太平記 現代語訳 18-3 瓜生兄弟、新田陣営へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「先帝陛下、吉野に御座あり。近隣諸国より続々と兵が参集」との情報を聞き、京都の周章狼狽(しゅうしょうろうばい)は言うに及ばず、諸国の武士らも、またもや天下の雲行き穏やかならず、と顔を曇らせている。

しかし、それから2か月たった今も、ここ、金崎城(かねがさきじょう:福井県・敦賀市)においては、それを知る人もいない。城の外部との人間の出入りがと絶えているからである。

1月2日、朝凪の中に、櫛川(くしがわ:敦賀市)の河口洲のあたりから金崎めがけて進んでくる未確認遊泳物体を発見。ミルやワカメを採取するために海に潜る海士であろうか、あるいは、波に漂う水鳥であろうかと、城中からよくよく眼をこらして見れば、それは人間であった。亘理新左衛門(わたりしんざえもん)という者が、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)からの密書を髪に結わえ付けて、海を泳いで渡ってきたのであった。

城中は騒然となった。

亘理新左衛門 新田義貞(にったよしさだ)殿は?・・・(ハァハァ)。

新田義貞 おう、おれが新田義貞だよ。

亘理新左衛門 新田殿・・・(ハァハァ)これが・・・(ハァハァ)陛下よりの密書・・・(ハァハァ)。

新田義貞 ご苦労!

密書 パサパサパァ(開かれる音)

亘理新左衛門 ・・・(ハァハァ)・・・・・・(ハァハァ)。

新田義貞 (密書を読んで)エェーッ なんだってぇ!

新田軍メンバー一同 殿、なんて書いてあります?

新田義貞 いやぁー、こりゃ驚いたなぁ。陛下はな、密かに京都を脱出して、今は吉野(よしの)におられるんだとよぉ! 近隣諸国から武士らが続々と陛下のもとに参集、間もなく、京都攻めにとりかかられるんだとよぉ!

新田軍メンバー一同 ウォー! やったぜぇぃ!

天皇よりの密書が城中に届けられたことを察知した、城を包囲する足利側は、

足利側 天皇の京都脱出、なんとか今日まで隠し通してきたのに、ついに知られてしまったか・・・こりゃぁ、ヤバクなってきたなぁ。

一方、城にこもる新田側は、

新田側 そのうち味方の兵が国々で立ち上がって、この城を包囲してる連中らを追っぱらってくれるだろうよ! あぁ、うれしいなぁ!

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瓜生保(うりうたもつ)は、足利側について斯波高経(しばたかつね)の配下に属し、金崎城攻撃に布陣していた。

保の3人の弟たち、重(しげし)、照(てらす)、義鑑房(ぎかんぼう)は、未だ金崎へは向かわず、杣山城(そまやまじょう)にいた。彼らは、昨年10月の新田一族の北陸方面への逃亡の際に、義鑑房が預かって隠し置いていた脇屋義助(わきやよしすけ)の子息・義治(よしはる)を大将に立て、反足利の挙兵をしようと、日々夜々に計画を練っていた。

保は、この弟たちの動向を聞いて、

瓜生保 (内心)うちの弟連中らが、十分な準備もしないまま、謀反起こしてしもぉたら、やばいわなぁ。「謀反の企て、兄のおまえが知らんはずなかろう!」ってな事になって、おれも金崎で殺されてしまうわ。

瓜生保 (内心)となると、おれも弟らと心一つに合わせて、運を天に任せて足利に反旗を翻すしか、しょうがないのかなぁ・・・。でもなぁ、おれたちだけでは心もとないんだわ・・・誰か、この企てに加担してくれる人、いないもんか。

そこで保は、壁に耳を付け、心を人の腹の上に置いて、あれやこれやと、うかがい探ってみた。

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ある日、保は、隣どうしに陣屋を並べていた宇都宮泰藤(うつのみややすふじ)と天野政貞(あまのまささだ)と3人で集まって、よもやまの雑談に花を咲かせていた。

話題が家々の旗の紋の事になったときに、誰とは知らぬが末座の者が、問うていわく、

末座の者A ところでねぇ、[二引両(ふたつびきりょう)]と[大中黒(おおなかぐろ)]とでは、どっちが勝れた紋といえるんでしょうかねぇ?(注1)

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(訳者注1)[二引両]は足利家の紋、[大中黒]は新田家の紋。
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宇都宮泰藤 そうだなぁ・・・紋の善悪はさしおいて、吉か凶かで論じるならば、大中黒ほどめでてぇ紋はねぇだろう。

末座の者A その理由(わけ)は?

宇都宮泰藤 そのわけはだなぁ、前に政権の座にあった北条家の紋は、三鱗形(みつうろこがた)だったろ? で、今は、二引両全盛の世の中。これを滅ぼすとなりゃ、そりゃぁ、一引両に決まってるわさ。三、二、一の順でね。(注2)

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(訳者注2)三鱗形は鱗が3個。二引両は丸の中に水平線2本。大中黒は丸の中に水平線1本。だから泰藤は、大中黒の事を「一引両」と表現したのである。
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天野政貞 そうだよ、そうだよ。周易(しゅうえき)という易学の書物ではね、「一」という文字を「かたきなし」って読むんだってさ。だからね、この大中黒の紋は、きっと天下を治め、日本全国にことごとく「敵無し状態」になるって事なんじゃないだろうかねぇ。

このように政貞は、文字に関する自らの教養を披瀝した。さらに傍らから別の者が、

同席の者B 天には口がないので、今ここで人の口を借りて、天命を伝えようということでしょうかねぇ、ワハハハ・・・。

憚る所なく笑い戯れている。

瓜生保 (内心)ははぁん、この人らも、足利に対する謀反の心を懐いているようだわね。よしよし。

それ以降、保は、宇都宮泰藤と天野政貞に対して、頻繁に酒を送ったり茶を勧めたりして、急速に二人に接近していった。そしてついに、「後醍醐天皇への忠誠を貫き、足利に謀反しよう」との自らの思いをうちあけた。

それを聞いて、泰藤も政貞も、「そういう事なら、自分もいっしょに」ということになった。

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瓜生保、宇都宮泰藤、天野政貞の作戦会議が開かれた。

瓜生保 こういう事になったんだから、私、すぐに杣山城へ帰って兵を挙げますよ。

宇都宮泰藤 いやね、やっかいな事が一つあるんですよ。諸国からの軍勢がいとまごいもせずに徐々に抜け出して自分の領地へ帰っていくのを食い止めるためにね、高師泰(こうのもろやす)が、四方の口々に関所を設けてるんだ。関を兵でがっちりとかためて、人を通さないようにしてるんだ。

天野政貞 いや、あれはね、絶対に誰も通さないって事でもないんですよ。何か用事がある時には、師泰から通行許可印をもらったら、関所を通れるって事になってるんだ。

瓜生保 じゃぁ、ここは一つうそをついて、関所を通り抜けるとしましょう。

保は、高師泰のもとへ行き、

瓜生保 高師泰殿の馬にやる大豆を、杣山城から取り寄せたいと思ぉとるんやわ。そのためには、人夫150人を城に送る必要があるんや。関所の通行許可印、ちょうだいね。

高師泰の執事の山口祐隼(やまぐちゆうと)は、杉板で札を作り、「この札を持つ人夫ら150人の通行を許可すべし」と書き、判をついて渡した。

保は、この札を受け取って、下の方の判がつかれた部分だけを残し、上の方の文字をみな削り取って、「この札を持つ上下300人(注3)の通行を許可すべし」と、書き直した。

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(訳者注3)「身分の上の者や下の者らから成る集団300人」の意味か。
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このようにして保は、泰藤、政貞と共に、三山寺(みやまてら:敦賀市)の関所を難なく通り抜けてしまった。

杣山城に帰還した保を迎えて、3人の弟は大いに喜び、さっそく脇屋義治を大将に仰いで1月8日、阿久和(あくわ:福井県・南条郡・南越前町)の社の前で、中黒紋の旗を掲げた。

去年の10月に坂本から逃げてきたまま、ここかしこに潜んでいた新田軍残党メンバーが、これを聞きつけて次第に馳せ参じてきたので、間もなくその兵力は1,000余騎までになった。そこで、その中から500騎を割いて、鯖波(さばなみ:福井県・南条郡・南越前町)宿と湯尾峠(ゆのおとうげ:福井県・南条郡・南越前町)に関を設置し、北国街道を塞いだ。

さらに、昔の燧ヶ城(ひうちがじょう:南越前町)跡の南東方向の山中の、水も木材も十分に確保できる険しく切り立った峯に根城を構え、食料7,000余石を運んでそこに蓄えた。これは、万一決戦に負けた際に、そこにたてこもる為である。

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瓜生らの動きをキャッチした高師泰は、

高師泰 あいつらをさっさと退治しとかねぇと、やばい事になる。剣山(つるぎさん)や白山(はくさん)の衆徒連中らがやつらに合流しやがったら、もう大変な事になっちまうじゃねぇか。一刻も早く、杣山城を落とし、金崎城を安心して攻めれるようにしなきゃ。

師泰は、能登(のと:石川県北部)、加賀(かが:石川県南部)、越中(えっちゅう:富山県)の軍勢6,000余騎を、杣山城へ差し向けた。

これを聞いた瓜生保は、要害に敵陣を取らせまいと、新道(しんどう:敦賀市)、今庄(いまじょう:敦賀市)、桑原(くわばら:敦賀市)、宅良(たくら:南越前町)、三尾(みつのお:場所不明)、河内(かわのうち:場所不明)あたり4、5里ほどにわたって、民家を一軒残らず焼き払い、杣山城の麓の湯尾宿(ゆのおじゅく)だけは、わざと焼かずにそのままにしておいた。

1月23日、足利側6,000余騎は、深い雪の中を、カンジキもはかずに出発。8里の山道を1日で踏破して、湯尾宿に到着。そこから杣山まではまだ50町の距離があり、その間には大河が流れている。(注4)

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(訳者注4)日野川。
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足利軍メンバーC あーあ、日も暮れてしもぉたし、今朝から雪の山道を歩きどおしやろ、もうくたびれてもうたなぁ。

足利軍メンバーD 城攻めは明日やねぇ。明日には城に接近して矢合わせをするとしてやねぇ、今日はもうオネンネよ。

足利軍メンバーE さぁて、そこらに家はないかいね。早く横になりたいよぉ。

足利軍メンバーF ここらには、家は少ないねぇ。

足利軍メンバーC やれやれ、どっこいしょっと。(付近の家の中に入って寝転がる)

足利軍メンバーD おれもどうぞ、仲間に入れてくださいまし。

足利軍メンバーE おれも。

足利軍メンバーF おれも。

足利軍メンバーC おいおい、いいかげんにしろやぁ。こんな狭い家の中にどんどん入ってきて。そんなスペース、どこにも無いやろ!

足利軍メンバーD そんな事言ったって、しょうがないやろ、ねぐらに使える家、少ないんやからぁ。みんなで仲良く譲り合わせて、オネンネ、オネンネ。

足利軍メンバーE あぁ、寒い、寒い! 早く火をたこうよ、体、冷えきっちゃったよぉ。

足利軍メンバー一同 ・・・。

足利軍メンバーD あぁ、火ぃついた・・・あぁ、あったかい!

足利軍メンバーE やれやれぇ、これでゆっくり寝れるわな。

間もなく、彼らはぐっすりと寝入ってしまった。

瓜生保 よしよし・・・こちらの作戦通りになった。敵を谷底にまんまと誘い込んでやったわい。

やがて、夜半過ぎ、

瓜生保 そろそろ行くかぁ!

保は、野伏(のぶし)3,000人を背後の山に上がらせ、足軽兵700余人を左右へ配備した後、全軍一斉にトキの声をあげさせた。

瓜生軍リーダー エーイ! エーイ!

瓜生軍メンバー一同 オーウ!

足利軍メンバーC (寝ぼけながら)・・・ふにゃふにゃ・・・遠くの方で、「えいえいおう」とか言ってるなぁ・・・あ・・・うわぁ! 敵襲だぁ!

足利軍メンバーD なにぃ、敵襲だって! おいおい、鎧、鎧、おれの鎧はどこだぁ!

足利軍メンバーE おれの太刀は・・・兜は・・・どこだぁ!

このように驚いてあわてふためいている中に、宇都宮泰藤と紀清両党(きせいりょうとう)の軍が乱入、家々に次々と火を放って行く。

足利側はもうパニック状態である。

鎧を着けた者は太刀を持たず、弓を持った者は矢を持たず、5尺余り積もった雪の上にカンジキもはかずに走り出ていくものだから、胸まで雪に埋まってしまい、足を抜こうとしても抜けない。まさに泥の中に落ち込んた魚も同然。

捕虜になった者は300余人、討たれた者は数えきれない。そこからようやく遁れることのできたわずかの者もみな、鎧を捨て、弓矢を失って、逃げ帰ってきた。

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