太平記 現代語訳 26-2 楠正行・対・高師直の決戦

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高師直(こうのもろなお) 楠攻め、年明けてからにしない? このまま、淀(よど)と八幡(やわた)で越年してさぁ。

高師泰(こうのもろやす) そうさなぁ。兵力が多いにこしたこたぁねぇもんな。これからまだまだ、集まってくんだろ?

高師直 はいなぁ。これからまだまだ、もっともっとギョォサンの方々がここに集まってきはるんでおますから、ここでじっと待ってた方がいいんどす。メイッパイ集まってきて、それから河内(大阪府東部)へ向かったって、じぇぇんじぇぇん、おそかぁねぇどす。

高師泰 グフ・・・そのセンでいいんじゃぁ?

伝令 一大事、一大事!

高師直 なんじゃい、なんじゃい、いってぇ何が起こりやがったんじゃい?!

伝令 楠正行(くすのきまさつら)、我らに対して逆寄(さかよ)せをかけんがため、吉野(よしの)御所へ参上していとまを申した後、本日、河内の往生院(おうじょういん:大阪府・枚岡市)に到着!

高師直 ガビーン!

高師泰 うーん・・・こっちもあんまり、ゆっくりしてらんねぇなぁ。

高師直 ほなしゃぁない、やるべいか。みなさん、おキバリやして戦うておくれやして、おくれやっしゃあ!

高陣営メンバー一同 ・・・。

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1月2日、まず高師泰が淀を発った。彼は2万余を率いて、和泉(いずみ:大阪府南部)の堺の浦(さかいのうら:大阪府・堺市)に陣を取った。

翌3日朝、高師直も八幡を発ち、6万余を率いて、四條縄手(しじょうなわて:大阪府・四條畷市)に到着。

高師直 このまますぐに、楠を攻めるのは愚策でおます。あちゃらはきっと、難攻不落の場所で待ち構えておるにちげぇねぇどすからな。寄せたらあかん、寄せるのはヨセヨセ、寄せられればヨ(良)イヨイ、サのヨイヨイ。

高軍リーダーA はぁ?

高軍リーダー一同 ・・・。

師直は、大軍を5か所に分かち、鳥雲の陣をなして、ありとあらゆるケースに備えた。

第1軍は、白旗一揆(しらはたいっき)武士団。リーダーは県下野守(あがたしもつけのかみ)で兵力5,000余騎。飯盛山(いいもりやま:北河内郡)にうち上り、南方の尾根先に布陣。

第2軍は、大旗一揆(おおはたいっき)武士団。リーダーは河津(かわづ)と高橋(たかはし)の2人で兵力3,000余騎。飯盛山の外の峯にうち上り、東の尾根先に布陣。

第3軍は、武田信武(たけだのぶたけ)率いる1,000余騎。四條縄手の田園中に、馬が走りまわれる空間を前方に残して布陣。

第4軍を率いるは、佐々木道誉(ささきどうよ)、その兵力2000余騎。飯盛山の南方、伊駒山(いこまやま)にうち上って布陣。陣の前面には折り畳み式の盾500枚をつき並べ、その後方に足軽の射手800人を馬から下ろして配置、さらにその背後に騎馬兵を配備。楠軍が山に攻め登ってくるならば、まずその馬の太腹を射て、ひるんだ所をまっ逆さまに駆け落してしまおう、との作戦である。

第5軍を率いる全軍の大将・高師直は、他の軍から20余町ほど後方に布陣。足利将軍家の旗の下に輪違紋(わちがいもん)の高家の旗を立てている。

その陣の外側には、騎馬の武者2万余騎、内側には、徒歩の射手500人。四方十余町を覆いつくすその陣は、びっしり密集して師直を囲んでいる。

各軍、互いに勇を競い、陣の張り様は密にして、これを相手に戦う者は、たとえ項羽のごとき山を抜く力、魯陽のごとき太陽を返す勢いがあろうとも、この堅陣の中に駆け入って戦うことは到底不可能としか思えない。

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1月5日早暁、吉野朝側、まず四条隆資(しじょうたかすけ)率いる和泉・紀伊(きい:和歌山県)の野伏(のぶせり)より構成の2万余人の軍が進軍を開始。様々の旗を手に手に差し上げ、飯盛山に向かっていく。これは、大旗一揆と小旗一揆(注1)の両軍を峯の上から下山させずに、楠軍を四條縄手に進めるための陽動作戦であった。

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(訳者注1)先の記述には「大旗一揆」とだけあり、「小旗一揆」の名は現れてないので、軍の構成がよく分からない。
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この作戦に、大旗一揆・小旗一揆・両軍は、ひっかかってしまった。

河津 敵の主力軍団がやってきたぞ!

高橋 射撃隊、分散陣形のまま前進、山の中ほどまで下りろ! 険阻な地点に拠点を確保、敵の襲撃を待て!

その間隙をついて、楠正行(くすのきまさつら)、その弟・楠正時(まさとき)、和田高家(わだたかいえ)、その弟・和田賢秀(けんしゅう)は、屈強の楠軍3,000余騎を率い、霞の中をまっしぐらに、四條縄手へつき進む。

楠正行 (内心)まず、敵の斥候(せっこう:注2)を蹴散らして、

楠正時 (内心)全軍の大将・高師直に肉薄し、

和田高家 (内心)イッキに勝負、

和田賢秀 (内心)決めたるろやんけぇ!

覚悟決した彼らは、いささかのためらいもなく、ひたすら前進していく。

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(訳者注2)敵側の動きを早期に把握するために、最前線よりもさらに前方に配置される人々。その任務は戦闘ではなく、情報収集および情報伝達である。
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第1軍の白旗一揆武士団のリーダー・県下野守は、そこからはるか彼方の峯の上に布陣していたが、

県下野守 あっ・・・あそこを行く軍・・・師直殿の本陣に迫っていくぞ! あれはいったい?・・・あっ、菊水(きくすい)の旗1本! いかん、楠だ、楠軍だ! おい、みんな、行くぞ!

白旗一揆武士団は、北方の峯を馳せ下り、今まさに楠軍が駆け入らんとしている空間の前方に立ち塞がった。彼らは馬からヒタヒタと飛び降りて、楠軍の進路に直交する形で東西横一文字に展開、徒歩のまま、楠軍を待ち構えた。

勇気盛んなる楠軍、わずかの人数の徒歩軍相手にひるむはずがあろうか、三手に分かれた前陣500余はしずしずと、白旗一揆武士団に襲い掛かっっていく。

最前線に位置していた秋山弥次郎(あきやまやじろう)と大草三郎左衛門(おおくささぶろうざえもん)が、楠軍の矢を受けて倒れた。これを見た居野七郎(いのしちろう)は、楠側を調子づかせまいと、倒れ伏した秋山の体の上をツッと飛び越え、前線へ進みでていく。

居野七郎 やーいやーい、テメェらなぁ、当てれるもんなら、ここに当ててみろってぇ!

七郎は、鎧の左袖を叩きながら小躍りして進んでいく。楠軍は東西から七郎に矢の雨を浴びせる。

矢 ブス、ブス!

居野七郎 ううっ・・・。

七郎は、兜の内側と草摺(くさずり)の外れの2箇所に矢を受けた。太刀を逆さに地面に突き立て、矢を抜こうとして立ちすくんだ所に、和田賢秀はツッと駆け寄り、

和田賢秀 エヤッ!

刀 ヴァシッ!

居野七郎 あぁ・・・。

兜の鉢を激打され、居野七郎は四つんばいに倒れてしまった。そこをすかさず、走り寄ってきた和田賢秀の中間が彼の首を取り、高々と差し上げる。

これが戦の始まりであった。

楠サイドの騎馬軍500余と県下野守率いる徒歩の兵300余人が、おめき叫んであい戦う。

戦場は田野が開けた平地ゆえ、馬の駆け引きは自由自在、徒歩で戦う白旗一揆側は、騎馬の楠側に駆け悩まされる。かくして、白旗一揆武士団300余のほとんどが討死にしてしまい、県下野守も5箇所もの重傷を負ってしまった。

県下野守 とてもかなわん、退(ひ)け、退けー!

県下野守は、生き残りの者たちと共に、高師直率いる第5軍に合流せんと、退却していった。

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武田信武 楠軍はもう相当、戦い疲れているだろう。そこにつけこんで、イッキに討ちとってしまうんだ! いぃくぞー!

武田軍メンバー一同 ウォーッ!

武田信武率いる幕府側第3軍700余騎が、戦場に殺到してきた。これに対抗するは、楠軍第2陣1,000余騎。左右二手にサッと分かれ、包囲陣形を取る。

楠軍第2陣メンバー一同 一人残らず、殲滅(せんめつ)してもたるわい!

汗馬(かんば)東西に馳せ違い、追いつ返しつの戦が展開。旗とノボリが南北に開き分かれ、巻きつ巻かれつ、互いに命を惜しまず、7度、8度と両軍激突を繰り返す。

戦い終わってみれば、当初700余の武田軍、残存者は限りなくゼロに近い。楠軍第2陣の側も、その大半が負傷、全身朱色に染まりながら踏みとどまっている。

小旗一揆武士団メンバーらは、戦の当初から、四条隆資(しじょうたかすけ)率いる陽動部隊に対抗して飯盛山から動かず、主戦場で展開されている合戦をただ横目に眺めるだけ、あたかも対岸の火事を見るような雰囲気であった。しかし、眼下の山麓にいる戦い疲れた楠軍第2陣を見て、それに襲いかからんと、一部のメンバーが動きはじめた。

長崎資宗(ながさきすけむね)、松田重明(まつだしげあきら)、その弟・松田七郎五郎(しちろうごろう)、その子・松田太郎三郎(たろうさぶろう)、須々木高行(すずきたかゆき)、松田小次郎(まつだこじろう)、河勾左京進(こうわさきょうのしん)、高橋新左衛門尉(たかはししんざえもんのじょう)、青砥左衛門尉(あおとさえもんのじょう)、有元新左衛門(ありもとしんざえもん)、廣戸弾正左衛門(ひろとだんじょうざえもん)、その弟・廣戸八郎次郎(はちろうじろう)、その弟・廣戸太郎次郎(たろうじろう)以下、屈強の武士48人が小松原から駆け下り、山を背後に楠軍に襲いかかった。

両軍互いに、騎馬駆けあいの混戦に突入、楠軍第2陣1,000余騎は、このわずかな相手に意外にてこずり、その地点から先へ前進できなくなってしまった。

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小旗一揆武士団と楠軍第2陣との戦闘を、じっと観察していた佐々木道誉(ささきどうよ)は、

佐々木道誉 あのカンジだと楠軍なぁ、もう相当疲れてきてるにちがいないぞ・・・って事はだなぁ、やつらはもう、他の陣には目もくれねえよ、ただひたすら、大将の高師直(こうのもろなお)だけを狙ってく。

佐々木軍リーダーB おれたちの事なんか、もう眼中にないでしょうね。

佐々木軍リーダーC 我々の目の前を通り過ぎていきたいってんならね、いいじゃないですか、黙ってそのまま行かせてやりゃぁ・・・でもって・・・。

佐々木軍リーダーD その背後を襲う!

佐々木道誉 ・・・(ニヤリ)。

というわけで、佐々木軍3,000余騎は、飯盛山の南方の峯に上がり、そこに旗をうち立ててじっと布陣していた。

数時間にわたる何度もの戦闘の結果、楠軍第2陣は、馬も人も、もはや疲労の極限に達してしまった。わずかばかりの気のゆるみが出てしまったその瞬間を、道誉は見逃さなかった。

佐々木道誉 よぉし、行けぇ!

佐々木軍3,000余騎は三手に分かれ、一斉にドッとトキの声を上げ、山を懸け下り、楠軍第2陣に激突。これを迎え撃つ楠側は、必死の防戦を展開。しかしながら、大軍を相手にしての疲労の極中での戦、元気いっぱいの馬を駆る佐々木軍にかけ立てられては、とてもかなうはずがなく、楠側は次々と倒れていく。

大半のメンバーが討たれた末に、ついに、楠軍第2陣の残存勢力は、南を向いて退却しはじめた。

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もともと兵力において劣っていた楠側であったのに、第2陣はすでに退き、今や戦場に踏みとどまっているのは第1陣のみ、その兵力はわずか300余にも満たない。これではとても、戦を続行することは不可能と思われたのだが、

楠軍メンバーE (内心)タイショウも、

楠軍メンバーF (内心)和田賢秀も、

楠軍メンバーG (内心)まだ生きてるで、わしらといっしょに。

楠軍メンバーH (内心)今日の戦、もとから生きて帰ろうなどとは、

楠軍メンバーI (内心)毛の先ほども思ぉとらんわい。

楠軍メンバーE (内心)去年の暮に、吉野(よしの)へみんなで行って、

楠軍メンバーF (内心)過去帳にいっしょに名前書いた、

楠軍メンバーG (内心)わしら楠軍のメンバー143人、

楠軍メンバー一同 (内心)タイショウといっしょに、ここで死ぬんじゃい!

全員一所にひしひしと集合し、自軍の第2陣が敗退した事など、いささかも意に介しない。

楠軍メンバーE コルラァ、敵の大将、高師直(こうのもろなお)! ワレいったい、どこにおるんじゃい!

楠軍メンバーF どうせ、そこらの陣の後ろの方に、ビビリたおして、こもっとるんやろう。

楠軍メンバーG とっとと、前に出てこんかい!

楠軍メンバーH さっさとその首、こっちに渡さんかいやぁ、ワルレェ!

楠軍は、高師直の本陣にキッと目を見据えながら、ひたすら前進していく。

高軍リーダーJ てへっ、ちょこざいな。

高軍リーダーK 友軍が敵を蹴散らしちまった。残ってるのは、たったあれぽっちかい。

高軍リーダーL えぇい、この機を逃さず、やっつけてしまえい!

高軍メンバーらは、勇み立って楠軍に立ち向かっていく。

まず一番に、細川清氏(ほそかわきようじ)が500余騎を率いて、楠軍を攻撃。楠軍300騎は、いささかもひるまずに真っ向からそれに相対し、面をも振らずに戦う。50余騎を討たれて、細川軍は北へ退いた。

細川軍に入れ替わって攻撃を始めた二番手は、仁木頼章(にっきよりあきら)率いる700余騎。楠軍300余騎は、馬のくつばみを並べてそのど真ん中に割って入り、火花を散らして戦う。仁木軍は四方八方へ蹴散らされ、再び集合することもままならない状態になってしまった。

三番手は、千葉貞胤(ちばさだたね)、宇都宮貞泰(うつのみやさだやす)、宇都宮三河入道(うつのみやみかわにゅうどう)率いる500余騎。東西から接近して楠軍の先端に襲いかかり、中央突破を図る。しかし、楠正行(くすのきまさつら)の指揮の下、楠軍は一寸の綻(ほころ)びも見せない。相手が虎韜(ことう)陣形に連なって囲んでくれば虎韜に分かれて対抗し、龍鱗(りゅうりん)陣形に結んでかかってくれば、龍鱗に進んで戦う。両軍、3度衝突し3度左右に分かれた末に、千葉軍、宇都宮軍とも戦死者多数、ついに退却を余儀無くされた。

楠軍側も100余騎が討たれてしまった。生き残ったメンバーの乗馬には例外なく、矢が3本、4本と突き刺さっている。やむをえず、全員、馬を下りて徒歩になった。

楠正行 ハラへったな、メシにしよか!

楠軍メンバー一同 おう!

彼らは、田のあぜに背中を押し当て、エビラの中から竹筒を取り出した(注3)。そして、心しずかに飯を食い、しばしの休息を取った(注4)。

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(訳者注3)竹筒の中には、酒が入っているのだ。

(訳者注4)太平記中、戦場のまっただ中での食事のシーンは、ここが初出。これはノンフィクションか、あるいは、太平記作者の「覚悟定めきった楠軍」を演出するためのフィクションか?
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高軍リーダーM ねぇねぇ、あれ見てよ、あれ。悠々とメシ食ってやがる。

高軍リーダーN ほんとにもう、なんてぇ連中なんでぇ。

高軍リーダーO あのねぇ、あそこまで覚悟かためちゃってるヤツラをですよ、ムリヤリ囲んで打ち取るってぇの、ちょっと、やばかぁありません? こっち側にも相当の犠牲が出るの、覚悟しなきゃね。

高軍リーダーP まわりを完全に囲むんじゃなくってさ、後ろの方だけ開けといて攻めるのがいいと思いますよ。でもって、敵が逃げてぇってんなら、そのまま逃がしとくに限りますって。

高師直 よし、それで行け!

というわけで、数万の高師直軍は、あえて一所に集中して楠軍を包囲する態勢には出なかった。こうなると、小勢の楠軍といえども、その戦場から脱出できる可能性も見えてきた。

しかし、楠正行(くすのきまさつら)は、「今回の戦、高師直の首を取って帰るか、この正行の首が京都の六条河原(ろくじょうがわら)にさらされるか、二つに一つあるのみ!」と、後村上天皇(ごむらかみてんのう)に奏上した上で吉野(よしの)を後にしてきたゆえに、その言葉を違える事を恥じたのであろうか、あるいは、正行の命運もついにここに尽きてしまったのであろうか、和田(わだ)も楠も共に、後に退く気など微塵も無い。

楠正行 さぁ、行くでぇ!

楠軍メンバー一同 おぉう!

楠正時 目指すは、高師直ただ一人やぞ!

和田高家 師直に肉薄して、

和田賢秀 イッキに勝負決めたるわい!

楠軍メンバー一同 おぉう!

楠軍は静かに前進していく。

これを見て、細川頼春(ほそかわよりはる)、今川範国(いまがわのりくに)、高師兼(こうのもろかね)、高師冬(こうのもろふゆ)、南部遠江守(なんぶととうみのかみ)、南部次郎左衛門尉(なんぶじろうさえもんのじょう)、佐々木氏頼(ささきうじより)、佐々木宗満(ささきむねみつ)、土岐周斉房(ときしゅさいぼう)、土岐明智三郎(ときあけちのさぶろう)、荻野朝忠(おぎのともただ)、長九郎左衛門(ちょうくろうざえもん)、松田備前次郎(まつだびぜんのじろう)、宇津木平三(うつきへいぞう)、曽我左衛門(そがさえもん)、多田院御家人(ただいんのごけにん)をはじめ、高師直の前後左右に控える屈強の武士ら7,000余騎は、我先に楠軍を打ち取ろうと、おめき叫んで駆け出した。

楠正行は、これにいささかも臆(おく)せず、全軍を自らの手足のごとく統率(とうそつ)する。しばし息を継がんと思えば、楠軍は一斉にさっと列を作って鎧の袖を揺り動かし(注5)、相手の思うように矢を射させておく。

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(訳者注5)鎧の袖を揺り動かして小札に隙間が生じないようにする、そうすると矢が通らない、ということらしい。
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高軍が接近してきて間合いが十分に狭まったとみるや、一斉にハッと立ち上がり、太刀の切っ先を並べて襲いかかる。

高軍の先頭きってイの一番に楠軍に襲いかかったのは、南部次郎左衛門尉であった。

南部次郎左衛門尉 エェイ、カクゴー!

楠軍メンバーの刀 シャシャーッ!

南部の乗馬 ギャヒーーン!

乗馬の両の前足を刀で横に払い切られ、南部次郎左衛門尉はドウと落馬、起き上がる間もなく討たれてしまった。

南部に劣らじと、松田次郎左衛門(まつだじろうざえもん)が二番手で突っ込んでいった。彼は、和田賢秀に接近し、相手を切り伏せようと身を屈めた。その瞬間、和田賢秀は長刀(なぎなた)の柄を伸ばし、松田の兜の鉢を打つ。

長刀 ヴァシック!

松田次郎左衛門 ウゥッ・・・。

強烈な打撃を受けて、兜のシコロが傾いた次の瞬間、和田の長刀に内兜を突かれて、松田は馬から逆さ落ち。和田の長刀はまたたく間もなく、松田にとどめをさした。

勢いこんで楠軍に攻めかかってはみたものの、高軍側はさんざんである。たちどころに切って落される者50余人、腕を打ち落されて朱に染まる者200余騎。楠軍に追い立て追い立て、攻められて、「これはとてもかなわん」と、7,000余騎の高軍の武士たちは、左右に開き靡き、一斉に退きはじめた。

退(ひ)き足は留まる所を知らず、淀(よど)や八幡(やわた)をも走り過ぎ、そのまま京都まで逃げ帰ってしまった者も大勢いた。

この時、総大将・高師直までもが、一歩でも退く気配を見せたならば、たちどころに高軍は総くずれ、全軍ひたすら退却するばかり、それを追撃する楠軍は、京都のドまん中まで進撃できたに違いない。

しかし、高師直はいささかもひるむ様子を見せず、大音声をもって、全軍を叱咤(しった)する

高師直 こらこらこらこら! テメェらキタネェゾ! 逃げるんじゃねぇ! 返せ、返せ、戦え、戦え、戦えってんだよぉー!

高軍メンバー一同 ・・・。

高師直 テメェラ、いってぇナニ考えてやがんでぃ! 敵はたったあれっぽっちの人数じゃぁねぇか! おれは逃げねぇぞ、ここを動かねぇからな!

高師直 この戦場を捨てて京都へ逃げて帰って、それでいってぇ、どうするってんだよぉ! テメェラ、いってぇどのツラ下げて、将軍様の前に出るってんだ、あぁ?!

高師直 人間の運命なんか、天が決めてんだ、生きるも死ぬるも、天のご意向次第ってもんでぇ! いまさらジタバタしたって、はじまらねぇんだよぉ!

高師直 見ろい、敵はたった、あれぽっちじゃねえか! あんな小勢相手に逃げ出すなんて、テメェら、それでも武士のハシクレか! 恥ずかしくねぇのかよぉ! 家の名前が泣くぞ! テメェらのご先祖さま、草葉の陰で泣いてござるぞ!

目を怒らせ歯噛みして、四方に下知を下す師直の勢いに励まされ、恥を知る武士たちは、そこに踏み留まって師直の前後をかためた。

その目の前を、土岐周斉房の軍が通り過ぎていく。大半は打ち散らされてしまい、周斉房も、膝を切られ血に染まっている。すげなく退いて行く周斉房を、師直はキッと見つめ、

高師直 ヤイヤイ、そこの敵前逃亡ヤロウ!

土岐周斉房 ・・・。

高師直 いつも大口ばっかタタいてやがる土岐周斉房、いざとなったらブザマなもんだなぁ、えぇ!

土岐周斉房 ナァニィ! そこまであんたに言われちゃ、わしも黙っとれんが! じゃぁ、これから討死にするだで、よぉ見といてちょう! みんな、行くでぇ!

周斉房は、馬を返して楠軍のど真ん中へ駆け入り、ついに討死にしてしまった。これを見て、雑賀次郎(さいがじろう)も、楠軍の中に駆け入って討死にした。

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楠軍は高師直にじわじわと肉薄し、両者の間の距離はついに、半町ほどに縮まった。楠正行の長年の宿望も、ついにここに成就するかと思われた。ところがそこに、上山六郎左衛門(うえやまろくろうざえもん)が駆けつけてきて、高師直の前を塞ぎ、大音声をあげていわく、

上山六郎左衛門 八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)殿よりこのかた、源氏累代(げんじるいだい)の執権(しっけん)役をおおせつかり、その武功(ぶこう)天下に顕(あらわ)れたる高武蔵守師直とは、このおれ様のことよ! 首が欲しけりゃ、かかってこーい!

このように、師直になりすまして名乗りをあげ、殺到してくる楠軍を相手に戦い、上山六郎左衛門は死んでいった。その間に、師直は楠軍の遥か彼方に遠のいてしまい、正行はついに、その本意を遂げることができなかった。

師直の配下の大勢の武士の中、いったいなぜ、上山六郎左衛門ただ一人だけが、師直の身代わりとなって自らの命を捨てたのか? それは、「ただ一言(いちごん)の中に武士の情けを感じ、それに応(こた)えんがため一命を捨て」という事のようである。

楠軍が高師直の本陣に肉薄していることに、上山六郎左衛門は全く気づいていなかった。

上山六郎左衛門 さぁてと・・・ちょっくら師直殿のとこへでも行ってこようかな。ゆっくり世間話でもしてこようっと。

師直の本陣に足を踏み入れるやいなや、陣中にわかに騒がしくなってきた。

高軍メンバーQ 敵襲! 敵襲!

高軍メンバーR なに! 楠軍がこんな近くまで?!

高軍メンバー一同 タイヘンだー! 敵襲だ、敵襲だ!

上山六郎左衛門 (内心)おぉ、こりゃいかん! ウーン、おれもウカツだなぁ、鎧も兜も置いて出てきちゃったじゃないか、ウーン・・・。取りに帰っているヒマなんかないぞ!

陣中を見回す六郎左衛門の視野に、同色の二個の鎧が飛び込んできた。

上山六郎左衛門 (内心)しめた! あそこに鎧が! あれはいったい誰のだ? おそらく師直殿のものだ・・・えぇい、かまうもんか、緊急事態だもんな、ちょっと拝借!(鎧のもとに走り寄る)

鎧唐櫃(よろいからひつ)の緒を引き切り、中の鎧を取り出して肩にかけた。見とがめた高師直の若党が、鎧の袖をひかえていわく、

高師直の若党S なにをする! これは執事(しつじ)殿の鎧ですぞ! 一言の断りも無しに、無礼な!

鎧を奪い返そうとする若党と六郎左衛門とで引っ張り合いになった。これを見た師直は、馬から飛び降りて若党をハタと睨みつけ、

高師直 おい、やめろぉ!

高師直の若党S ・・・。

高師直 テメェ、いってぇナニ考えてやがんでい! その人はなぁ、おれの身代わりになって戦かうって、言ってくれてんじゃんかよぉ! そういうキトクな人にゃあ、千個だろうと万個だろうと、鎧なんかヒトッツモ惜しかねぇ、どんどん進呈するぜぃ!

高師直の若党S ・・・。

高師直 (六郎左衛門の方を見て)イヨッ! そこのイイ男、水もしたたるアデ姿! 「こんな男に着てもらって、嬉しいね」って、鎧も喜んでるよ!

自分の行為を一切責めたりせずに、かえって褒めたたえてくれる師直の態度に、六郎左衛門は感じいってしまった。

上山六郎左衛門 (嬉しそうな顔持ちで)・・・。

事と次第とをわきまえず、その鎧を取り上げようとした高師直のその若党は、その後、自軍が危機的状況に陥った時、イの一番に逃げ出した。しかし、師直の情けに感じ入った上山六郎左衛門は、彼の身代わりになり、討死にしていったのである。まことに哀れな事である。

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これによく似た逸話が、古代中国にもある。

戦国時代、秦の穆公はライバルの六国と戦いを交えたがあえなく敗退し、他国へ落ちた。

急追する敵軍から逃れる途上に乗馬を乗りつぶしてしまい、やむなく後からやってくる乗り換え用の馬を待っていた。

ところが、馬の口取りは馬を引いては来なかった。そのかわりに、後ろ手に縛られた疲れた兵士20余人を連行してきたのである。

軍門の前に引き据えられた兵士たちを見て、穆公は、

穆公 いったいこれはなんじゃ? 何事が起ったのじゃ? 馬はどうした?

馬の口取り 申しあげます! お召し替え用の馬を引いてまいりましたところ、これなる戦いに疲れ飢えた兵ども20余人、事もあろうに、殿のお馬を殺し、残らず食べてしまいよりましてござりまする。よって、死罪に処せんがため、こやつらを生け捕り、連行してまいりました!

穆公は、さして怒る気色もなく、

穆公 死せる馬を再び生き返らせる事は不可能じゃ。たとえそれが可能であったとしても、卑しき獣を食べたというだけの罪でもって、尊い人命を失うは非道の振舞い、そのような事は絶対にあってはならぬ。

馬の口取り ・・・。

穆公 飢えて馬を食らいし人間は、その後必ず病気になるという・・・。早く手当てをせねばの。この者らの縛めを解け。酒を飲ませ、薬を与えて、適切な医療を施すがよいぞ。

馬を食った兵士たち ・・・殿ぉ・・・殿ぉ・・・うううう・・・(涙)

穆公は、彼らに何の処罰も加えようとはしなかった。

その後、穆公が再び戦に負け、まさに大敵の手中に落ちて討たれようかという時に、馬を殺して食べたこの20余人の兵士らは、自らの命を穆公の命に代えて奮戦した。その結果、大敵はすべて退散し、穆公は死を遁れることができた。

このように、古(いにしえ)においても現代においても、人の上に将たらんとする者は全て、罰を軽く行い宥(なだ)め、賞を厚く与えしむるのである。もしも、古の穆公が馬を惜しんだならば、大敵の囲みを脱出できたであろうか? 現代の高師直が鎧を与えなかったならば、上山六郎左衛門は彼の身代わりになっていたであろうか? 「情けは人の為ならず(注6)」とは、まさにこの事を言っているのである。

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(訳者注6)「人に情けを施しておくと、そのうちそれが自分の益となって返ってくる」の意。
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上山六郎左衛門の首を、楠正行はじっと見つめた。

楠正行 (内心)肉のついた顔や・・・なかなかの美男子、いかにも、大将っちゅうカンジの顔や。

楠正行 (内心)鎧はどうや? おお、輪違いの透(す)かし彫(ぼり)の金物つきやんけ。これは高家の紋やぞ! 間違いない、間違いないぞ!

楠正行 やったで、ついにやったでぇ! みんな、これ見てみい! 高師直をついに討ち取ったでぇ! おれの長年の望み、ついに達成や! やった、やったぁ! ウーイー!

正行は、六郎左衛門の首を空中高く投げ上げては受け取り、受け取っては投げ上げし、ボールのようにもてあそびながら喜んでいる。

楠正時は、兄の側に走り寄り、

楠正時 おにぃちゃん、あかんて、あかんて・・・そんな事してたら、首が痛んでしまうやんか。旗のてっぺんに付けて、敵と味方に見せつけたろうな。はよ、その首、貸し。

楠正行 (首を正時に渡しながら)やった、やった、ついにやったぁ!

正時は、太刀の先に首を指し貫いて、高々と掲げた。

楠軍メンバーE それ、師直とちゃ(違)うで!

楠正時 えっ!

楠軍メンバーE そいつはな、上山六郎左衛門っちゅうヤツや。師直に、なりすましやがったんや。

正時は激怒して、首を地面に投げ捨てた。

楠正時 おのれぇ、上山六郎左衛門とやら! おのれは・・・おのれは・・・おのれは、日本一のツワモノじゃぁ! わしらの陛下にとっては、二人とない朝敵じゃぁ! あぁ、あぁ!

楠正時 ・・・そやけどな、高師直の身代わりになって死ぬとは、ワレもほんまに殊勝な男やのぉ。よし、ワレの武士だましいに免じてな、他の首とは別の所(とこ)に、置いといたるわい。

彼は、自らの小袖の片袖を引き切り、六郎左衛門の首を押し包んで岸の上に置いた。

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楠軍メンバーE 師直はまだ討たれてへんぞ!

楠軍メンバーF あぁ、オモロナイなぁ!

楠軍メンバーG 師直、ワレいったい、どこにおるんじゃぁ!

楠軍メンバーH とっとと、出て来いやぁ!

鼻田弥次郎(はなたやじろう)は、膝を射られて歩けなくなり、立っているのがやっとであったが、楠軍メンバーが口々に叫ぶ声に励まされ、気力を振り絞った。額にからみついた髪をかきのけ、血眼になって、こなたかなたと見回す。

北の方に、輪違い紋の旗が1本見えた。その下には、大将らしき立派な老武者がいて、その周囲を7、80騎ほどが守っている。

鼻田弥次郎 おいみんな、あこにおるあいつが、高師直や! さぁ、行こや!

飛び出そうとする弥次郎の鎧の袖を、和田新兵衛(わだしんべえ)が引いていわく、

和田新兵衛 ちょっと待て! おれにえぇ考えがある。おまえな、勇みすぎて、大事な敵を討ちもらしてもたらあかんど。

鼻田弥次郎 いったい、どないせぇっちゅうねん。

和田新兵衛 相手は馬に乗っとる、おれらは徒歩や。追うていっても、相手はスッと退(ひ)きよる。退かれたら、いったいどないして、師直を討ち取るんや?

鼻田弥次郎 ・・・。

和田新兵衛 さぁ、そこで作戦や。おれらは、「もうあかん、もちこたえられへんわ」いうて退却するフリをする。敵は図に乗って追いかけてきよる。敵を十分に引きつけといてな、それからイッキに反撃や。「こいつこそ師直や」と思うたヤツに、狙いつけてな。

楠軍メンバー一同 ・・・。

和田新兵衛 まず、そいつの乗ってる馬の足を狙う・・・ズバッ、ブシュ! 馬から落ちよったとこをすかさず、その細首をシャッー! ほいでもって、おれらも討死にする! どや?!

生き残った50余人は全員、

楠軍メンバー一同 よし、それで行こ!

彼らは、一斉に盾を背後にかざし、その陰に隠れながら、引き退くふりをした。

しかし、師直は思慮深い大将であった。

高師直 フフン・・・見えすいた事を・・・そのテには乗らねぇぜ。

師直は、少しも馬を動かさない。

その西方の田園中に、高師冬(こうのもろふゆ)が300余騎を率いて布陣していた。

高師冬 オッ、敵が引きはじめたぞ! 一人残らず、討ち取ってしまえ、行け! 行け!

高師冬軍は、楠軍の後を追った。

剛勇なる楠軍、相手の太刀の切っ先が、鎧の総角(あげまき)や兜のシコロの二つ三つ打ち当たるくらいの距離にまで、高師冬軍をひきつけた後、

楠軍メンバー一同 ウォーーー!

磯を打つ波が岩に当たって返るがごとく、イッキに逆襲にうって出て、火花を散らして戦う。

とっさの事に、高師冬軍は馬を返す事もできずに、たちどころに、50余人が討死。散々に切り立てられ、ようやくの思いで、馬を駆け開いて退却した。彼らは、師直の本陣をも通り過ぎ、そこから20余町ほども隔たった地点までたどりついて、ようやく一息ついた。

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