太平記 現代語訳 9-2 幕府軍、八幡と山崎へ向けて進軍

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都防衛戦での度重なる勝利に、六波羅庁(ろくはらちょう)両長官もいよいよ相手を侮り始めた。

北条仲時(ほうじょうなかとき) 中国地方から攻めてくる連中なんて、どうってこたぁないよなぁ。

北条時益(ほうじょうときます) どこから誰が攻めて来ようが、こっちはデェーンと構えてりゃ、いいのさ!

しかし、頼りにしていた豪勇の武将・結城親光(ゆうきちかみつ)が敵側に寝返り、山崎(やまざき:京都府・乙訓郡・大山崎町)の赤松陣営に加わってしまった。さらに、諸国から応援にやってきた武士たちも食料の確保に苦しくなってきて、昨日5人、今日10人と、まるで髪の毛が抜け落ちていくかのように、自らの領地に帰還、あるいは時勢の先行きを見極めて、後醍醐先帝(ごだいごせんてい)側に寝返って行く。

このようなわけで、後醍醐先帝サイドは、敗北を重ねるばかりなのにその勢力はますます増大し、六波羅庁サイドは、勝利を重ねながら日々、兵力が減衰していくのである。

北条仲時 (内心)いったいなぜ?! なぜ、こうなってしまうんだ!

北条時益 (内心)こんな事じゃぁ、これから先、どうなっていくんだか・・・。

六波羅庁サイドは、危機感がつのる一方。しかし、彼らの懸念を吹き飛ばしてしまうような朗報が、関東からもたらされた。

北条仲時 なに! 「足利殿と名越殿、雲霞(うんか)のごとき大援軍を率いて、京都へ向かう」ってか!

北条時益 (内心)やれやれ、これで大丈夫だな。

六波羅庁リーダー一同 (内心)これで、六波羅庁も安泰!

彼らの士気は、たちどころに回復した。

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このような情勢下に京都に入った足利高氏(あしかがたかうじ)は、到着の翌日さっそく、伯耆国(ほうきこく:鳥取県西部)船上山(せんじょうさん)にいる後醍醐先帝のもとへ密使を送った。

「自分は、陛下の方へ帰順たてまつります」と書いてきた高氏よりの手紙を見て、後醍醐先帝は大喜び。さっそく高氏に、「諸国の軍勢を糾合(きゅうごう)して、朝敵・北条一族を討伐すべし!」との天皇命令書(注1)を送った。

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(訳者注1)原文では「綸旨(りんじ)」。
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高氏がこのような事を企てている事を、北条仲時、北条時益、名越高家(なごやたかいえ)、誰一人として思いも寄らない。

八幡(やわた:京都府・八幡市)と山崎にたむろする倒幕勢力を討伐するための作戦会議が、毎日のように行われるのだが、高氏も加わっているその会議の場で、何もかもつつみかくさず話してしまうので、彼らの考えていることは、高氏に完全に把握されてしまっているのである・・・まったくもって、空しい限りとしか、言いようがない。

 中国の大行山の険阻な道は 車をも砕くというが
 これとて 「人心」という起伏著しい道に比べれば まだまだ平らであるといえよう
 中国の巫峡(ぶきょう)の急流は 船をも覆すというが
 「人心」に比べれば まだまだ緩やかな流れと言うべきである
 人の心というものは 好悪の反転極まりなし

(原文)
 大行之路能摧車
 若比人心夷途
 巫峡之水能覆舟
 若比人心是安流也
 人心好悪苦不常

とは言うものの、北条高時(ほうじょうたかとき)が足利高氏を完全に信じきったのも、無理からぬ事ではある。

足利家は代々、北条家の恩顧を受け、そのおかげで、他に肩を並べる者がないほどの一家の繁栄を持続してこれたのだ。ましてや、高氏の妻は北条一族・赤橋守時(あかはしもりとき)の妹、二人の間には息子も多く生れている。「まさか、この人に二心(ふたごころ)はあるまい」と高時が思ったのも、しごくもっともな事といえよう。

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「4月27日に、八幡と山崎で戦闘開始」と、かねてより決定されていたので、鎌倉からやってきた幕府軍は京都を発った。

大手方面軍 大将:名越高家 総勢7,600余騎 鳥羽・作道(とば・つくりみち:京都市・伏見区)経由で進軍。

からめ手方面軍 大将:足利高氏 総勢5,000余騎 西岡(にしおか:京都府・向日市)へ進軍。

この情報をキャッチした八幡と山崎の倒幕勢力は、険阻な場所で待ち構え、相手を急襲して戦いを一気に決しよう、ということで、

千種忠顕(ちぐさただあき)は、500余騎を率いて、大渡(おおわたり:位地不明)の橋を渡り、赤井河原(あかいがわら:京都市・伏見区)に布陣。

結城親光は、300余騎を率いて、狐河(きつねがわ:位地不明)付近に進軍。

赤松円心(あかまつえんしん)は、3,000余騎を率いて、淀(よど:京都市・伏見区)、古河(ふるかわ:伏見区)、久我畷(くがなわて:伏見区)の南北3か所に布陣。

強敵を一気に撃破せんとの彼らの気力は、天をも廻し地をも傾けるほどの勢い。しかしながら、兵力面、軍備面等から勘案しての戦闘総合力において、幕府軍サイドより数段劣っている事はどうにも否みがたい事実である。上洛してきた新手の幕府軍1万余の軍勢を相手にして、まともに戦えるとはとても思えない。

「足利高氏からは内通の意志が伝えられてきてはいるが、これも、あるいは謀略かもしれない」、ということで、坊門雅忠(ぼうもんまさただ)は、寺戸(てらど:京都府・向日市)と西岡のあたりの野伏(のぶし)5、600人ほどを駆り集めて、岩倉(いわくら:向日市)方面へ向かった。

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伝令A 報告! からめ手方面軍・足利殿、本日未明、京都を出発されましたぁ!

名越高家 いかぁん! 先を超されちまったぁ! 行くぞぉぅ!

おくれを取った事を残念に思い、大手方面軍大将・名越高家は、久我畷の足も立たない泥土の中に馬を進ませ、我先にと先頭に立って軍を進めた。

高家は血気盛んな若武者、今度の合戦で世間をアッと言わせ、自らの名声をガーンと高めてやろうと、事前に色々と考えていたようだ。当日の彼のいでたちはといえば、それはもう立派なもので、馬具から笠標(かさじるし)に至るまで、キンキラキン。

花型紋の真紅に染めた鎧直垂(よろいひたたれ)の上に、紫の糸で縫い、金物をびっしり装甲した鎧をピッタシ装着。仰向けにかぶった白星の5枚しとろの兜の左右端には、日光天子(にっこうてんし)と月光天子(がっこうてんし)の金と銀の透かし彫り。さらに、鬼丸(おにまる)という名前の名越家累代の重宝である黄金装飾の円鞘の太刀に、3尺6寸の太刀をもう一本あわせて帯している。

鷲の羽付きの矢36本を頭上高々と背負い、黄色まじりでたてがみ黒く太くたくましい白馬の上には三本唐傘(注2)の蒔絵細工を施した鞍。馬に懸けた緋色の房が朝日に輝いてまぶしく映える。

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(訳者注2)名越家の紋であろう。
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しかしながら、このようなカッコヨサも、今日の戦場においては完全に逆効果となってしまった。ともすると全軍の前に前にと出たがり、周囲を払わんばかりの勢いで馬を進めて行くものだから、相手側には非常に分かりやすい。

倒幕軍側メンバーK 見てみいや、あの馬!

倒幕軍側メンバーL きらびやかな装備やなぁ!

倒幕軍側メンバーM 先頭に立って、威風を払って、全軍に号令下しとるわい。

倒幕軍側メンバーN 全軍の総大将はアイツやな! よぉし!

倒幕軍側は他の武者たちには目もくれず、こちらに開き合わせ、あちらに攻め合わせ、名越高家ただ独りだけを狙って、寄ってくる。

倒幕軍側メンバーK えぇい! くらえい!

名越高家 オォゥ!

高家の太刀 チャイーン!

倒幕軍側メンバーL えぇい!

名越高家 ウーイ!

高家の槍 ヒュッヒュッ!

高家の鎧は装甲厚く、それを貫通する矢は皆無、彼の卓越した剣術と槍術の前に、接近してくる者は次々と倒されていく。そのあまりの勢いに、倒幕軍側数万もこのままではやがて敗走か、と思われるような形勢になってきた。

ここに登場したのが、赤松一族中の一人の男。強弓連続速射の技にたけ、ゲリラ戦の大ベテラン(注3)、卓宣公(たくせんこう)のマル秘戦術(注4)を会得、その名は作用範家(さよのりいえ)。

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(訳者注3)原文では、「強弓の矢継早、野伏戦に心ききて」。

(訳者注4)詳細不明。
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範家は、鎧と兜を脱ぎ捨て、徒歩で前進を開始。あぜ道を伝い、薮をかいくぐり、匍匐前進(ほふくぜんしん)しながら名越高家にじわりじわりと接近、一矢放つチャンスをじっとうかがう。

三方から攻め寄せてくる倒幕軍を追いまくっていた名越高家はやがて、馬を止めた。彼は、鬼丸についた血を笠標でおしぬぐい、扇を開いて一息ついた。

作用範家 (内心)チャンス・・・。

高家に向かって、ヒタリヒタリと接近していく範家・・・。

作用範家の弓 ギリギリギリ・・・ビュゥッ!

名越高家 ウゥッ!

作用範家 やったぁ!

狙いたがわず、範家の放った矢は、高家の兜の真正面の下、眉間のど真ん中に命中。脳を砕き骨を破り、反対側の首の骨の端から白い矢尻が頭を覗かせた。さしもの猛将、名越高家もこの矢一本に力を失い、馬からまっさかさまにドウと落ちる。

エビラを叩いて高らかに叫ぶ、範家。

作用範家のエビラ パンパンパンパン・・・。

作用範家 おぉい、見たかぁ! 敵の大将、名越尾張守高家をなぁ、この作用範家が、矢ぁたった一本でしとめたったでぇ! みんなぁ、攻めるんなら今がチャンスやどぉ、おれに続けぇ!

赤松軍団一同 ウオーーーー・・・。

押され気味になっていた倒幕軍側は、これを見て一挙に勢いを回復、三方から勝鬨(かちどき)を上げて攻め込む。大将を失ってしまった名越軍7,000余騎は、大混乱の中に壊走。

大将を討たせてしまっていったいどこへ帰れようかと、反撃にうって出て討死にするもあり、泥田に馬の足を取られ、抵抗をあきらめてその場で自害するもあり。

かくして、狐河の端から鳥羽の今在家(いまざいけ:伏見区)付近までの50余町の間、名越軍の戦死者の遺体が大地を埋め尽くし、といった状態になってしまった。

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