乗りになった。鬢(びん)の髪をひっつかみ、今にも弥八の首をかかんとする。

弥八は、刀もろとも、相手の腕をぐっと強く握りしめ、

中吉弥八 ちぃと待て! おれの話、聞け!

野伏X (ハァハァハァ・・・息荒く呼吸)

中吉弥八 もうおれを恐れる事はねぇで、おれ、刀持っとらんもんな。

野伏X (ハアハアハア・・・息荒く呼吸)

中吉弥八 刀さえありゃ、オマエをハネ返して勝負できるじゃろうにのぉ・・・。後に続いとる味方もいよらんけん、ここまで降りてきて、助けてくれるモンもおらんわのぉ。

野伏X ・・・。

中吉弥八 あのなぁ、おまえ、よぉ考えてみいやぁ、おれを殺して首取って差し出してみてもやで、首実検の場にはゼッタイに行かんよ、おれの首。だから、ゼーンゼンおまえの手柄にゃならんっちゅぅの!

野伏X なんでや?!

中吉弥八 おれはなぁ、六波羅庁のシガナイ雑役夫(ざつえきふ)、六郎太郎(ろくろうたろう)ってもんじゃけぇ、おれの事なんか知っとるヤツ、誰もいやせんのよ。

野伏X ・・・。

中吉弥八 何の役にも立たん下っ端の首取るなんちゅうような、罪作りな事するよりな、もっとエェ事、世の中にあるでぇ。な、おれの命、助けてくりゃぁ! お礼に、エェこと教えちゃるから。

野伏X なんやねん? そのエェ事とは?

中吉弥八 フフフ・・・聞いて驚くなよぉ。六波羅庁の中に、6000貫の銭、埋めたるとこ、 おれ知っとるんよ。

野伏X ナニ! ナンヤテ! 6000貫!

中吉弥八 そこまで、おまえ連れてってやるよ。そしたらその銭、一人占めできるじゃろ?

野伏X ふーん・・・こらなかなかエェ話やないかい・・・よし、その話、乗ったで!(抜いた刀を鞘(さや)に差し、下になっていた弥八を引き起こす)

野伏は、弥八の命を助けたのみならず、様々な贈り物までし、酒のもてなしまでした。そして、弥八を京都に連れていった。

二人は、六波羅庁の焼け跡へやってきた。

中吉弥八 (首をしきりに傾げながら)おかしいのぉ・・・たしかに、ここに埋められとったのに。

野伏X ・・・。

中吉弥八 こりゃきっと、誰か先に掘って取ってしもぉたんで。いやぁ、すまんのぉ、あんたに大儲けさせたげようて、思ぉとったんじゃが。

野伏X (ガックリ)・・・。

中吉弥八 あんたの耳たぶ、薄いのぉ。運のめぐりが悪い人相じゃ。ドウリでのぉ・・・あははははは・・・。

まんまと野伏を欺いた弥八は、作り笑いをして、六波羅庁一行のもとまで引き返した。

中吉弥八の一計により、ようやく活路が開けた。

六波羅庁一行はその日、篠原(しのはら:滋賀県・野洲市)宿にたどり着いた。

彼らは、粗末な網代輿(あじろかご)を探し出して、天皇をそれにお乗せした。徒歩の武士たちが、俄か仕込み(にわかじこみ)のかごかき人夫となって、輿の前後に連なった。

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光厳天皇にここまでなんとか、つき従ってきた延暦寺(えんりゃくじ)座主・尊胤法親王(そんいんほっしんのう)であったが、その内心たるや、先行き悲観に傾いていく一方である。

尊胤法親王 (内心)こないな調子ではなぁ、この先いったいどないなることやら。到底無事には、鎌倉にはたどりつけへんやろ。

尊胤法親王 (内心)しゃぁないな、しばらくどこかに、身を隠すとしよか。

尊胤法親王 あー、これこれ、うちのお寺の門徒、誰かこの中にいいひんか?

武士Y うーん・・・みんな、昨夜の道中での合戦で負傷してしまって、そのまま、あそこに倒れてるのか・・・あるいは、心変わりして逃げてしまったか・・・。経超(きょうちょう)様と浄勝(じょうしょう)様の他には、誰もおりませんよ。

尊胤法親王 そうか・・・これでは、とても長旅はムリやわなぁ。

というわけで、尊胤法親王は一行と袂を分かち、伊勢(いせ:三重県中部)へ向かった。

「山賊の出没が日常茶飯事の鈴鹿(すずか)山中(注4)、皇室飼育馬に白鞍などおいて行ったのでは目立ちすぎ、道中の災いを招きかねない」というわけで、馬をすべて宿場の長に賜り、尊胤法親王は徒歩で行程を進む事になった。

法親王は、長い絹の衣にシュロの葉であんだ草履を履き、経超は、アコメの上に黒衣をはおり、水晶の数珠を手に持ち、法親王と共にとぼとぼと歩んでいく。

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(訳者注4)近江から伊勢へ行くには、鈴鹿山脈を越えることになる。
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この一行を見れば誰しも、「あぁ、あれは落人だな」と、気がつくはず。なのに、これもまた、延暦寺守護の山王権現(さんのうごんげん)の御加護の賜物(たまもの)であろうか、道中に出会った山の木こり、野の草刈り人らが法親王の御手を引き、御腰を押して、鈴鹿山越えを助けた。

ようやく伊勢へたどりついた尊胤法親王は、伊勢神宮のある神官に対して援護を懇願。神官は心ある人物で、自分の身の上に危険が及ぶのも顧みずに、法親王をかくまった。かくして、尊胤法親王は、そこに30余日間滞在した。

京都方面の戦火が静まった後、法親王は京都へ戻り、白毫院(びゃくごういん:当時は北区、後、上京区に移動)という寺院に入った。その後3、4年間、法親王は遁世の形を取って、そこに住み続けた。

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