太平記 現代語訳 28-1 足利幕府、傀儡(かいらい)政権状態に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝において、貞和(じょうわ)6年(1350)2月27日に改元が行われ、元号が、観応(かんのう)に改まった。

振り返ってみれば、昨年は、日本の政権構造において激変の起こった年であったと言えよう。

8月14日、高師直(こうのもろなお)と高師泰(もろやす)が、将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の館を包囲、上杉重能(うえすぎしげよし)と畠山直宗(はたけやまなおむね)を責め出し、最終的に、彼らをその配所・越前(えちぜん)にて死に追いやった。

足利直義(あしかがただよし)派は閉塞状態に陥ってしまい、直義は出家、隠遁の身となった。そして、国政の最高権力は、10月23日、鎌倉から京都にやってきた尊氏の嫡男・足利義詮(よしのり)に引き継がれた。

しかしながら、「最高権力」とは名ばかり、その実態は、「人形師に背後からあやつられている傀儡(かいらい)政権」。国政を背後から操っている者、それは、武蔵守(むさしのかみ)・高師直(こうのもろなお)、そして、越後守(えちごのかみ)・高師泰(こうのもろやす)に他ならない。

かくして、高家の人々の権勢はいや増す一方、あかたも、あの古代中国・春秋時代(しゅんじゅうじだい)、魯国(ろこく)の君主・哀公(あいこう)に対して威を振るった太夫・季桓子(きかんし)、あるいは、唐(とう)王朝・玄宗(げんそう)皇帝の下で驕りを極めた楊国忠(ようこくちゅう:注1)のごとくである。

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(訳者注1)楊貴妃の親族。
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