太平記 現代語訳 29-2 足利尊氏、京都を奪還せんとす

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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心細い思いの中に京都を出た足利義詮(あしかがよしあきら)は、桂川(かつらがわ)を西へ渡った。

向日明神(むこうみょうじん:京都府・向日市)の前を南へ過ぎようとした時、前方の物集女(もずめ)、西岡(にしおか)の辺に、大軍が進んでくるのが見えた。小松の生い茂る原からたった今、姿を現したばかりの軍勢ゆえ、その兵力を判断しがたく、ただ、おびただしい馬煙(注1)と旗2、30本が翻っているのだけを、かろうじて認める事ができた。

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(訳者注1)馬が掻き立てる土煙。
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義詮は馬を止めて、

足利義詮 もしかして、あれは、八幡山(やわたやま:京都府・八幡市)からカラメ手方面に攻めてきた敵軍かも。(注2)

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(訳者注2)八幡山に陣を敷いている、足利直義側の軍。
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さっそく、斥候(せっこう)を送って調べさせたところ、それは、八幡山から来た敵軍ではなく、尊氏(たかうじ)と高師直(こうのもろなお)率いる軍勢であった。山陽道一帯の勢力を集めて2万余騎の軍を編成し、京都へ帰ってきたのである。

足利義詮 やれやれ・・・これで安心だね。

義詮軍メンバーA (内心)嬉しいねぇ・・・これってまるで、法華経(ほけきょう)の中にある、あの話みたい。

義詮軍メンバーB (内心)家出して、あちらこちらと放浪しまくってた息子が偶然、父の長者の家の前に立ったっていう、あの有名な話ね。

義詮軍メンバーC (内心)さしづめ、「窮子、父の長者に逢える喜び」ってとこだよなぁ・・・あぁ、やれやれだ。

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足利尊氏 今からすぐに・・・京都へ押し寄せるとしようじゃないか・・・桃井(もものい)を攻め落とし、首都を奪還。

足利義詮 はい!

足利尊氏 そちらの軍勢とこちらの軍勢・・・合わせて兵力2万余騎・・・十分だよな。

足利義詮 はい!

足利尊氏 みんな・・・桂川を渡河の後、三手に分かれて進軍。

足利軍リーダー一同 おう!

足利尊氏 師直・・・第1軍は・・・おまえにまかせるからな・・・総指揮を取れ。

高師直 ハハーッ!

足利尊氏 第1軍のリーダー・・・仁木頼章(にっきよりあきら)、仁木義長(よしなが)、細川清氏(ほそかわきようじ)、今川頼貞(いまがわよりさだ)・・・兵力5,000。

第1軍リーダー一同 ハハーッ!

足利尊氏 第2軍は・・・第2軍は・・・佐々木殿に、お願いするとしようか。

佐々木道誉(ささきどうよ) まぁかしてといてちょ!

足利尊氏 で・・・どれくらいの兵力を・・・ご希望かな?

佐々木道誉 いやいや、心配ご無用、うちの連中らだけで、十分ですわ。

足利尊氏 了解、ご存分に。

佐々木道誉 OK!

足利尊氏 第3軍は、私と宰相殿(さいしょうどの:注3)が、指揮を取る。

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(訳者注3)義詮の事。「宰相」は参議(官職)の別称。
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第3軍リーダー一同 ハハーッ!

足利尊氏 桂川渡河の後・・・各方面軍3手に分かれて、京都へ進入。

足利尊氏 第1軍は、四条通りを一直線に東へ。

足利尊氏 第2軍は、東寺(とうじ:南区)の前を東へ進んだ後に・・・そうだなぁ・・・日吉神社(ひえじんじゃ:東山区)あたりの東山(ひがしやま:東山区)へ登って待機ってセンで、どうだろ?

佐々木道誉 旗竿を下ろし、笠標(かさじるし)を巻き隠してね。

足利尊氏 そうそう。

足利尊氏 第3軍は、大宮(おおみや)通りを二条大宮(にじょうおおみや:注4)まで北上した後、二条通りを法勝寺(ほうしょうじ:左京区)を目指して東へ進む。

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(訳者注4)二条通り(東西に走る)と大宮通り(南北に走る)の交差点。
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足利尊氏 最新の情報によれば、桃井は現在、東山に陣取っている。四条通りを東進してくる第1軍を見たら、おそらく、東山から下りてきて、鴨川(かもがわ)に防衛ラインを敷くだろう。

足利尊氏 第1軍は、しばらくそこでもみ合った後、わざと退却しろ。桃井はきっと、勝ちに乗じて追撃にかかってくるだろう・・・佐々木殿、そこをすかさず、後方から急襲。

佐々木道誉 ガッテンガッテン!

足利尊氏 前と後から攻められて、桃井軍は大混乱に陥る、そこに第3軍がトドメを。

足利義詮 我々は、桃井軍を、北白河(きたしらかわ:左京区)方面から突くのですね?

足利尊氏 そうだよ。

高師直 ウハハハ・・・こりゃぁもう、勝ったようなもんですなぁ。いくら勇猛果敢な桃井だって、そうなりゃ退散する他ないでしょう、ウハハハ・・・。

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桂川を渡河の後、作戦通りに、高師直率いる尊氏サイド第1軍は、大宮通り付近で旗を降ろし、四条河原へ一直線に進んだ。

第1軍のその動きを、東山の上から観察していた桃井直常(もものいなおつね)は、

桃井直常 おぉ、来やがった来やがった。よぉし、全軍、鴨川まで前進ィーン!

桃井軍メンバー一同 オーゥッ!

桃井軍は東山を背にし、鴨川を前に、防衛ラインを敷いた。

赤旗一揆(あかはたいっき)、扇一揆(おうぎいっき)、鈴付一揆(すずつけいっき)各武士団から構成の2,000余騎が、3か所に分散布陣。射手を前線に進め、垣盾(かいだて)200~300個をつき並べ、相手がかかってきたら一斉に迎撃し、広い河原の中で勝負を決しようと、無言の中に待機する。

やがて、尊氏サイド第1軍が、戦場に到着。

両軍、旗を上げ、トキの声を上げつつも、尊氏サイド第1軍は、他の軍よりの準備完了の合図を待って、戦端を開こうとはしない。桃井軍も、八幡よりの援軍の到着を待って、戦闘開始をわざと遅らせようとした。

両軍相対して戦意をかき立てている間にも、5騎あるいは10騎と集団で、あちらこちらと馬を走らせたり止まらせたりしているグループがいる。これは、いざ戦闘開始となれば進退自在に対処するために、馬のウォーミングアップをしているのである。母衣(ほろ)袋から母衣を取り出し、「さぁ、いよいよこれから、我が命のかかった大事な戦が始まるぞ」と、いかにも覚悟定めた形相の中に、鎧を装着している者もいる。

やがて、桃井サイド・扇一揆武士団の中から、一人の男が最前線に現われた。身長はおよそ7尺、黒い髭に血を注いだような眼、火威(ひおど)しの鎧に5枚シコロの兜の緒を締め、鍬形(くわがた)の間には、太陽と月を描いた紅色の扇を全開。夕日にその扇が真っ赤に染まっている。

手には1丈強の長さの樫(かし)製の棒を持っている。その棒は八角形に削られていて、両端に金具をつけて重みを加えてある。彼は、その棒を右の小脇に挟み、口から白泡吹く白瓦毛(しろがわらげ)の太くたくましい馬にまたがり、たった一騎、河原に進み出て、大音声をもっていわく、

秋山光政(あきやまみつまさ) いったん戦場に臨んだが最後、誰だって一応は討死覚悟ってもんだろさ。でもなぁ、今日のおれのこの心境、そんな通りイッペンのもんじゃぁねぇよ! おれはもうこの命、バァーンと投げ捨ててしまったんだわさぁ、みんな、わかってくれっかなぁ。

秋山光政 この戦が終わった後によぉ、「あいつの日頃の大口、ありゃぁ、ダテじゃぁなかったなぁ」ってな事、みんなで言ってくれりゃぁいいよなぁ・・・そうなりゃ、おれも大満足ってもんだい。

秋山光政 それほど有名なおれじゃぁねぇからさぁ、こんなとこで大声出して名乗り上げるのも、なんとなくザァトらしいとは思うけど・・・ま、とにかく、聞いてくれ。

秋山光政 おれっちのルーツは、清和源氏(せいわげんじ)、おれの名は、秋山新蔵人光政(あきやましんくろうどみつまさ)ってんだ、以後どうぞ、お見知りおきをねぇ!

秋山光政 清和源氏なんだから、こう見えても天皇家の血統だい! 皇室を出て臣下の位になってから、まだそんなに経っちゃぁいねぇけど、先祖代々、武略の家に生れ、弓矢の道に励んできたぜぃ。

秋山光政 わが家の武名を高めんがために、おれは、幼少の頃から壮年の今日まで、兵法を学びたしなむに暇(いとま)無しってわけさぁな。ただし、黄石公(こうせきこう)が張良(ちょうりょう)に授けた兵法、あれだけは、おれもまだ勉強できてねぇけど・・・一口に兵法って言っても、レベルがいろいろあってな、あれは天下国家治世レベルの兵法なんだ、武士一人の身を処するようなレベルのもんじゃぁねぇんだよなぁ。

秋山光政 ってわけでぇ、おれがマスターした兵法はだなぁ、鞍馬(くらま:左京区)の奥の僧正谷(そうじょうがたに)で愛宕(あたご)や高雄(たかお)の天狗どもが九郎判官(くろうほうがん)・源義経(みなもとのよしつね)に伝授したってスジのヤツだ。その兵法、隅から隅まで、おれは完璧にマスターしちゃってんだよなぁ!

秋山光政 さぁ、さぁ、そこにいる仁木、細川、高家の方々、我こそはって思う人いるんだったら、名乗りをあげて、いざ勝負ぅ、前へ出て来い、前へぇ! 見物の皆々様の眠気冷ましに、華やかなバトル、いっちょうやらして見ようじゃぁねぇかよぉ!

馬首を西に向けて立つ秋山光政の覇気(はき)に、相手側は完全に威圧されてしまった。仁木、細川、高家の中には、手柄を顕わし名を知られた武士は多数いるのに、いったいどうしたことか、みな互いに周囲を見回すばかり、「あいつにおれが立ち向かって勝負してやろう」と言う者は、一人もいない。

やがて、尊氏サイド第1軍中から、一人の武士が馬を進めて前線に出てきた。丹党(たんとう)武士団所属の阿保忠実(あふただざね)である。

連銭葦毛(れんぜんあしげ)の馬に厚い房を掛け、唐綾威(からあやおどし)しの鎧、龍頭(りゅうず)の兜の緒を締めている。4尺6寸長カイシノギの太刀を抜いて、その鞘を川中へ投げ入れ、3尺2寸長の豹皮の尻鞘(しりざや)かけた金造りの小刀を腰に穿き、たった1騎、大軍の中から進み出ていわく、

阿保忠実 いやぁ、なかなか、お見事なご口上、あぁんまり見事なんでぇ、すっかり聞きほれちまったよなぁ、秋山殿!

阿保忠実 おれは、将軍家執事・高師直様の家臣、阿保肥前守(ひぜんのかみ)忠実ってモンだ。

阿保忠実 おれはね、幼ねぇ時から関東住まいさねぇ。明けても暮れても、山野に獣を追い、川に入っては魚を採り・・・そんなカンジで、身すぎ世すぎしてきたもんですからねぇ、兵法なんか勉強してるヒマございませんでしたねぇ、ハハハハ・・・。その張良一巻の兵法とかいうヤツはもちろんの事、呉氏(ごし)や孫氏(そんし)が伝えたとかいうヤツだって、ただのいっぺんも・・・もう名前すら聞いた事ぁありゃしねぇ、ワッハハハ・・・。

阿保忠実 だけどな、ここでイッパツ、言わせてもらうぜ! 戦場において、状況に応じて態勢を変え、敵を前にして気力を発するってなぁ合戦のノウハウなんてもんはなぁ、兵法なんざぁ勉強しなくったってぇ、勇士でありさえすりゃ、自然と身についてくるもんなんだよぉ! こう言っちゃぁなんだが、このおれだって、元弘(げんこう)、建武(けんむ)以後、300余回もの合戦に、敵を靡(なび)いて味方を助け、強きを破り堅きを砕く事、その数を知らずってとこさねぇ!

阿保忠実 人間、言うだけだったら、なぁんとでも言えるわさ。「九郎判官の兵法」だぁ? フン、笑わせんじゃぁねぇやい! そんな口先だけの自慢が、いったいなんになる? そんなの、矢をつがえずに弓の弦(つる)引くようなもんじゃぁねえか、畑の中で水泳の訓練するようなもんじゃぁねえか! そんな事いくら言ってみたって、誰もビビッちゃぁくれねぇぜ!

阿保忠実 まずは、このおれの戦いっぷりをよぉくよく見てな、大口タタクなぁ、その後にしやがれぃ!

高らかに応答して、静々と馬を進めていく。

尊氏サイド第1軍メンバー一同 おいおい、あれ見ろ。一騎うちが始まったぜ。

桃井軍メンバー一同 こりゃぁ、一世一代のミモノだよぉ。

両軍全員、手を握りしめて、二人にじぃっと見入る。数万の合戦見物の人々も、そこが戦場であることを忘れたかのように至近距離まで走り寄ってきて、「この勝負、さぁどうなるのだろうか」と、かたづを呑んで見つめている。まことに、今日の戦の華、ただこの二人に尽きたり、の感あり。

二人の間が狭まった。互いにニッコリ笑みを交わし、

阿保忠実 行くぜい!

秋山光政 来やがれい!

阿保忠実 エーイ!(ガガガッ:馬に拍車を入れる音)

秋山光政 オーウ!(ガガガッ:馬に拍車を入れる音)

二人は右に駆け違え、左に開き合わせ、縦横無尽に馬を走らせながら、バトルを展開していく。

秋山光政 エェイ!

光政の棒 ビュゥッ(棒が風を切る音)

阿保忠実 なんのぉ!

忠実の太刀 ドヒュィーン!(太刀で棒を受け流す音)

阿保忠実 エェイ!

忠実の太刀 シュィーン!(太刀が風を切る音)

秋山光政 イヤァ!

光政の棒 ブシュッブシュッブシュッ(棒と太刀が接触する音)

3回戦って3回引き離れた。

光政の棒は、先5尺が折り切られて無くなっており、わずかに手元部分を残すのみ。忠実の太刀も、鍔元から打ち折られてしまっており、腰に差した小刀が残っているのみである。

高師直 うーん、こりゃぁいけませんなぁ。忠実は、刀を使わせたらなかなかのもんなんだけど、腕力がちょっとねぇ・・・。どうみても、秋山の方が腕っぷし強いよねぇ・・・このままじゃ、アイツに勝ち目ね(無)えわ。

高師直 おぉい、みなの衆、忠実を死なせちゃぁいかんよ! 秋山を射落しちゃえ!

師直の命令に従い、弓の名手7、8人が河原に出て、光政けがけて矢の雨を降らせ始めた。

秋山光政 ・・・。

光政の棒 バシバシバシバシ・・・(棒を使って飛び来る矢をはたき落す音)

光政は、体の正面に飛び来った矢23本を、棒を使って打ち落した。

忠実も武士の情けを知る男、今は光政を討とうともせず、その矢面(やおもて)に自分の身を置き、

阿保忠実 おい、射ちゃいかん、射るな、射るなぁ!

「秋山光政ほどの武士を、むざむざと射殺してしまうには忍びなし」と、味方を制するその心、まことに爽(さわや)やかなものである。

かくして、この対決は、双方引き分け。まさに万人が目を見晴る名勝負であった。

二人のこの一騎うちは一大ブームを巻き起こし、後日、おびただしい数の神社や仏閣に奉納される絵馬(えま)、あるいは、扇や団扇(うちわ)の絵柄に、「阿保VS秋山・鴨河原対決」のシーンが登場した。

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その後、本格的な戦が始まった。

桃井軍7,000余騎と、仁木・細川軍10,000余騎が、白川一帯を西へ、東へ、一進一退を繰り返す。7、8回と衝突を繰り返す中に、戦死者300人、負傷者多数。

両軍互いに戦い疲れ、一息入れている所に、かねてよりの作戦通り、尊氏サイド第2軍すなわち佐々木軍700余騎が、思いもよらぬ中霊山(なかりょうぜん:位地不明)の南方からドッと一斉にトキの声を上げ、桃井軍の後方を急襲した。

これに驚いた桃井軍は、陣を乱しながらも、二方面の相手と戦い続けた。

西南方向から攻めかかる尊氏サイド第1軍が徐々に桃井軍を圧倒し始め、まさに総崩れにならんかと思われたが、桃井兄弟は馬から飛び下り、敷皮の上に座して、

桃井直常 勝つも負けるも、運を天に任せるのみ、一歩も退いてはいかん! 全員、討死!

桃井兄弟のこの気力に支えられ、桃井軍はかろうじて持ちこたえた。

日没が近づいてきた。戦闘開始から既に、数時間が経過している。

桃井直常 (内心)八幡はいったい何をしてるんだ! 早く援軍を送ってくれよなぁ、早くぅ!

桃井直常 (内心)うーん・・・もう限界だぁ。

桃井直常 全軍、東山方面へ退却!

しかし、この時既に、足利尊氏と足利義詮が率いる尊氏サイド第3軍が、二条通りを東進し、桃井軍の東山方面への退路を塞いでしまっていた。

終日の合戦に援軍もなく、戦い疲れた上に三方を大軍に囲まれたとあっては、さすがの猛将・桃井直常もいかんともし難く、桃井軍は、粟田口(あわたぐち:左京区)から東山を越えて、山科(やましな:山科区)へ退いた。

しかし、直常は坂本(さかもと:滋賀県・大津市)までは退かず、その夜は逢坂山(おうさかやま:大津市)に陣を取り、大カガリ火を焚いてそこに留まった。

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