太平記 現代語訳 10-8 大仏貞直と金澤貞将の最期

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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昨日までは2万余騎の軍勢でもって、極楽寺坂(ごくらくじざか)切り通しルートを見事に防衛していた大仏貞直(おさらぎさだなお)であったが、今朝になって突然、浜手(はまて)の方に倒幕軍が出現、それとの戦闘において壊滅的(かいめつてき)な打撃を受け、大仏軍の残存兵力は300余騎になってしまった。

倒幕軍に背後を遮断(しゃだん)され、進退ままならなくなってしまった。見れば、北条高時(ほうじょうたかとき)の館にも、既に火がかかったようである。

「今生(こんじょう)の命、もはやこれまで」との思いからか、あるいは、「主君・貞直に自害を勧めよう」としてのことであろうか、主な郎従30余人は、砂の上に鎧を脱ぎ捨て、全員並んで腹を切ってしまった。これを見た貞直は、

大仏貞直 まったくもう、なんて事すんだよ・・・日本一の愚か者ども! ハァー(溜息)

大仏貞直 たとえ千騎が一騎になろうとも、トコトン敵をやっつけて名を後代に残してこそ、武士の本懐(ほんかい)ってもんだろうが! えぇい、もぅ!

大仏貞直 よぉし、じゃぁな、最後の一戦、気持ちよくヤラカして、武士の生きざまを見せてやろうかい!

貞直は、200余騎を従えて、大嶋(おおしま)、里見(さとみ)、額田(ぬかだ)、桃井(もものい)率いる倒幕側の軍団6,000余騎のド真ん中に突入、思う存分戦って多数を討ちとり、バァーッと相手陣を突破した。

見れば、自分に従う者はわずか60余騎までに、減ってしまっている。貞直は、再び彼らを集めていわく、

大仏貞直 こうなったら、下っ端の連中と闘ってもしようがないからなぁ、オオモノを狙うんだよ、オオモノを。

彼らは、脇屋義助(わきやよしすけ)率いる雲霞(うんか)のごとき大軍のドまん中に懸け入って、一人残らず討死、その屍(しかばね)を戦場の土上に残した。

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金澤貞将(かなざわさだまさ)は、山内(やまのうち)方面で800余人を率いて戦っていたが、ついにその軍は壊滅、自らも7か所に傷を負い、北条高時(ほうじょうたかとき)がこもっている東勝寺(とうしょうじ)へ帰ってきた。

北条高時 やぁー、金澤殿! よく戦ってくれたなぁ。この感謝の気持ち、とても言葉には・・・よし、こうしよう! 「金澤貞将、六波羅庁(ろくはらちょう)長官に任命、あわせて、相模守(さがみのかみ)に任ず」。おい、早いとこ、執権指令書を書け!(注2)

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(訳者注2)原文では、「入道なのめならず感謝して、やがて両探題職にすえらるべき御教書をなされ、相模守に移されける。」
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金澤貞将 (心中)なんだってぇ? 六波羅庁長官? 相模守?

金澤貞将 (心中)いったいナニ考えてんだろうなぁ、このヒト・・・我ら北条一門の命運、今日を限りになること確実だってのに・・・うーん・・・まぁ、いいか。

金澤貞将 六波羅庁長官といえば、一族の羨望(せんぼう)集まる、最高に名誉ある職・・・あぁ、長年の念願がついにかないましたよ・・・冥土へ持っていくには、絶好の記念品ですね。

貞将は、執権指令書を受領した後、再び戦場に赴いた。

彼は、執権指令書の裏に、「わが百年の命を棄てて、公(きみ)の一日の恩に報ず」と大書し、それを鎧の中に挟み込んだ。

金澤貞将 さぁー、行くぞぉ!

金澤貞将の郎等一同 オーーー!

金澤貞将は、倒幕側勢力の大軍中に懸け入り、ついに戦死した。

北条家メンバーは言うまでもなく、他家の者たちも残らず、彼のこの最期の姿に深く感じ入った。

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