太平記 現代語訳 17-14 金崎の船遊び

太平記 現代語訳 インデックス 9 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----

新田軍メンバーA 昨日までは、この城、百重千重に包囲されてたのによぉ。

新田軍メンバーB それがどうだい、栗生のたてた計略イッパツでもって、この近辺に敵と名のつくもん(者)、一人もいねぇようになっちまったじゃん。

新田軍メンバー一同 もうほんと、タダゴトじゃぁ、ねぇよぉ・・・。

金崎城内の人々の、喜ぶこと限りなしである。

-----

10月20日の曙、雪は止んだ。敦賀湾岸や周囲の山々は白銀に輝き、海上を行く漁船の上には、夜明けの月がこうこうと輝いている。陣幕に風ははためき、冬にも色を変えぬ松ながら、一面に花が咲いたかのようである。(注1)

-----
(訳者注1)原文では、「江山雪晴て漁舟一蓬の月を載せ、帷幕風捲て貞松千株の花を敷り」

山の松に雪が積もった様をこのように表現したのであろう、と訳者は解釈した。
-----

公卿A 親王殿下におかれましては、こないな珍しくも美しい風景、一度もご覧になられたこと、あられませんやろなぁ。

公卿B ほんになぁ。今までずっと、京都にいはったんやから。

公卿C どうでっしゃろ、親王方のつらいお旅の道中、少しでもお慰めさせていただくために、雪見遊覧船出すっちゅうのは?

公卿一同 おぉ、よろしぉまんなぁ!

ということで、浦々から船を用意させ、うち2隻を1対に結合し、龍の頭と鷁(げき)の頭をそれぞれの船首に飾り、御座船とした。そしてそれに親王を乗せて、雪見に出発。

船上では、恒良親王(つねよししんのう)と尊良親王(たかよししんのう)が琵琶を弾き、洞院実世(とういんさねよ)が琴、新田義貞は横笛、脇屋義助は箏(しょう)、川嶋維頼(かわしまこれより)が打楽器。

「蘇合香(そごうこう)の序3部」、「万寿楽(まんじゅらく)の破」と、順に、曲は進む。

管弦はノリにノリ、独唱にバックコーラスが和し、ハーモニーも伸びやかに、音楽の伝統に正しく則った見事な演奏。天部(てんぶ)の衆もここに天下り、龍神もこれを納受せられるか。9回奏される「簫韶(しょうじょう)」を聞けば、鳳凰(ほうおう)も天空を舞い、魚は波上に躍るかと思われるほど。

心を持たぬ魚類(注2)までもが、この演奏に感じ入ったのであろうか、水中より一匹の魚が跳(おど)り、御座船の中に飛び込んできた。

-----
(訳者注2)原文では、「誠に心なき鱗(うろくず)までも」。
-----

これを見て、洞院実世は、

洞院実世 古代中国・周(しゅう)の武王(ぶおう)は、800諸侯を率いて、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を討たんと、孟津(もうしん)を渡りました。その時に、白魚が跳ねて武王の船に飛び込んだと言います。武王は、この魚を天帝に捧げました。はたして、天は武王に味方し、彼は戦いに勝利、殷王朝をついに滅ぼして、周王朝800年の扉を開いたんですわ。

洞院実世 今、我々の眼の前に起こったこの奇瑞(きずい)、まさしくそれと同じです。さぁ、早いとこ、この魚を天に捧げて、祝いましょう!

さっそく料理人がこれをさばき、天にお供えした後、その肉を恒良親王に奉った。

親王の酒の酌をつとめる嶋寺(しまでら)の袖(そで)という名前の遊女が、拍子を打って歌いだした。

 ここには 豪勢な翠(みどり:緑)色の帳(とばり)もない
 色あざやかな 紅の閨(ねや)だってないわ
 宮中のお方たちと あたしたち下々(しもじも)の人間とでは
 礼儀も作法も まるで違うんでしょうねぇ
 でもさぁ
 たとえ舟の中 波の上でも
 人間 楽しけりゃぁ それでいいのよね
 どこへいったって 楽しさに 変わりがあるわけじゃなし

 (原文)翠帳紅閨 萬事之禮法雖異 舟中波上 一生之歓會是同

彼女の優美な歌を聞き、親王をはじめ列席メンバーは感極まり、みな、鳴咽の涙に袖を濡らした。

-----
太平記 現代語訳 インデックス 9 へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?