太平記 現代語訳 20-8 義貞の乗馬、暴れる

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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うるう7月2日、「いよいよ足羽(あすは)城攻め、開始!」との伝達が回り、越前(えちぜん)国中の新田サイド勢力が、河合庄(かわいしょう:福井県・福井市)の新田義貞(にったよしさだ)の陣営に集まってきて、雲霞(うんか)のごとき大軍勢となった。

大将・新田左中将(さちゅうじょう)義貞は、赤地錦の直垂(ひたたれ)に、鎧の脇立てだけを装着して、中門脇の廊下に座り、その左の一番座には、紺地の錦の直垂に、小具足(こぐそく)だけを装着した、脇屋義助(わきやよしすけ)が座る。

その他、山名(やまな)、大館(おおたち)、里見(さとみ)、鳥山(とりやま)、一井(いちのい)、細屋(ほそや)、中條(なかじょう)、大井田(おおいだ)、桃井(もものい)以下の、新田一族30余人が、思い思いの鎧兜、色とりどりの太刀、刀を帯び、美麗を尽くして、東西2列の座に連なる。

新田一族以外からは、宇都宮泰藤(うつのみややすふじ)をはじめ、禰津(ねづ)、風間(かざま)、敷地(しきぢ)、上木(うえき)、山岸(やまぎし)、瓜生(うりう)、河嶋(かわしま)、大田(おおた)、金子(かねこ)、伊自良(いじら)、江戸(えど)、紀清両党(きせいりょうとう)以下、陣営に参加の軍勢3万余人が、旗竿を傾け、膝を屈し、手をつかねて、屋内庭前に充満。

由良(ゆら)と舟田(ふなだ)に大幕を掲げさせ、大将・新田義貞が一同に目礼するや、全員一斉に座を立って、いざ出陣!

その、巍々(ぎぎ)たる装い、堂々たる様・・・「足利尊氏(あしかがたかうじ)から天下を奪う人、それはこの、新田義貞!」・・・その時その場に居合わせたすべての者の思いは、一致していた。

今回の戦の軍奉行(いくさぶぎょう)を勤める上木平九郎(うえきへいくろう)が、人夫6,000余人に、幕、垣盾(かいだて)、埋草(うめくさ)、塀柱(へいばしら)、櫓建設のための資材を持ち運ばせてやってきた。

さぁ、いよいよ大将の出陣。

義貞は、中門の前で、鎧の上帯を締めさせた。そして、「水練栗毛(すいれんくりげ)」という名前の体長5尺3寸もある大馬に、たずなを打掛け、門前でそれに乗ろうとした。

その時、急に馬が暴れだした。狂ったように躍り上がり、左右にいた馬の口取り2人がこれに踏まれて、半死半生状態になってしまった。

示された不思議は、これだけでは無かった。

戦場へ向かう途中、義貞のすぐ後に続いていた旗手が足羽川(あすはがわ)を渡る時、彼の乗馬が急に川の中に伏してしまい、旗手は水びたしになってしまった。

このような不可思議な事象が、事前に義貞の凶なる運命を暗示していたのであったが、

新田軍メンバーA (内心)うーん・・・まいったなぁ・・・。

新田軍メンバーB (内心)戦に臨む途上に、凶事が2件も・・・。

新田軍メンバーC (内心)でもなぁ、もうすでに、出陣してしまったことだし・・・。

新田軍メンバーD (内心)今さら引き返すわけにも、いかんだろうぉ。

新田軍メンバーE (内心)あぁ、誰か、「おい、この戦、エンギ悪いから引き返そうや」って言い出してくんねぇかなぁ。そしたら、おれも賛成するんだけどぉ。

新田軍メンバーF (内心)あぁ、みんな黙々と進んでいく・・・しようがねぇなぁ。

新田軍メンバーG (内心)それにしても・・・どうにもエンギが悪いんだ・・・いやぁな予感がして、しょうがねえや。

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