太平記 現代語訳 40-2 足利基氏、死去す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「このような事では、いったいこの先、我が国はどうなっていってしまうのであろうか」と、衆人危ぶむ中に、またまた、ショッキングなニュースが、関東よりもたらされた。

今年の春より、足利幕府・鎌倉府長官・足利基氏(あしかがもとうじ)は、体調を崩していたが、京都朝年号・貞治(じょうじ)6年(1367)4月26日、突然、死去してしまった。享年28歳。

兄弟の愛情はまことに篤い、相手との死別を悲しまない者が、この世にあろうか。

ましてや、この二人(義詮と基氏)は、言うなれば二翼両輪(によくりょうりん)、日本の西と東、二つの中心的な存在であったのだから。

死別の悲しみもさることながら、関東の柱石たる基氏が砕け落ちてしまったのでは、幕府の力は今後、勢い衰えていってしまうのではなかろうか・・・関係者一同、愁嘆は深い。

京都中、大いに怖れ慎み、「諸々の寺社において、除災の祈祷が行われるのでは。」といったような事も、取りざたされた。

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