太平記 現代語訳 16-2 菊池武敏、参戦す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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肥後国(ひごこく:熊本県)の菊池武敏(きくちたけとし)は、ネッカラの朝廷派であったので、「小弐妙慧(しょうにみょうえ)が足利サイドに援軍を送った」との情報をキャッチして、奮い立った。

菊池武敏 よぉし、小弐のヤツラめ、見とれよぉ。足利のとこに向かう途中ばぁ襲ぉて、討って散らしてやるとよ!

武敏は、3,000余騎を率いて、水木渡(みずきのわたし:福岡県・太宰府市)へ向かった。

そんな事とは夢にも知らない小弐頼尚(しょうによりひさ)は、小舟7隻にめいっぱい配下のメンバーらを同乗させて、まっ先に水木渡を渡り、対岸へ上がった。

小弐の家臣・畔籠(あぜくら)たちは、対岸から舟が戻ってくるのをこちら岸でじっと待っていった。まさにその時、菊池軍が三方から、彼らに襲いかかり、川の中へ追い落そうとした。

畔籠ら150騎は、「もはや逃れがたし」と覚悟を定め、菊池の大軍中に突入して、一人、また一人と、死んでいく。

頼尚は、向う岸からそれを見て、なんとかして彼らを助けたいと思うのだが、目の前の大河は、舟無くしては渡れない。

小弐頼尚 (内心)どっかに、舟ないか、舟、舟!

小弐頼尚 (内心)心から頼りにしとるあいつらが、敵の中で死んでいくのを、ただじっと見てるしかないとは・・・あぁ、無念、無念!

頼尚の願い空しく、ついに近辺に舟は見つからず、畔籠たちは全て、死んでしまった。

頼尚は怒りを忍びながら、尊氏のもとへ向かった。

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菊池武敏 やったやったぁ! まずは最初の一戦ばぁ、モノにしたとね。さい先のよかスタート、きれたばい。

菊池武敏 次は、小弐のオンタイの方を、やっつけちゃるとね!

菊池軍は、小弐妙慧がたてこもる内山城(うちやまじょう:福岡県・太宰府市)に押し寄せた。

小弐サイドは、精鋭メンバーをすべて頼尚につけて送り出しており、その過半数が、水木渡で討たれてしまっている。城に残っているのは、わずか300人足らず。これではとても、菊池の大軍を防ぎようがないのでは、と思われた。

しかし、城の守りは意外にかたく、絶壁の下に菊池軍を見下ろして防戦すること数日、菊池サイドは、軍を入れ替え入れ替え、昼夜分かたず十方より城を攻撃するも、小弐サイドの者は一人も討たれず、城中の矢の備蓄もまだ尽きない。このままでは、菊池サイドがいかように攻めようとも、城は持ちこたえるのでは、と思われた。

ところが、小弐一族中のあるグループのメンバーらが、急に心変わりをしてしまった。彼らは本丸を占拠し、そこに中黒紋の旗を掲げ、小弐妙慧のもとに使者を送った。

グループの使者 うちら(我ら)は、少し考える所ばぁあって、朝廷方へ帰参することにしたとね。妙慧殿も、うちらに合流なされますかいのぉ?

妙慧は、使者に対して一言も返答せずに、

小弐妙慧 義の道ばぁ踏み外して、生きながらえるよりも、死んで後生に名誉ばぁ残す、そっちの方が、よっぽど良か。

妙慧は、仏を安置してある堂に走り入り、腹を切って死んでいった。彼の郎等100余人も、堂の縁側に居並び、声を掛け合いながら一斉に腹を切った。彼らのその声は天まで響き、有頂天(うちょうてん:注1)までも届いたのでは、と思われたほどであった。

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(訳者注1)原文では「非想非々想天(ひそうひひそうてん)」となっているが、これは「有頂天(うちょうてん)」の別称である。

[仏教辞典 大文館書店]の[有頂天]の項には、以下のような解説がある。

「非想非非想処の異名。三界(欲・色・無色)を九地に分ち、此の天は無色界(むしきかい)の最上天であるから、有(三有・二十五有)の頂なる意味でいう」。
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小弐妙慧の末子で僧侶の宗応蔵主(そうおうぞうす)は、雨戸を踏み破って薪に積み、その上に父の遺体を安置した後、荼毘(だび)の辞を朗唱した。

宗応
 広々とした青空に 風すがすがしく吹き渡り 月の光は 明らかに輝いている
 ここに わが父妙慧が み仏の世界を求めて 旅に発(た)つ事を 思う
 白刃(はくじん)を踏んで 身を転じ行く
 荼毘の儀においては 燃え盛る火も 一段と涼しい

 (原文)
 萬里(ばんりの)碧天(へきてん)風高(かぜたかく)月明(つきあきらけし)
 為問(ためにとう)慧公(えこう)行脚事(あんぎゃのこと)
 踏翻白刃(はくじんをとうほんして)転身行(みをてんじてゆく)
 下火云(あこいわく)猛火重焼(もうかかさなりもゆ)一段清(いちだんきよし)

宗応によって点ぜられた火は燃え上がって、妙慧の遺体を包んでいった。そして宗応もまた、その炎の中に飛び込んで、父と共に死んでいった。

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