太平記 現代語訳 5-6 護良親王、危機一髪

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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大塔宮・護良親王(おおとうのみや・もりよししんのう)は、奈良の般若寺(はんにゃじ:奈良市)に潜伏しながら、笠置寺攻防戦の情勢をうかがっていたが、

護良親王 ナニッ! 笠置はすでに陥落、陛下は、囚われの身になられたと・・・うーん・・・。

虎の尾を踏むがごとき危機、親王の身に迫り、天地広しといえども、我が身を隠す一寸の場所も無し。明らかに輝く日月の下にありながら、冥土の闇の中にさ迷うかのごとき心地。昼は野の草むらの中に隠れ、露おく緑の床に涙を落とし、夜は人里離れた村に佇んでは、人を見て吠える里の犬に悩まされる。安心して身を落ち着ける場所は、どこにも無い。

護良親王 (内心)しばらくの間だけでもえぇから、どっか、身ぃ隠せれるようなとこ(所)、ないかいなぁ。

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どこからどうやって探り当てたのであろうか、ある日の未明に突然、興福寺の一乗院(いちじょういん)の按察法眼・好専(あぜちほうげんこうせん)が、500余騎を率いて般若寺へ押し寄せてきた。

おり悪しく、親王に付き従っている人々が全員出はらっているので、ひとまず防戦し、それから逃走、というわけにもいかない。寺内くま無く、捜索隊の者らが押し入ってきているから、何かに紛れて脱出することも不可能。

護良親王 (内心)こないなったら、自害あるのみや!(モロ肌を脱ぐ)

護良親王 (内心)いや、待て、待て! 腹を切るのなんか、簡単な事やんか。もう、どないしょうもないっちゅうトコまで、行ってしもてからでも、切れるやんか。万に一つの希望に賭けて、どこまで隠れ通せるもんか、とことん、やってみよ!

そこで親王は、仏殿にかけ込んだ。

殿内を見回してみると、唐櫃(からびつ)が3つある。そのうち2個は、蓋がしてあるが、残りの1個は、蓋が開いたままになっている。その唐櫃の脇に、書物が積まれている。

護良親王 (内心)これ、大般若経(だいはんにゃきょう)やんか。

唐櫃の中には、外にあるのと同程度の分量の、大般若経(注1)の経典がある。

護良親王 (内心)ここの寺のもんが、この経典を読みかけたままにして、放置してるんやなぁ。

護良親王 (内心)そうや、この中に、隠れたろ!

その櫃の中に、親王は身を縮めて伏せ、体の上に経典をひっかぶった。

隠形の呪(おんぎょうのじゅ:注2)を心中に唱えながら、身を潜める護良親王。

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(訳者注1)『大般若波羅蜜多経』(だいはんにゃはらみったきょう)の略称。インド等にあった般若経典群を、玄奘が中国へ持ち帰り、それが漢訳されてできた。600巻から成る膨大なものなので、法要の中で、その全てを通常の方法で読経することは不可能。ゆえに、[転読]という方法が用いられる。すなわち、複数の僧侶が自分の担当部分の経典を手に持ち、それを右または左に傾けながら、経が書かれている紙をパラパラと、一方へ落としながら、速読していく。

(訳者注2)わが身を人の目から隠すのに効果がある、とされている真言。
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護良親王 (内心)見つかってしもぉたら、ソク、この刀を我が体に突き立て・・・。

氷のように冷たい刃を脇腹におし当て、捜索隊の、「ここにいたぞ!」との叫びの一声を、今か今かと待ち構える親王の心中、我々には到底、想像のしようもない。

ついに、捜索隊が仏殿の中にまで乱入してきた。

彼らは仏壇の下、天井の上まで、余す所無く探しまわる。

捜索隊・隊員A いいひんなぁ、親王・・・。

捜索隊・隊員B そら、こんなとこにおるかいなぁ。隠れれるようなとこ(場所)、どこにもないやんかぁ。

捜索隊・隊長 おい、あれがどうも怪しいな。ほれ、あこにある唐櫃。あれ開けてミィ!

隊員A はいはい・・・どれどれ、よっこらしょっと。(閉じている方の櫃の蓋を開き)うわぁ、メッチャ、お経典入ったるがなぁ。

隊長 それな、全部、外へ出してな、櫃の中、調べてみんかいや。

隊員A えぇー、これを全部ですかいなぁ。

隊員B ものすごい数やでぇ。

隊長 エェから、やれぇ!

隊員A はいはぃー。

隊員B よっこらしょ。

隊員C んもぁー、まいったなぁ。

隊員D ・・・。

隊長 大事なもんやからな、ていねいに出せよぉ!

隊員A はいはぃー。

隊員B ・・・。

隊員C ・・・。

隊員D ・・・。

経典 ホソン・・・ホソン・・・。

護良親王 ドキドキドキドキ・・・(心臓の鼓動、音高く)

隊員A ほれ、これで、お経典、全部、外へお出し申し上げたわいな。(櫃の一方を持ち)おい、そっち側持ってくれるかぁ。

隊員B オッケー、オッケー。(櫃のもう片方を持つ)。

隊員A ほいでな、これひっくり返すんや。

隊員B ホイホイ。

隊員A イッセェノォ。

隊員B ホイ!

隊員C イッセェノォ。

隊員D ホイ!

隊員A ほれ、なぁも、出てこんわなぁ。

隊員B ホイホイ。

隊員A そっちの櫃は、どうやぁ?

隊員C こっちも、なぁもなし。

隊員D ホイホイ。

隊員B 隊長、こっちの櫃も、あっちの櫃もな、経典以外に、中にはなぁも無しやったでぇ。

隊員D あっちの、あの、フタの開いたる方はどないします?

護良親王 (内心)ドキッ!

隊長 そうやなぁ・・・。

隊員A 隊長! もうやめときましょうよぉ。あんな、フタが開いたるような櫃の中になんか、隠れよりますかいなぁ!

隊員B そうやで、時間のムダ言うもんや。こんなとこ、探してる間に、親王はもう、この寺から一目散に逃げていってしもぉとるでぇ。他を当たりましょうや。

隊長 うーん・・・よし、ま、他を探してみるとしよか。その前に、お出し申し上げたお経典をやな、櫃の中にまたちゃんと、お戻しせんとあかんわなぁ。

隊員C うわぁ、またまた、タイヘンな作業・・・。

やがて、捜索隊は寺を出ていった。

護良親王 (内心)フーッ・・・いやぁ、危ないとこやったぁ。もうアカン、思ぁたけど、きわどいとこで助かったなぁ! なんか、夢見てるみたいや・・・。

護良親王 (内心)いやいや、安心するのはまだ早いで。ひょっとしてあいつら、また帰ってきよってからに、前よりももっと念入りに、捜索しよるかもしれへんやんか・・・。

護良親王 (内心)よし、さっきあいつらが調べとった、あっちの櫃に移ったろ。

親王はそれまで身を潜めていた櫃から出て、別の櫃へ移り、その蓋を閉じた。

案の定、捜索隊が戻ってきた。

隊長 それそれ、そっちの方の櫃、フタの開いたる方のんや。さっきは、その櫃だけは、中をあらためてないわなぁ。それがどうも気になる。もういっぺん、その櫃、よぉ調べて見ぃ。

隊員A そんなとこに、いぃひんてぇ!

隊員B んもぉーっ、隊長、考えすぎぃー。

隊長 エェーから、調べてみぃ!

隊員A はいはぃー。

隊員B ・・・。

隊員C ・・・。

隊員D ・・・。

経典 ホソン・・・ホソン・・・。

護良親王 ドキドキドキドキ・・・(心臓の鼓動、音高く)

隊員A ほれぇ、この通りやぁ。お経典、みぃんな、外にお出ししましたでぇ。見てぇなぁ、櫃の中には、ネズミ一匹もいいひんやんかい!

隊長 ムムム・・・大般若経の櫃の中、よくよく探してみれば、護良親王にあらずして、玄奘(げんじょう)三蔵法師を我、発見せりか。(注3)

隊員B いやぁ、よぉいわんわぁ、隊長、うまいこと言ぅて、ごまかさはりますやん。

捜索隊一同 ワハハハ・・・。

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(訳者注3)玄奘三蔵は西遊記の三蔵法師のモデルとなった人であり、『大唐西域記』の著者でもある。中国から中央アジアを経由してインドまで赴き、再び中国に帰国、大般若経典他を持ち帰った。
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捜索隊は、寺の門から出ていった。

護良親王 (内心)いやぁ、今度こそ、確実に助かった。これもひとえに、摩利支天(まりしてん)のご守護、十六夜叉(やしゃ)のご擁護のおかげで、助かったわが命。

信心肝に銘じ、感涙は親王の袖を潤す。

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護良親王 こないなっては、もう、奈良も危ない、このへんに身を隠す事なんか、もう不可能や。はよ、この寺から逃げださなあかん。よし、熊野(くまの:和歌山県)方面へ、逃げるとしよ。

親王は、直ちに般若寺を出た。

彼に付き従うは、光林房玄尊(こうりんぼうげんそん:注4)、赤松則祐(あかまつのりすけ)、小寺相模(こでらさがみ)、岡本三河房(おかもとみかわぼう)、武蔵房豪雲(むさしぼうごううん)、村上義光(むらかみよしてる)、片岡八郎(かたおかはちろう)、矢田彦七(やたひこしち)、平賀三郎(ひらがさぶろう)等、9人ほど。

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(訳者注4)2-10 に、[光林房・源存]という人が登場しているが、これが、この巻に登場する[光林房玄尊]と同一の人であるのかどうかは、分からない。
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親王はじめ全員、柿色の山伏の服を着て笈(おい)を掛け、山伏頭巾を眉が半ば隠れるくらいに深くかぶり、最年長の者を先達(せんだつ)に見せかけ、田舎山伏の一行が熊野の三神社に参詣する体に見せかけた。

親王側近E (内心)殿下は皇居の中で成長され、外出の時はいつも美しい車に乗って、という感じやったから。

親王側近F (内心)熊野までの長い道のり、歩行は無理とちゃうやろか?

親王側近G (内心)心配やなぁ。

ところが、いざ出発してみれば、親王の足は全く疲れを知らない。

いったいいつ、このような事にもお慣れになったのであろうか、粗末な革製の足袋と脚絆を身に着け、草鞋をはいて道を行かれる。

道中、社がある度に、そこに幣を捧げ、宿に泊まる毎、勤行怠りなく行われたので、道中に出会う修行者にも、行いすました先達山伏らにも見とがめられる事もなく、一行は歩を進める事ができた。

 由良の湊(ゆらのみなと:和歌山県日高郡)を見渡せば
 沖漕ぐ舟の楫緒(かじお)絶え
 浦の浜木綿(はまゆう)幾重(いくえ)とも
 知らぬ浪路(なみじ)に鳴く千鳥
 紀伊の路の遠山はるばると
 藤代(ふじしろ:和歌山県海南市)の松に掛かれる磯の浪
 和歌・吹上(ふきあげ:和歌山市)を外に見て
 月にみがける玉津島(たまつしま:和歌山市)
 光も今はさらでだに
 長汀曲浦(ちょうていきょくほ)の旅の路(みち)
 心を砕く習いなるに
 雨を含める孤村(こそん)の樹
 夕べを送り遠寺の鐘
 哀れを催す時しもあれ
 切目の王子(きりめのおうじ:和歌山県日高郡)に着き給う

その夜、街道脇にある祠(ほこら)の露の中に、親王は一人籠もり、夜を徹して祈り続けた。

護良親王 南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)熊野の三所権現(さんしょごんげん)、満山(まんざん)の護法(ごほう)、十万の眷族(けんぞく:注5)、八万の金剛童子(こんごうどうじ)、一切衆生(いっさいしゅじょう:注6)への憐憫(れんびん)をもって世に示現(じげん)したまい、分け隔てなく闇の隅々まで照らしたもうのであれば、なにとぞ陛下にたてつく逆臣ども滅び、朝廷の威光再び輝くべく、ご冥護(みょうご)たれたまわんことを。

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(訳者注5)家来。

(訳者注6)一切の人間。
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護良親王 伝え承るに、熊野の本宮(ほんぐう)・新宮(しんぐう)両所権現(りょうしょごんげん)はこれ、イザナギノミコト・イザナミノミコトの化身(けしん)なり。わが陛下は、その末裔(まつえい)でありますのに、朝日は浮雲によって隠され(注7)、世は暗闇に沈んでおります。何と悲しいことではありませんか! 神仏は、この世の惨状をご照覧下さらないのでありましょうか! 神が神としての御威光をお失ないなくば、天皇とて天皇の威光を回復できない事など、ありえましょうや!

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(訳者注7)朝廷を朝日に、幕府を、それを覆う雲にたとえている。
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親王は、五体投置(ごたいとうち:注8)を繰り返し、一心に誠こめて祈り続けた。

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(訳者注8)頭、両手、両肘を大地に接して礼拝する、仏教との作法。
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かくも赤誠込めた祈りが、神に通じないはずがない、終夜の礼拝に疲れ、肘を枕に、しばしまどろむ中に、親王は夢を見た。

髪を結った童子が一人、出てきていわく、

童子 熊野のあたりは、人心が乱れておりますからね、あなたの願いの達成は困難です。ここから、十津川(とつがわ:奈良県・十津川村)へ逃れ、そこで、時の来るのを待ちなさい。

護良親王 あなたはいったい・・・。

童子 熊野の両所権現(りょうしょごんげん)から、あなたの道案内をせよ、とおおせつかりましてね、それで、ここまでお教えしにやってきたのですよ。では、ガンバッテ!

護良親王 あっ、ちょっと待ってください、待って・・・(ガバッ)

護良親王 (内心)あぁ、夢やったんかぁ。いやいや、あれぞまさしく、権現よりのお告げや。頼もしいなあ!

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その未明に、親王は社にお礼の幣を捧げた。

そして、一行は、十津川の方角めざして山に分け入った。

道中30余里ほど、人里も絶えて無い。

ある時は、高峯の雲に枕をそばだて、苔のむしろに袖を敷き、ある時は、岩漏る水に渇きを癒し、朽ちかけた橋を肝を冷やしながら渡る。

雨の降らない山路を行くにもかかわらず、山の湿気はいつしか衣を湿らせている。見上げれば、万仞(ばんじん)の高さに山は剣のようにそびえ、見下ろせば、千丈の谷間は藍色に染まる。

このような、険阻な難所を行く旅が数日続いた。

親王の疲労は限界に達し、流れる汗は水のごとく、足が負傷して、草鞋は血に染まっている。

伴の人々も、鉄石の身体を持っているわけではないから、みな、飢え疲れ、しっかりとした歩行もできないようになってしまっている。

このような苦難の旅の道中、彼らは護良親王の腰を押し手を引き、13日の行程の後、ようやく十津川郷へたどりついた。

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ある堂の中に護良親王(もりよししんのう)を匿(かくま)った後、伴の人々は、近在の家々を尋ね、「我々は熊野もうでの山伏の一行であるが、道に迷ってしまい、この郷にようやくたどりついた」と、訴えた。

それを聞いた十津川(とつがわ)郷の人々は、彼らを哀れに思い、粟(あわ)の飯やトチの実粥などを作って、ふるまってくれた。

伴の人々は親王にもこれを差し上げ、二、三日はそうやって過ごしたが、

光林房玄尊 このままではどうしようもないわ。いっちょ、ここの郷の有力者に、あたってみる。

さっそく彼は、十津川郷を歩き回ってみた。

光林房玄尊 (内心)ほほぉ・・・この家はなかなか立派やなぁ。おそらく、この地の有力者の家やろう。よぉし!

光林房玄尊 おぉい、ここの家の方、どなたか! お頼み申すぅー!

一人の少年が出てきた。

少年 はいはい、なんですかぁ?

光林房玄尊 あんなぁ、ここのお宅の主はんは、なんちゅうお名前やろかいな?

少年 ここはなぁ、武原八郎(たけはらはちろう)入道はんのおいごはんの、戸野兵衛(とのひょうえ)いう人のお屋敷や。

光林房玄尊 (内心)あぁ、さてはこの家が、弓矢取ってはなかなかの者とのうわさの、あの人の家やったんか。なんとかして、ここの家の主、味方に引き入れたいもんやなぁ。

門から入り、中の様子をうかがってみたところ、家中にはどうやら病人がいるらしい。

家中の人 あーぁ、行力あらたかな、どこぞの山伏はん、ここへ来てくれへんやろぉかぁ。病気平癒のご祈祷、お願いしたいなぁ。

光林房玄尊 (内心)ナニ、病気平癒の祈祷を、てかぁ。ヤッタァ。

光林房玄尊 (大声で)アー、エヘン、エヘン! わしらはなぁ、那智(なち)の三重の瀧に7日間打たれ、那智山に1000日こもった後、西国33か所巡礼の旅に出た山伏(やまぶし)の一行や! 今はその旅の途中やねんけどなぁ、道に迷ぉて、この里に来たんや。一宿一飯、ふるもぉて下さらんかのぉ。

中から下女が出てきた。

下女 イヤァ、ほんにマァ、そないに立派な山伏さんがここへ来てくれはったやなんて、これはきっと、神仏のご加護やなぁ。山伏のセンセ(先生)、じつはなあ、ここの家の奥さんなぁ、物の怪(もののけ)にとりつかれてもぉて、病気になってはるんやんかぁ、センセ、お願いやから、奥さんの為に祈祷したげてぇなぁ!

光林房玄尊 ナニィ、物の怪やとぉ? うーん、困ったのぉ。わしはまだ修行が至ってへんから、物の怪退散の祈祷となると、ちょぉっと、つらいもんがあるわなぁ。

下女 あー、そうかいなぁ。

光林房玄尊 そやけどな、あこのな、あの辻堂の中に休んだはる、わしらの先達(せんだつ)師匠はんやったら、行力絶大やからな、あの人やったら、祈祷でけると思うでぇ。わしから、祈祷お願いしてみる分には、なぁの問題もないわなぁ。

下女 うわ、おおきに! ほならな、ほれ、その先達のセンセさまに、こっちへ入ってもろぉてぇな! はよ(早)はよ! まぁ、ほんまに良かったわぁ!

光林房玄尊は走って帰り、この由を親王に告げた。

一行はさっそく、その館の中へ入った。

護良親王は、病人が寝ている室に入り、加持祈祷を修した。

千手観音(せんじゅかんのん)陀羅尼(だらに)を2、3回、声高らかに読呪(どくじゅ)し、念珠(ねんじゅ)を押し揉んだ。

すると、病人は様々の事を口走り始めた。不動明王の索に縛られたかのように、手足を縮めておののき、五体に汗を流し・・・。

やがて、物の怪は退散し、病人はたちまち元気になった。

病人の夫・戸野兵衛は、大いに喜んでいわく、

戸野兵衛 うちには、貯えもあんまし無いもんで、格別のお礼もできません。どうか、そこらへんの事情をお察し下さった上で、ここに10日くらいは、ご逗留下さい、どうぞ、足をお休め下さいませ。

光林房玄尊 それは、ありがたいことで・・・。

戸野兵衛 先達殿が、こちらの待遇を不満に思われて、逃げていってしまわはったら困りますからなぁ・・・おそれながら、ここにある皆様の荷物、ぜんぶ、質に預からせてもらいますでぇ。

親王一行、顔には表わさないものの、心中には喜び限りなしである。

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それから10日ほどが過ぎた。戸野兵衛は客間に出て炉に火を燃やし、親王らとよもやま話をしていたが、

戸野兵衛 みなさん、おそらくもう、お聞きになっておられる事やろけど、これホンマですやろか、護良親王殿下が京都を脱出され、熊野方面へ向こぉてはるとの、うわさ。

親王たち ・・・。

戸野兵衛 あっち方面に逃げはるのん、あきませんわ。熊野三山・トップの定遍僧都(じょうべんそうず)いうたら、モロ、幕府派の人間ですやん。そやから、あそこらへんに隠れるいうのんは、チト無理とちゃいますかいなぁ?

戸野兵衛 親王殿下、熊野なんか行かはらんと、ここの里へ来はったらよろしいのになぁ。

戸野兵衛 ここやったら、安心ですよ。土地は狭いけど、周囲は険阻な山々ですやろ、十里二十里ほどの間は鳥もよぁ飛ばんくらいですからな。住民もみな、正直やし・・・それになぁ、わしら、弓矢の道も達者なんやでぇ。

戸野兵衛 そやからな、平清盛(たいらのきよもり)の嫡孫(ちゃくそん)の平維盛(たいらのこれもり)いうお人もな、わしらの先祖を頼ってな、ここ、十津川に潜伏されてな、源氏が天下を取った世に、身を全うしゃはったんやと、聞いとりますんやぁ。

護良親王 (喜色満面)なぁなぁ、もしも、もしもやで、護良親王はんご一行がやで、ここを頼って来はったとしたらやで・・・力になったげる?

戸野兵衛 当然ですやん! わし、こないな不肖の身ですけどなぁ、「今日から親王殿下を、我が家で匿うぞ」と、わしが言うたら最後、鹿瀬(ししがせ)、蕪坂(かぶらさか)、湯浅(ゆあさ)、阿瀬川(あぜがわ)、小原(おばら)、芋瀬(いもせ)、中津川(なかつがわ)、吉野18郷に至るまで、ここいら一帯のもんら、殿下には指一本、手出ししよりませんがな。

親王は、木寺相模(こでらのさがみ)に目配せした。木寺は戸野の側に寄っていわく、

木寺相模 こないなったらもう、なにも隠す必要ないわな。じつはなぁ、あんたの目の前にいはる先達山伏さんこそが、あんたが今言うた、護良親王その人なんやでぇ!

戸野兵衛 エェッ!

突然の言葉に、信じられないような面もちのまま、戸野は彼らの顔をしげしげと見つめた。

片岡八郎 あぁ、暑いなぁ!

矢田彦七 そうやなぁ!

二人は、山伏頭巾を脱いで側に置いた。ニセ山伏ゆえ、彼らの頭髪には、サカヤキの跡がくっきりと現れている。

戸野は、これを見ていわく、

戸野兵衛 なるほど・・・あんたはんらは、山伏ではないようですなぁ。

戸野兵衛 それにしてもまぁ、そないな大事な事、よぉ、うち明けてくれはりましたなぁ・・・。いやいや、知らぬ故の事とはいえ、これは失礼いたしました。これまでの私の振る舞い、さぞかし、「こいつは無礼なやっちゃなぁ」と、お思いでしたやろうなぁ。えらいすんまへん。

戸野は、あわてて首を床につけ、手を揃えて畳の下座の方にかしこまった。

戸野は、すぐに丸木作りの御所を建て、そこに宮を匿うことにした。そして、四方の山々に関所を設けて路を塞ぎ、厳重に警戒した。

戸野兵衛 (内心)いやいや、これくらいでは不十分。親王殿下をお護りし通す事は難しい・・・いったいどないしたもんやろうか・・・よし、思い切って、叔父上に相談してみよ。

戸野の叔父・武原八郎は、直ちに戸野の依頼を受け入れ、自分の館に親王を迎え入れ、忠節の心を表した。

護良親王もようやく一息つけるようになり、その後半年ほどは、そこに腰を落ち着けることが出来た。人に見咎められないように、還俗(げんぞく)して一般人に姿を変え、武原の娘とイイ仲にまでなってしまった。

こうなると、武原もいよいよ親王に志を傾けるし、近辺の郷民たちも次第に親王を尊び、鎌倉幕府を意に介しないようになっていった。

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熊野三山・トップ・定遍 ナニナニ、護良親王が十津川に潜入したとぉ!

定遍 (内心)親王を討ち取りに、十津川郷まで押し寄せていくっちゅうセンは、チト無理スジやなぁ。たとえ10万騎の軍勢ありとしても、不可能やで。いったい、どないしたもんか・・・。

定遍 (内心)そうや、あのへん一帯の連中らの欲望を刺激してやな、親王が十津川郷におれへんようにしてしもたら、えぇやんか。

そこで、定遍は、道路の辻に次のような高札を立てた。

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重大布告:

よくよく聞くべし!

幕府からは、「護良親王を討ちとった者には、その身分にかかわらず、伊勢国(いせこく:三重県中部)の車間荘(くるましょう:三重県津市)を、褒章として与うるものなり」との、触書が来ておる。

これに加え、我・定遍からも、褒賞の上積みを行うものなり。

親王を討ち取ったら、3日のうちに賞金を6万貫与える。6万貫、6万貫である!

親王の側近や部下を討った者には、500貫。親王側からこちらに降伏してきた者には、300貫。即日、間違いなく、我よりの命により、褒賞を取らせるものなり。

我のこの約束、嘘偽りのみじんも無きこと、天地神明に誓うものなり。

布告、以上!

 熊野三山別当
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「移木の信(注9)は約を堅うせんがため、ささやかな贈り物は志を奪わんがため」とは、よくぞ言ったものである。

この高札を見て、欲の皮がツッパリはじめた熊野の8個の荘園の荘司(しょうじ:注10)たちは、次第に心変わりしはじめ、態度も変わり、怪しげな振る舞いをするようになってきた。

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(訳者注9)中国戦国時代、秦の宰相・商鞅(いわゆる「法家」の思想家)は、「法治国家建設のためには、政府は約束を厳守する、という事を民衆に周知徹底せしめる必要がある」と考え、そのために一策を練った。すなわち、街の南門に1本の木を立てて、「これを北門に移した者には50金を与える」と触れを出し、それを実行した者に、約束通りに褒賞を与えたのである。

(訳者注10)荘園現地に居住して荘園を管理する役職。
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護良親王 ここにこのまま居続けてたら、結局は、悪い結果を招いてしまうんでは、てな気がしてきたんやわ。吉野の方へでも移動した方が、ええんかもなぁ。

武原八郎 なんの、なんのぉ。大丈夫ですてぇ。何も変わったことなんか、起こりませんて、そないに心配なさらずに、ここにずっとおられませ。

護良親王 ・・・。

このような武原の強い引き留めにあい、強いてそれに逆らえば、武原が落胆するのでは、と思うと、どうにも身動きが取れず、親王は、恐怖の中に月日を送るばかり。

しかしついに、

護良親王 なにっ、武原八郎の息子らまでもが、父の命に背いて、私を討つ企てをしとるてかいな! いかん、すぐに、ここを脱出や!

親王たちは、密かに十津川郷を出て、高野山(こうやさん:和歌山県・伊都郡・高野町)の方へ向かった。

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その道中は、小原(おばら)、芋瀬(いもせ)、中津河(なかつがわ)と、敵勢力が支配するエリア中の難所を次々と通過していかなければならない事になる。

こうなったら思い切って、敵側の人間を懐柔してみてはどうだろう、ということで、まず芋瀬の庄司のもとを訪ねてみた。

芋瀬の庄司は、一行を館の中へは入れずに、傍らの堂内に招き入れた後、親王のもとへ使者をよこした。

使者 主よりのメッセージを、申し伝えさせていただきます。

 「熊野別当・定遍様からは、「幕府からの命令やからな、倒幕陰謀の一味を見つけたら、すぐに鎌倉へ知らせるんやぞ!」と、言うてきたはります。」

 「せやから、私といたしましても、ここを簡単に通してさしあげる事は、できません。そないな事してしもたら、後日、責任問われた際に、申し開きのしようがありませんから。」

 「かと言うて、ほかならぬ親王殿下を、ここに強制的にお留めする、いうのんもねぇ・・・まぁそれも、おそれ多い話です。」

 「そこでですな、モノは相談や、そちらのご一行の中から、世間に名前がよぉ知れわたったるお人を、2人くらい、こちらに差し出してもろぉてや、それを幕府へ引き渡す、いうのんは、どないだ?」

 「あるいは、親王殿下の御紋入りの旗を頂いてですよ、「親王の一行と確かに一戦まじえましたで、この旗が、その何よりの証拠ですわ」いうて、幕府へ送り届けるか。」

 「どっちもいややと、言わはんねんやったら、もうしゃぁないわな、親王殿下に矢向けさせていただくしか、ないですわ。」

このように、いかにも申し訳なさそうに、言う。

護良親王 (内心)そんなムチャな・・・えらい無理難題ふっかけてきよったなぁ。私の可愛い家臣を幕府に差し出すなんてこと、できるはずないやないか!

護良親王 (内心)旗を渡すことにしようか・・・しかしなぁ、大事なこの錦のみ旗を渡す、いうのんも、なんかなぁ・・・。

沈黙の中に熟考する護良親王である。

親王の臣下・赤松則祐いわく、

赤松則祐 殿下、私の提案、聞いていただけませんでしょうか。

護良親王 うん、言うてみ。

赤松則祐 主君の危機に臨んでは自らの命を投げ出す、これこそが臣下の道。古代中国においても、紀信(きしん)いつわって敵に降伏し(注11)、魏豹(ぎひょう)は留まって城を守りました。二人とも主君の命にかえて自分の命をなげうって、歴史に名を留めたん、ちゃいます?

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(訳者注11)この故事の詳細については、2.10を参照。
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護良親王 ・・・。

赤松則祐 とにもかくにも、芋瀬(いもせ)の庄司が心がわりして、殿下がここを通過するのを許す、いうんやったら、この則祐、殿下の身代わりになって敵の手に渡ったかてかまいません、何のためらいもありませんわ!

平賀三郎(ひらがさぶろう)いわく、

平賀三郎 私のような末席のモンがこんな事言うたら、なんかナマイキに聞こえるかもしれませんけど・・・。ここにいる人間はみんな、このような艱難辛苦の中にも殿下につき従ぉてきたんですよねぇ。そやから、一人一人が殿下にとってはかけがいのない極めて貴重な存在ですやんかぁ。

護良親王 うん。

平賀三郎 ですからねぇ、殿下、ここにいる全員をですね、ご自分の耳や目よりも大事なものと思われてですねぇ、「おまえらを絶対に捨てへんぞ」っちゅうくらいに思っていかれた方が、よろしいのんとちゃいますやろか。

護良親王 ・・・。

平賀三郎 かというてやねぇ、あちらが出してきた要求には何とかして応えんなりませんからね、応じ易い方の条件、「旗だけ渡す」いう事にしはったら、どないですやろ?

護良親王 ・・・。

平賀三郎 殿下、旗の一本や二本渡したところで、それいったいナンボのもんやねん、いう事ですわ。戦場において、馬や鎧を棄て、太刀や刀を落とし、それが敵の手に渡ってしもぉた、なんちゅう事になったとしても、それほどタイソウな恥にはならしませんやんかぁ。ここはとにかく、あいつらの言うてる通りになさって、旗を渡してしまわれたら、どないですか?

護良親王 そうやなぁ・・・。よし、ここは、三郎の言う通りにしてみよか。

日月を金銀で打った錦の御旗を芋瀬の庄司に渡し、親王一行はそこを通過して、先を急いだ。

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しばらくしてから、親王一行から遅れていた村上義光(むらかみよしてる)がそこにやってきた。

村上義光 こらぁいかんわい、殿下から相当遅れてしもぉたぞ。先を急がんとなぁ・・・。あれっ、あれはいったい・・・あこのあいつらが持っとんのん、あれ、殿下のみ旗やないかい。これは一大事やぞ!

村上に出くわしてしまった芋瀬庄司、まったく運の悪い男としか言いようがない。

村上義光 こらこらぁ! それは護良親王殿下のみ旗やないかい! いったいなんで、おまえらみたいなもんが、そないなタイソウなもん、持っとんねん!

芋瀬荘司 いや、なに、あのぁ、そのぁ・・・これはな、こうこう、こういうわけでな・・・。

村上義光 なんやとぉっ! 殿下をお通しした代わりに、旗を貰い受けたぁ! バッキャロウ! なんちゅうフトドキもんなんや、おまえらはぁ! もったいなくも一天の主にておわします天皇陛下の御子が、朝敵を征伐されるための門出の道中にやなぁ、オマエラみたいなチンケな人間がそないな大それた事、してえぇとでも、思ぉとるんかい、あほかぁ!

村上はその旗を奪い取るやいなや、旗を持っていた芋瀬庄司の下人をひっつかみ、4、5丈ほどかなたに投げつけた。

村上の類いまれなる怪力に怖れをなしてか、庄司の口からは何も言葉が出てこない。村上はその旗を肩にかついで先を急ぎ、ついに親王に追いついた。

村上義光 殿下!(護良親王の前にひざまずく)錦の御旗、取り返してきましたでぇ!

護良親王 おお、義光、よぉやった! でかしたぞ! わっはっはっはっ・・・。

村上義光 まったくもう、殿下を脅して錦の御旗を横取りするとは、フトドキセンバンなやつらや!

護良親王 則祐の忠は孟施舎(もうししゃ:注12)の義のごとく、三郎の智は陳平(ちんぺい:注13)の謀略のごとし、そして、義光の勇は北宮黝(ほくきゅういう:注14)の勢いをもしのぐ、か。この三人の英傑が私のもとにいてくれるんやから、打倒鎌倉幕府・天下平定も夢ではないな。

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(訳者注12)古代中国の勇者。

(訳者注13)漢王朝の功臣。

(訳者注14)古代中国の勇者。
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赤松則祐 (内心)まぁ、なんというもったいないお言葉・・・。

平賀三郎 (内心)あこまで言うてもろては、なんか畏れ多いなぁ。

村上義光 (内心)ありがたいお言葉や・・・この義光、殿下の為やったらどんな事でもやりますでぇ!

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一行はその夜、みすぼらしい椎の木作りの垣根しかない樵(きこり)の住処(すみか)の中に眠れぬ一夜を過ごし、夜明けとともに、小原(おばら:十津川村)を目指して旅立った。

途中、薪を背負う樵に出会ったので、これから行く先の様子を尋ねてみた。世間の事にうといような感じの樵であったが、さすがに護良親王の事は知っているようである。彼は薪を地上に置き、跪いていわく、

樵 ここから小原への道中一帯はな、玉置庄司(たまぎのしょうじ)っちゅう、バリバリの幕府派の人がニラミきかしてますんやわ。この人を味方につけんことには、どないに大勢でいかはってもこれからの道中、無事にはすみませんでぇ。

護良親王 ・・・。

樵 こないな事をワシみたいなもんが申し上げるのも、なんやおそれ多い事ですけどなぁ、まずは、殿下のお伴の中から一人か二人、玉置庄司のとこに送ってみはってね、ほいで、まずはあちらの思惑探ってみはったら、どないでっしゃろ。

護良親王 (じっと耳を傾けながら)「草を刈り薪採る貧しき人の言葉をも聞き捨てず」とは、まさにこの事やなぁ。おまえが言うてる事、じつになるほど、と思うわ。

樵 ハハーッ!(礼)

護良親王 おい、八郎と彦七、おまえらなぁ、玉置荘司のとこまで行ってきとくれ。玉置にな、次のように伝えるんや。「これから護良親王がこの道を通過するから警護を固め、木戸を開いて逆茂木(さかもぎ)を取り除け」と、な。

片岡八郎と矢田彦七 ハハッ!

二人はさっそく、玉置庄(:十津川村)へ向かった。

親王に命じられたままに玉置庄司に伝えたところ、庄司は何も答えずに屋敷の中へ入っていってしまった。

片岡八郎 おかしいなぁ、あいついったい、どういうつもりなんやろ?

矢田彦七 うーん・・・。

屋敷の中では、若党、中間たちが、鎧を着け、馬に鞍を置きはじめた。

矢田彦七 おいおい、なんか、屋敷の中、騒がしぃなってきたやないか!

片岡八郎 いかん! あいつら、おれらと一戦構える気や! このままでは殿下が危ない!

矢田彦七 すぐに引き返して、殿下に急を告げんと!

足早に引き返す二人の後を玉置の一党総勢5、60人が鎧を着ないまま、太刀を持って追いかけてくる。二人は2、3本生えている小松の陰で待ちかまえ、気を見て躍り出るやいなや、

片岡八郎 エェイ!

矢田彦七 ヤァッ!

先頭をやってきた者の乗馬の前足を二人は刀で横に払い、返す刀で落馬したその者の首を落とした。そして、曲がった太刀を足で踏んで直し、そこに仁王立ちになった。

これを見た後続の者たちは、あえて接近しようとはせずに、二人めがけて遠矢を飛ばしてくる。

片岡八郎 うっ!

矢田彦七 あっ、八郎!

片岡八郎 やられた・・・矢を2本も突き立てられて・・・もはやこれまでや・・・。

矢田彦七 八郎、しっかりせぇ!

片岡八郎 なぁ、彦七、わしはここで討死にするしかないわ。おまえはな、はよ、みなの元へ帰って、殿下に急を告げてくれ! とにかくなんとしてでも、殿下をお逃がしするんやぞ、わかったな!

矢田彦七 八郎、なに言うてんねん!(涙、涙)おまえを見捨てて行けるはず、ないやないか、わしもいっしょに死ぬぞ!

片岡八郎 あほか! 殿下に危機が迫ってるんやぞ、今ここで殿下をお救いせいでどないする! はよ行け、はよ行って、殿下に急を告げるんや!

矢田彦七 (内心)いいや、わしはここで八郎とともに討死するぞ!・・・ちょっと待て、ほんまにそれでえぇんか?・・・今ここで殿下に急を告げへんかったら、殿下が危ない。それではかえって不忠というもんや・・・

片岡八郎 はよ行け・・・はよ行って・・・殿下に急を告げるんや!

矢田彦七 よし、わしは行くぞ、八郎、許してくれよ!(涙、涙)

片岡八郎 殿下を・・・たのむぞ・・・。

今まさに死にゆく同志を見捨てて去っていかなければならない矢田彦七の心中、まさに哀れ・・・。

はるか彼方まで走って後、後ろを振り返ってみると、

矢田彦七 あぁ、八郎、討たれてしもぉたか・・・敵の者がかざすあの太刀の切っ先に首が・・・あぁ、八郎・・・。(号泣)

矢田は急ぎ帰って、親王に顛末を報告した。

親王側近E あぁ、ついに我々の前途も閉塞せりか・・・。

親王側近F 運の開けるも開けずも天命なり・・・。

親王、伴の人々、かえって落ち着き払った境地に。

親王側近G よし、いさぎよくここで死ぬとしょう。

親王側近H いやいや、それでは犬死やないか。ここでじっと死を待つというのでは、あまりにふがいない。

親王側近I なぁ、みんな、逃げれるところまでは、とことん逃げてみようや!

親王側近一同 よし!

彼らは親王を先頭に、道を尋ねながら、山中の間道を辿っていった。

中津川(奈良県・吉野郡・野迫川村)の峠越えにさしかかった時、

親王側近E あぁ、もうあかん・・・あれ見てみぃ・・・向かいの山。

向いの山の両の峯に、玉置勢とおぼしき武者5、600人、全員完全武装に身を固め、盾を前に並べ、射手を左右に展開してトキの声を上げている。

これを見た護良親王は、厳かに微笑んでいわく、

護良親王 よし、ここまでやな・・・こないなったら、あらん限りの矢を全て射た後に、全員心静かに自害して、我らの名を歴史に留めようやないか、なぁ、みんな!

親王側近一同 はい!

護良親王 ただしな、これだけは言うとくけどな、みんな絶対に、私より先に腹切らんといてな。私が自害し終えたら、顔の皮を剥いで耳と鼻を切り落としてな、誰の首か分からんようにしてから捨てるんやぞ。「護良親王の首、獄門に掛けられ」なんちゅう情報が広まってしもたらな、国中のあちらこちらで、陛下にお味方しようとの志を持ってくれてる連中らがみんな、ガックリ来てしまうやろ?

護良親王 そないなってしもぉたら、幕府はいよいよ安泰になってしまうやろ。「死せる孔明(こうめい)、生ける仲達(ちゅうだつ)を走らしむ(注15)」という故事もあるからな、死んだ後までも、威を天下に残してこそ、良き将というもんや。

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(訳者注15)三国志演義の有名なシーン。五丈原の決戦場にて自らの死期を覚った諸葛孔明は部下に策を託す。部下はその策の通りに孔明の死後、彼の人形を車に載せて戦線に押し出す。それを見た対戦相手の将軍・司馬仲達は「死んだはずの孔明、生きておるではないか!」と驚きあわて、一目散に退却。
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護良親王 ここまで皆、まぁほんまに、よぉがんばってくれたなぁ・・・。今となっては、どこにも逃れるすべもなし、もはやこれまでやな! みんな、見苦しいマネだけはしてくれるなよ! 敵に笑われるような事のないようにな!

親王側近一同 わかってますがな! 見苦しいマネなんか、するはずありません!

一同は親王の前に立ち並び、坂の中ほどまで下り、攻め上がってくる大勢の敵に相対した。その人数わずか32人、みな一騎当千のツワモノぞろいとはいえ、対する敵は500余騎、これではまともに戦いようもない。

玉置庄司サイドは、盾を鶏の羽が重なるごとくにつき並べて攻めかかり、親王側も武器の鞘を外し、双方まさに接触せんとした。

その時、北方の峯より赤旗三本、松風にひるがえしながらこちらに押し寄せ来る600ないし700騎の軍団。

接近の後、三手に分かれ、トキの声をあげて玉置軍めがけて進んでくる。先頭を駆ける武士は馬上にて叫ぶ。

野長瀬(のながせ)六郎 紀伊国(きいこく:和歌山県)の住人、野長瀬六郎、同じく七郎、3000余の軍勢にて、護良親王殿下をお迎えに上がろうとやってきたぞ。そこのおまえら、おそれ多くも殿下に逆らぉて弓を引き盾を連ねるとは、いったいどこのナニモン(何者)や! 

野長瀬七郎 おそらくは、玉置庄司の手の者と見るは、わしの見間違いかな?

野長瀬六郎 もうすぐ滅んでしまう鎌倉幕府からのけしからん命令に従ぉて、そのうち聖運開けゆく護良親王殿下に刃向かうとは、なんちゅうバカなやつらや。そのうち、おまえらの居場所、この日本国中のどこにも無(の)うなってしまうぞ。ほんまに天罰テキメンやねんからなぁ!

野長瀬七郎 さぁて、これからおまえらを、コテンパンにイてもたるからなぁ。この戦、イッパツで決めてみせるでい! それ、ものどもかかれぇ! あいつら、みな殺しにしたらんかい!

野長瀬軍 ウオーッ!(一斉に玉置軍に襲いかかる)

玉置サイドは、「これはかなわぬ」とあわてふためき、盾を捨て旗を巻き、あっという間に四方八方へ退散。

やがて、野長瀬兄弟は兜を脱ぎ弓を小脇に挿んで、親王のはるか彼方にかしこまった。

護良親王 おぉい、そないに遠くにいんとからに・・・もっとこっちへ来んかいな。

野長瀬兄弟 ははーっ!

護良親王 十津川の山中にこもっとったんでは、倒幕の大事業もできひんと思うたんでな、大和(やまと:奈良県)か河内(かわち:大阪府東部)の方面へ移動して、そこらへんで味方を増やそう思ぉてな、ここまで出てきたとこやったんや。

護良親王 ところが、あの玉置めに、あないに刃向かわれてしもぉてな、私も部下も、「もう、ここで死ぬしかない」と覚悟を決めたんや。そないな所に、思いがけずも、おまえたちが援軍にきてくれた。どうやら、天は未だに、この護良をお見捨てではないようやなぁ。

野長瀬兄弟 そうですともぉ!

護良親王 それにしても不思議や。我々がこんなとこにいるのんを、いったいどないして知って、ここまで出向いて、あの大軍を退けてくれたんや?

野長瀬六郎 (かしこまって)はい・・・。じつは、昨日の昼ごろに、年14、5ほどの、「老松(おいまつ)」と名乗る少年に出会ぉたんですわ。その子が言うにはですね、「護良親王殿下は明日、十津川を出られて、小原へ向かわれるであろう。しかし必ずや、その道中にて危機に陥られる。ゆえに、親王殿下の志に続かんと思う者は、急ぎ援護に向かうべし」。そないに言うてね、その子はふれまわっとったんですよ。

野長瀬七郎 で、わしらは、「ははぁん、この子はきっと親王殿下の使者なんやな」と思いましてね、それでここへ来たというわけですわ。

護良親王 ほぉ・・・そないな事があったんかいなぁ。しかしおかしいなぁ、「老松」なんてモンは、私の下には、いいひんぞぉ・・・うーん、これはタダゴトではない。もしかすると・・・。

親王は、肌身放さず身に着けているお守りを取り出して見た。その口が少し開いていたので、ますますいぶかしく思い、中を開いて見た。

中には、金銅で鋳た御神体が一体、その名も「老松明神(おいまつみょうじん)」と書いてあるではないか!

この神は、北野の天神の眷族(けんぞく)なのだが、御神体の全身からは汗が吹き出したように水滴がついており、足には土がついている。

護良親王 あぁ、不思議なこともあるもんや。老松明神様が、我々を御加護してくださってたんやなぁ。なぁ、みんな、我々は神々のご守護を頂いてるんやでぇ!

親王側近一同 はい!

護良親王 よぉし、こうなったら、陛下に逆らうやつらを退治するのも、時間の問題やぞぉ!

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その後、護良親王は、槙野上野房聖賢(まきのこうずけぼうしょうげん)が築いた槙野城(まきのじょう:奈良県・五条市)に入った。しかし、「ここもやはり平地が狭く不便である」ということで、吉野の金峰山蔵王堂(きんぷさんざおうどう:奈良県・吉野郡・吉野町)の衆徒を味方につけ、そこに移った。

かくして、愛染明王(あいぜんみょうおう)を祭った宝塔を蔵王堂の寺域内に立てて、岩を切り通して激しく流れる吉野川(よしのがわ)沿岸に、親王は3000余騎を従えてたてこもる事となった。

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