太平記 現代語訳 5-2 万里小路宣房、内閣の一員に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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鎌倉幕府首脳A さて、問題はだね、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)の処遇だよ。

鎌倉幕府首脳B 彼は、ずっと前から、先帝の、功績高き寵臣(ちょうしん)だったよな。

鎌倉幕府首脳C それにほら、彼の二人の息子、藤房(ふじふさ)と、季房(すえふさ)、その二人も、笠置寺攻防戦で生け捕りになって、流罪にしたんだっけねぇ?。

鎌倉幕府首脳A こうやって考えてみると、万里小路宣房の罪責、極めて深いよなぁ。

鎌倉幕府首脳B でもなぁ、彼は、とっても賢明で才能ある人って、世間のもっぱらの評判だよぉ。

鎌倉幕府首脳C やっぱしここはだなぁ、特別の配慮をもって罪一等を減じ、彼にも、新政権のポストを与えるってぇセンでいった方が、いいんじゃぁなぁい?

鎌倉幕府首脳全員 賛成。

鎌倉幕府首脳A じゃ、そのような趣旨でもって、朝廷に奏上することにしよう。

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というわけで、新朝廷から日野資名を勅使に立て、万里小路宣房の所に派遣した。

日野資名 ・・・と、まぁ、こないなわけですわ。新政権に、入閣していただけますわなぁ?

万里小路宣房 ・・・。

日野資名 万里小路殿!

万里小路宣房 不肖(ふしょう)、宣房、長いこと、先帝陛下に奉公させて頂きまして、ごっつうかわいがっていただきましたわ。官位も給与もぐんぐんアップしてもろぉて、ついには、先帝陛下の統治を補佐する役目まで、与えていただきました。

日野資名 ・・・。

万里小路宣房 昔の人の言葉にもありますやろ、「君主に仕える正しい道とは、彼が罪悪を行うならば、たとえ相手にどのように思われようとも、あえて道理をつくして、これを諌める所にある。三度諌めても聞き入れられない時には、身を慎んで職から退くべし。匡正(きょうせい:注1)の忠あって、阿順(あじゅん:注2)の従は無し、これこそが良臣の節である」。

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(訳者注1)非を正す。

(訳者注2)おもねる。
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万里小路宣房 「諌めるべきを見て諌めない臣であるならば、これを、「いてもいなくてもどうでもよい臣」と言うべし。退くべき時に退きぎわの悪い者であるならば、これを、「地位に恋々(れんれん)の輩」と言う。双方ともに、「国家の大悪人」なり。」

万里小路宣房 今や先帝陛下は、不義の行いの結果、武臣からの辱(はずかし)めを受けられる身になってしまわはりました。なにもかも、わたい(私)が預かり知らん所で起こしてしまわはった事やから、お諌めのしようも無かった。けど、そうか言うて、世間の人は、「宣房には責任ないわ」なんちゅうふうには、とても言うてはくれませんやろて。それにな、我が二人の息子も、遠流の罪に処せられてしもとります。

万里小路宣房 わたいもすでに、齢(よわい)70歳。今さら誰の為に、わが身の栄華を求めましょうかいな・・・。

万里小路宣房 過去に犯した罪を忘れ、いけしゃぁしゃぁと知らん顔して、新帝陛下にお仕え、てな事、わたいには、到底できませんわいな。二人の主君にお仕えして、老残の身に恥の上塗りするよりか、古代中国の伯夷(はくい:注3)の先例になろうて、都のどっか片隅で、飢えを忍びながら暮して行く方が、よっぽどましですわ。

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(訳者注3)殷(いん)王朝が周によって倒された時、伯夷と叔斉(しゅくせい)兄弟は、周の録を食むのを恥じて山中に隠遁し、やがて餓死した。
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日野資名 ・・・(涙)。

万里小路宣房 ・・・(涙)。

日野資名 万里小路殿、「忠臣は必ずしも主を選ばず。自らが仕えるべき主君を見出し、その下で政治に励むのみ。」と、言いますやんか。そうですやん、古代中国において、百里奚(ひゃくりけい)は二人目の主君、秦(しん)の穆公(ぼくこう)に仕えて、それから長いこと、穆公の覇業を助けましたやろ。あの管仲(かんちゅう)かて同様ですわ、二人目の主君の斉(せい)の桓公(かんこう)を補佐してですよ、諸侯を9回も朝貢せしめるくらいの勢力を、桓公に持たせるに至ったんですやん。

万里小路宣房 ・・・。

日野資名 桓公の臣下になる前に、管仲は、桓公に向けて矢を射て、帯の金具に当ててます。そやけど、管仲が自分の臣下になってからは、桓公は、過去のその件については一切、とやかく言いませんでしたで。

日野資名 百里奚かて、そないでしたやん。穆公に羊の皮5枚で買い取られて、その臣下になったわけやけど、後日、世間の人はそんな事、ナァ(何)も、気にせぇへんかったやないですか。

日野資名 万里小路殿、他ならぬ、鎌倉幕府の方からやね、「罪許したるから」言うてきてくれてるんですよぉ。貴方の賢明なるご子息お二人も、うまいこといったら、流罪の身から許されるかもしれませんやんか。

日野資名 「伯夷の先例にならって」とおっしゃいますけどなぁ、伯夷と叔斉が忠節を全うするために、飢えを選んだ、それでもって、なにがどうなったというのでしょう? その行為にいったい、なんの意味があったというのでしょう?

日野資名 許由(きょゆう)や巣父(そうふ)のような賢人かて、ただ単に世間から身を隠してたんでは、ナァもできんかった、そうでっしゃろ?

万里小路宣房 ・・・。

日野資名 ここで、世間から引きこもってしまわれて、子孫の出世の道を、永久に閉ざしてしまうのがえぇのんか、はたまた、朝廷にご出仕されて、ご先祖の遺徳を輝かすんがえぇのんか・・・どっちが正解で、どっちが不正解なんか、どっちが得で、どっちが損なんか、よぉー、お考えになっとくれやっしゃ! 山にこもって鳥獣と同じとこに暮す、いうんではなぁ、孔子さまの教えからは、大分それてしまう事になるん、ちゃいますかいなぁ?

このように、理を尽くして説得する日野資名の前に、万里小路宣房も、ついに屈したようである。

万里小路宣房 (ハァー:溜息)・・・。「罪を持つ身ゆえに生を棄てよう」とすれば、「朝に誤りあらば夕べにそれを改めよ」との、古賢の教えに違背(いはい)することになる。かというて、「恥を忍んで生き長らえていこう」と思えば、今度は、「何の顔(かんばせ)あって生きていけようか」という、詩人・曹植(そうしょく)の上表文の言葉が思い起こされる・・・。

ついに、万里小路宣房は、朝廷への出仕要請を承諾し、内閣に加わる事になった。

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