太平記 現代語訳 39-2 山名時氏、吉野朝サイドから足利幕府サイドへ転ずる

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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山名時氏(やまなときうじ)とその子息・山名師義(もろよし)はここ数年、足利幕府の敵となって吉野朝廷と連合し、二度までも、京都を占領した。

将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)にとっては、まさに、敵の最たるものというべき存在であったが、縁故をたどって内々に、幕府に対して降伏の意向を伝えてきた。その言い分は、以下の通り:

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過去2回の、私の京都占拠、まったくもって不義なる行為であると、お思いのことでしょう・・・ただ・・・これだけは、聞いて下さい、あれはなにも、将軍様の政権を危うくしようという意図など、全く無かったのです。ただただ、あの大悪人・佐々木道誉(ささきどうよ)の、あまりにもムチャな振舞いに対して、ここはひとつ、思い知らせておかなければ、と思っての事だったのです。

今さら、こんな事、言えたものではないかもしれませんが、でも、思い切って申し上げます、もし過去の事を不問にし、私どもを赦免していただき、現在、領しておる国々の守護に任命していただけるならば、将軍様の下に参って、忠を致す所存でございますが・・・いかがでしょうか?
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幕府リーダーA うーん、こりゃぁ、いいですねぇ。

幕府リーダーB 山名も、ついに折れてきましたなぁ。

幕府リーダーC ヤツがこっちサイドについたら、諸国の南方朝廷サイドの連中、さぞや、ガックリきちゃうことでしょう。

幕府リーダーD 中国地方は、これで完全に、静穏無事になりますね。

足利義詮 うん、いいねぇ、赦免しちゃおうよ。

というわけで、山名時氏は、赦免された・・・しかも、とほうもないオマケ付きで・・・ここ数年占領してきた、因幡(いなば:鳥取県東部)、伯耆(ほうき:鳥取県西部)のみならず、なんと、丹波(たんば:京都府中部+兵庫県東部)、丹後(たんご:京都府北部)、美作(みまさか:岡山県北部)までも・・・計5か国もの守護職を、獲得してしまったのである。

長年、幕府に功績のあった人々は、みな手を空しくし、山名父子のみ栄華に浴す・・・二人の上には、突然春がやってきたかのようである。

当然の事ながら、山名父子に対して、多くの人々のねたみが集中した。

幕府サイド所属の武士E (ヒソヒソ声で)なんでぇ、なんでぇ、今回の処置、ありゃいってぇ、なんでぇ!

幕府サイド所属の武士F (ヒソヒソ声で)将軍様もまた、ミョーな処置、されたもんだよなぁ。

幕府サイド所属の武士G (ヒソヒソ声で)山名っていやぁ、ずっと将軍様に敵対してきたヤロウじゃねぇか、なのに、あんなにガッポリ、せしめちゃってよぉ。

幕府サイド所属の武士H (ヒソヒソ声で)でもってぇ、ずぅっと、幕府に尽くしに尽くしてきたオレたちにゃ、なんにも無しかよぉ。

幕府サイド所属の武士I (ヒソヒソ声で)あぁもう、バカバカしくって、やってらんねぇ!

幕府サイド所属の武士J (ヒソヒソ声で)みんな、いいこと教えてやろうかぁ・・・領地をたくさん持つ一番の近道、それはだなぁ、将軍様の敵になることだぜ。

幕府サイド所属の武士一同 (ヒソヒソ声で)ブフッ、言えてるぅ。

しかし、こんな事をいくら言ってみても、どうしようもない。

昔の詩人の風刺詩に、次のようなものがある。

 人々が美麗を競えば
 堂々とした馬 きらびやかな車が 列を連ねる
 人々はひたすら 行列に目を奪われ 松や柏は忘れ去られてしまう
 立派な木々といえども 道端の花にさえ及ばないような存在に なりさがってしまうのだ

(原文)
 人物競紛花
 麗駒逐鈿車
 此時松興柏
 不及道傍花

人類の歴史は、まったくその言葉の通りであるのだなぁ、と、あらためて思い知らされるような、足利幕府の山名への処置であった。

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