太平記 現代語訳 29-3 足利尊氏と義詮、京都を退去し中国地方へ退避

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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足利義詮(あしかがよしあきら)サイド・リーダーA (内心)やったやったぁ、やったぜぇ!

足利義詮サイド・リーダーB (内心)将軍さまは、京都へ帰ってこられたし、

足利義詮サイド・リーダーC (内心)桃井直常(もものいなおつね)を、叩きのめしてやったぁ!

足利義詮サイド・リーダーD (内心)八幡(やわた:京都府・八幡市)の敵軍、もうめっちゃ、パニク(恐慌)っちゃってんじゃぁねえのぉ。

足利義詮サイド・リーダーE (内心)きっとそのうち、ナダレうって、こっちサイドに寝返ってくるぜ。

足利義詮サイド・リーダーF (内心)勝負あったねぇ!

しかしその後、誰も予想せぬような展開となってしまった。

15日の夜半より、脱走者続出、八幡へ八幡へと逃げていく。足利尊氏(あしかがたかうじ)率いる軍勢の大半が、影も形も無くなってしまった。

足利尊氏 なんだ、なんだ、これは! 戦(いくさ)に勝利したというのに、兵力がどんどん減っていくだなんて・・・いったいどうなってるんだ!

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 心底(しんそこ)、私について来ようという人間は、たったこれだけなのか!

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 こんな事では・・・あっちが攻めてきたら、もう京都では戦えんな・・・。

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 ・・・。

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 ・・・ここはだな・・・一度、京都を撤退しておいた方が・・・よいと思うのだが・・・どうだ?

足利義詮 どちらへ転進しますか?

足利尊氏 もちろん・・・中国地方さ。あっち方面へいったん退いて・・・現地の勢力を集めて大軍を編成・・・関東方面にいる我が方の軍勢としめしあわせた上で・・・反攻にうって出る・・・。

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 とにかく、このまま京都にいたんじゃ、どうしようもない・・・いったん撤退だ・・・撤退・・・。

尊氏軍リーダー一同 分かりました。

1月16日の早朝、尊氏軍は、丹波路(たんばじ)経由で京都を撤退した。

昨日は、将軍・尊氏、京都に立ち帰って、桃井、戦いに敗れ、京都には歓声わきおこり、八幡はこれを聞いて沈む。

今日は将軍、都を落ち、桃井すかさず入れ替わりて再び京都を占拠、八幡は大いに意気上がり、京都は密かに悲しむ。

吉凶(きっきょう)はあざなえる縄(なわ)のごとく、哀楽(あいらく)時を変えたり。いったい何を喜んでよいのやら、何を悲しめばよいのやら・・・。昨日、東山に立ち上る暁の霞(かすみ)を望みながら京都を出て、今日、山陰道の夕べの雲に引き分かれ、中国地方へと歩を進める足利父子である。

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足利尊氏 なぁ・・・みんな・・・。

尊氏軍リーダー一同 はい。

足利尊氏 なんてったって、わが軍はこれだけの名将ぞろい・・・それぞれが、一方面軍を率いれるだけの力量、十分にあるよな。

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 ならば、全員一個所にかたまっているってのは・・・極めて・・・非合理的・・・無策というべきだろう・・・。

尊氏軍リーダー一同 ・・・。

足利尊氏 ・・・ここからは・・・分散して進むとしよう。

尊氏軍リーダー一同 はい。

足利尊氏 宰相(さいしょう)殿。

足利義詮(あしかがよしあきら) はい!

足利尊氏 丹波・井原(いはら)の岩屋寺(いわやでら:注1)を拠点に・・・しばらく、そこでがんばってくれ。

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(訳者注1)石龕寺(兵庫県・丹波市)の別名。
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足利義詮 わかりました!

足利尊氏 頼章(よりあきら)、義長(よしなが)、宰相殿を頼んだぞ・・・2,000騎ほど、つけてやるから。

仁木頼章(にっきよりあきら) ハハッ!

仁木義長(にっきよしなが) おまかせ下さい!

岩屋寺の衆徒たちは、以前から尊氏に対して無二の忠誠を通じていたので、軍勢の食料、馬の食料等を山のごとく積み上げて供出してきた。

ここは、地理的に絶好の防衛拠点であった。高い崖と聳(そび)える峰に守られ、四方は全て険阻(けんそ)な地形である。更に、地元勢力の支援も得られた。荻野(おぎの)、波波伯部(ははかべ)、久下(くげ)、長澤(ながさわ)の家の者たちが一人残らず馳せ参じてきて、日夜、城砦の防衛を怠り無く努めた。

義詮サイド・リーダーA やれやれ、これでまずは、一安心。

義詮サイド・リーダーB 昨日までの苦労が、まるでウソのよう。

義詮サイド・リーダーC 足にからまった糸がついに外れた、鳥の気分ってとこかなぁ。

義詮サイド・リーダーD 轍(わだち)の跡の水たまりの中で苦しんでた魚が、ようやっと川にたどりつけたってカンジ。

義詮サイド・リーダーE ほんと、ほんと。やっと一息つけたよねぇ。

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義詮が寺に入ったその日から、岩屋寺の衆徒たちは、昼夜ぶっ通して、勝軍毘沙門天法(しょうぐんびしゃもんてんぼう)を修し始めた。

7日間の修法の最終日に、寺のトップ・雲暁僧都(うんぎょうそうず)が、勝軍毘沙門天法・修行証明記録(注2)を持って、義詮のもとにやってきた。

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(訳者注2)原文では、「巻数(かんじゅ)」。
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義詮は雲暁に対面し、その寺が開かれた契機や、そこに祭られている本尊の霊験といった事などを、様々に問うていった。

足利義詮 僧都殿、私はね、なんとかして、この乱れた天下を静め、大敵を亡ぼしてしまいたいのですよ。その為にも、ぜひとも仏様のご擁護(ようご)を頂きたいと思ってます。いったい、どの菩薩(ぼさつ)様を礼拝し、いかなる秘法を修していったらいいんでしょう?

雲暁 はい、それはですねぇ・・・(ぐっと背を伸ばす)・・・およそ、諸仏(しょぶつ)諸菩薩(しょぼさつ)がもたらされる利益(りやく)、あるいは方便(ほうべん:注3)といったもんは、実にバラエティに富んでおりましてなぁ。

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(訳者注3)衆生を自らに近づけんがために、仏が駆使する様々な手だて。
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足利義詮 ふーん。

雲暁 み仏は、ありとあらゆる手を自由自在に使ぉて、衆生(しゅじょう)を救われますんでなぁ。・・・こっちが良ぉて、あっちが劣ってるっちゅうような事、そないに簡単に言い切れるもんでも、ないんですわ。

足利義詮 ふーん。

雲暁 ただし、これだけは言えますわなぁ・・・世界の中心に聳(そび)え立ってるシュミ山の北方の守護を担当して、鬼門(きもん)の方角をガード、悪をくじいて屈服せしめ、戦の勝利という一大利益(いちだいりやく)を我々に与えたまう事にかけては、四天王(してんのう)中の多聞天(たもんてん)、別名、毘沙門天(びしゃもんてん)ともお呼び申し上げますが、この仏様のおん徳が、一番ですわ。

足利義詮 ふーん。

雲暁 宰相様、これはな、なにも、我が寺のご本尊が毘沙門天様やから、わざと言うてんのんとは、ちゃいますでぇ。その証拠にな、古代中国に、こないな事例がありますがな。

雲暁 唐(とう)王朝の時、玄宗皇帝(げんそうこうてい)治世の天宝12年、安西(あんせい)という所に反乱が起こりました。数万の官軍が鎮圧に向かぉたのですが、戦うたんびに負けてばっかしですわ。

雲暁 玄宗皇帝、臣下にいわく、「もうこないなっては、人間の力の及ぶ所ではないわいな、わし、いったい、どないしたらえぇねん?」。

雲暁 臣下達は口をそろえていわく、「まことに、天の擁護無くしては、乱を鎮める事は不可能ですわ。不空三蔵(ふくうさんぞう:注4)を召されて、彼に大法を修させるしか、しょうがおまへんなぁ。」

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(訳者注4)不空(Amoghavajra):真言宗付法第6祖。スリランカ出身(一説には北インド出身とも)。720年に師の金剛智(Vajrabodhi)に随って唐へ入った。その後、真言密教はこの不空から恵果(けいか)へ伝えられ、さらに恵果から空海(くうかい:弘法大師)へと伝えられ、空海の帰国によって日本に入ってきた。(参考:「仏教辞典:大文館書店刊」)
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雲暁 皇帝はすぐに、不空三蔵を宮中に召し、彼に毘沙門天法を修させました。すると、まぁなんと驚いた事には、その夜、鋼鉄の牙を持つ金の鼠数100万匹が、安西に突如出現しよりましてな、反乱軍の太刀、小刀、兜、鎧、矢のハズ、弓の弦に至るまで、一つ残らず食い破り食い切り、さらには、人間までも、噛み殺し始めました。こないなっては、反乱軍もそら、たまりまへんわいな、全員首を延べて降伏してきよりました。かくして、官軍は矢の一本も射る事なくして、反乱側の大軍を平定することができた、というわけです。

足利義詮 フーン!

雲暁 我が国にも、同じような例がございますで。

雲暁 朱雀(すざく)天皇の御代においては、金銅製の四天王を比叡山(ひえいざん)に安置し奉って、あの平将門(たいらのまさかど)を亡ぼしました。かの聖徳太子(しょうとくたいし)も、毘沙門天の像を刻んで兜の正面にそれを置き、物部守屋(もののべのもりや)を誅せられました。

足利義詮 うーん、なるほど!

足利義詮の両手 パン!(右手を握りしめ、開いた左手を軽く叩く)。

雲暁 こないに奇特(きとく)なご擁護のお力は、広く世の知る所、人々の仰ぐ所ですよってにな、毘沙門天様のご加護の威力に、何ら、不審をさしはさむ余地はありません!

足利義詮 うん!

雲暁 それにしても、宰相様は、ほんまにもう、なんとまぁ、運のお強いお方なんでっしゃろなぁ・・・よりにもよって、毘沙門天様が示現したもう、この我が寺に陣を敷かれるとは!

足利義詮 そうだよな! きっとお力、頂けるんだよな!(強く、うなずく)

雲暁 頂けますともぉ! 頂かいでかぁ! 先に申しあげました昔の事例の数々が、何よりの証拠ですやん! 宰相様は必ずや、毘沙門天様のお力を頂かれて、イッパツで天下を静められ、敵軍を千里の外に掃(はら)い除(のぞ)かれますわいな、ゼッタイ間違いありませんてぇ!

足利義詮 よーし! やるぞぉ!

足利義詮の両手 パンパンパンパン!(握りしめた両手で、膝を叩く)。

このように、頼もしげに力説する雲暁の言葉に、義詮も大いに信心を起こし、丹波国の小川庄(おがわしょう:兵庫県・丹波市)を、岩屋寺の永代領地として寄進した。

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