太平記 現代語訳 9-5 篠村八幡宮にて戦勝祈願の後、足利軍、京都へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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5月7日午前4時、足利高氏(あしかがたかうじ)は、2万5千余騎の軍勢を率いて、篠村宿(しのむらじゅく:京都府・亀岡市)を出発した。

闇の中、足利軍は、粛々(しゅくしゅく)と馬を進めて行く。

途中、篠村宿の南方の当たりに、葉の生い茂った一本の楊(やなぎ)の古木が見えた。その近くには社殿であろうか、何やら建物が建っている。燃え残りの篝火(かがりび)が、ほのかに見える。

足利高氏 (内心)うん、あのかすかな音は?・・・鈴の音かな・・・あそこの神官が鈴を振ってるんだろうか・・・実に神々しいなぁ。あの神社はいったい、どちらの神様をお祭りしてるんだろう?

足利高氏 (内心)これから戦場に赴く門出でもあることだしな、どんな神様でもいいや、とにかく戦勝祈願を捧げて行くとしよう。

高氏は、馬から降りて兜(かぶと)を脱ぎ、祠の前にひざまづいて、祈りを込めた。

足利高氏 (内心)願わくば、この神社にお祭りされている神様、今日の合戦が我らの勝利に終わり、朝敵・北条氏を退治できますように・・・なにとぞ、なにとぞ、我らに、ご擁護(ようご)のお力を、お加え下さいませ。

このように祈り込めながら社前に座しつつ、そこに来合わせた神官に問うた。

足利高氏 こちらのお社にお祭りされている神さまは、いったいどちらの神さまでしょうか?

神官 あぁ、こちらにお祭りしとります神様はなぁ、八幡様(はちまんさま)でございますよ。

足利高氏 (内心)!!!

神官 その昔、八幡(やわた:京都府・八幡市)の本宮からこちらのお社に、勧請(かんじょう)たてまつりましてなぁ、ほいでもって、ここにお祭り申しあげとるんですわ。以来、「篠村の新八幡(しのむらのしんはちまん)」て、呼ばれてますねん。

足利高氏 なんと! 八幡さまと言えば、我が源家が先祖代々崇めたてまつってきた、いと霊妙なる氏神様ではないか! このような時にまさにこの場で、八幡さまの社に出あうとは・・・うーん・・・。

足利高氏 私のような者の志でも、神さまにちゃんと通じている、という験(しるし)以外のナニモノでもないですね! これはまたとないよい機会、よし、願文(がんもん)を一通、こちらのお社に奉献させていただきましょう。おい、妙玄!

疋壇妙玄(ひきだみょうげん) ははっ!

高氏の命を受けて、疋壇妙玄は、さっそく鎧の中から携帯硯(けいたいすずり)を取り出し、筆を構えて、すらすらと願文をしたためた。そして、声高らかに、社前にて読み上げた。

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祈願の事、ここにつつしんで申し上げます。

思えば、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)さまは、わが祖先の霊廟(れいびょう)、さらには、源家中興(ちゅうこう)の守護神であらせられます。

八幡さまの本地(ほんじ:注1)のみ心は、極楽浄土(ごくらくじょうど)の天上(てんじょう)に輝きわたる月光のごとく、その垂迹(すいじゃく:注2)のお姿は、七千余の神々の座の中に光を放っておられます。仏縁(ぶつえん)をもってして、世の人々を教化(きょうげ)せしむるも、非礼(ひれい)の祭りごとをよしとされず、哀れみをもって衆生(しゅじょう)を利し、正直に生きて行こうとする者を、ご守護下さいます。ああ、大いなるかなそのおん徳、人々がこぞって己が誠(まこと)を、八幡大菩薩さまにお捧げしていくのも、当然のことと申せましょう。

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(訳者注1)本体。

(訳者注2)分身。
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さてさて、承久(しょうきゅう)年間の頃よりこの方、我が源家の家臣にして、平氏末裔(まつえい)の末端にすぎぬ北条氏の輩(やから)どもめ、ほしいままに天下を牛耳(ぎゅうじ)り、九代にもわたって、その邪(よこしま)なる猛威をふるっております。

その上更に、日本国の帝王たる先帝陛下は、彼らによって西海(さいかい)の波の彼方に追いやられ、天台座主(てんだいざす)・護良親王(もりよししんのう)殿下も又、南方の山の雲中に苦しんでおられます。

北条氏のその悪逆のはなはだしきこと、まことにもって前代未聞であります。きゃつらこそは、朝敵の最たる者。臣下としての道を踏み外し、神々に敵対する彼らに対して、天は必ずや、誅罰(ちゅうばつ)を下される事でありましょう!

いやしくもこの高氏、彼らのそのような積悪(せきあく)を見て、魚の薄い肉をもってまな板の上で鋭利(えいり)な刃物に当てるを決意、自らの貧弱な力をも顧(かえ)りみず、大敵北条氏に対して、今ここに決起いたしました! その動機、自らの遺恨(いこん)を晴らさんがため、といったような、矮小(わいしょう)なものでは、決してありません。

いまや、義に生きるすべての勢力は、力を合わせて打倒北条に立ち上がり、首都の西南に結集いたしました。かの総大将(注3)殿は八幡に、そしてこの私は、ここ篠村に。双方共に、八幡さまの神域の中、ご擁護の懐(ふところ)にいだかれながら、決起いたしたのであります。なんたる不思議な一致を、見た事でありましょうや! かくなる上は、朝敵討伐の成就(じょうじゅ)、疑い無しでございます。

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(訳者注3)千草忠顕が大将と仰いでいる、後醍醐先帝の皇子の事を指しているのであろう。
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我らが頼りとするは、「我、百代の帝王を鎮護(ちんご)せん」との、天皇家グランドマザー・天照大神(あまてらすおおみかみ)さまの、固いご誓約(せいやく)であります。我ら一同、この社前の狛犬(こまいぬ)を見て、勇気を煮えたぎらせております! わが源家の先祖代々の帰依(きえ)の心に応(こた)え、必ずや、大偉神力(だいいじんりき)を、現わし頂けることと信じております。

かの中国唐の時代、敵陣中に金色の鼠(ねずみ)が現れて敵を撃破(げきは)いたしたごとくに、なにとぞ、なにとぞ、この「義の戦」に、霊威(れいい)を輝かせたまえ。徳の風を草に加えて、敵を千里の外になびかせ、神の光をわが剣に得せしめて、ただ一戦の中に、勝利をおさめることができますように。

わが誠の心、かくのごとし、なにとぞ、ご照覧(しょうらん)下さいませ!

うやまって申す。

元弘(げんこう)3年5月7日  源朝臣高氏(みなもとのあそんかたうじ)敬白(けいはく)(注4)
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(訳者注4)足利氏のルーツ・足利義康は、源義国の子であり、源義家の孫である。なので、高氏も、源氏の流れに所属している。
 平安時代に河内源氏の棟梁、源義家(八幡太郎義家)の四男・源義国(足利式部大夫)は下野国足利荘(栃木県足利市)を領して本貫とし、次男・源義康以降の子孫が足利氏を称した。新田氏とは同祖の関係である。
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文章は玉を綴(つづ)るがごとく、詞(ことば)は明らかにして理(り)は濃(こ)まやか、八幡さまもきっと、この願文をお聞き届け下さったことであろうと、社前に集う人々はことごとく、八幡さまへの信を固め願をかけた。

高氏は、自ら筆をとってその願文にサインし、鏑矢(かぶらや)を一本それに添えて、社殿にお備えした。足利直義(ただよし)をはじめ、吉良(きら)、石塔(いしどう)、仁木(にっき)、細川(ほそかわ)、今川(いまがわ)、荒川(あらかわ)、高(こう)、上杉(うえすぎ)以下、高氏に従うメンバーもみな、我も我もと矢を一本づつ献上した。かくして、社殿に矢はうずたかく、塚のように積み上がった。

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(訳者注5)足利尊氏(この段階では「高氏」)が祈願を捧げたこの神社、すなわち、[篠村八幡宮]は、京都府・亀岡市に、現存している。
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夜はすでに明けた。前衛部隊は進軍を開始、後衛がそれに続く。

大枝山(おおえやま)の峠を越えようとしたちょうどその時、山鳩ひとつがいが飛び来って、旗持ちがささげ持つ白い大将旗の上を、ひらひらと舞った。高氏はとっさに叫んだ。

足利高氏 みんな、あの鳩を見たまえ! あれこそは、八幡大菩薩さまが我らをお護り下さっていることの、何よりの験(しるし)ではないか!

足利軍一同 おー!!

足利高氏 みんな、あの鳩について行け! 鳩の進む方向に進軍!

足利軍一同 ウォー!!

足利軍は、大将旗を持つ者を先頭に、鳩の後を追って進軍していった。

鳩は静かに飛び行き、やがて、かつての内裏があった場所、神社総庁跡前(注6)の栴檀(せんだん)の木に留まった。

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(訳者注6)原文では「神祇官」。
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足利軍は全員、この奇瑞(きずい)に勇み立ち、京都・上京(かみぎょう)方面を目指して、さらに軍を進めていった。

途中、六波羅庁軍サイドの者たちが、5騎、10騎と旗を巻き、兜を脱いで続々と、足利軍に投降してくる。

かくして、篠村を出発した時にはわずかに2万余であった足利軍は、右近馬場(うこんのばば:注7)を過ぎる頃には、5万余にまで膨張した。

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(訳者注7)現在の北野天満宮のあたり。
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