太平記 現代語訳 32-5 山名軍、京都から撤退

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都からの足利義詮(あしかがよしあきら)追い落としにみごと成功、山名師義(やまなもろよし)は、心中の憤りもイッキに晴れて上機嫌である。

山名師義 ウワハハハ・・・そうかそうか、敵は美濃(みの:岐阜県南部)にいるんかぁ、ウワハハハ・・・。よぉし、さらに兵を集めて美濃へ進軍だ。この際、テッテイテキにやっつけてやるわなぁ。さぁさぁ、兵を集めろ、軍勢催促(ぐんぜいさいそく)だぁ!

ところが、山名家の旗の下に降参してくる幕府側勢力は皆無、軍勢催促に応じて新たに参加してくる者も、ほとんどいない。

京都においては、吉野朝廷(よしのちょうてい)から派遣された四条隆俊(しじょうたかとし)が一切をしきってしまうので、何事も山名父子の思い通りに、というわけにはいかない。

首都の近隣には、山名家の領地は一切無いから、軍メンバーらの食料確保にも困難が生じてきた。

このような情勢に、今回の遠征に従軍して、はるか出雲(いずも:島根県東部)、伯耆(ほうき:鳥取県西部)からやってきた者たちも、京都での布陣を維持する事ができなくなってきた。

山名軍からは脱落者が続出、地元に逃げ帰る者が、後を絶たない。

山名師義 (内心)おいおい、いったいどうなってんだ! いつの間に、我が軍の兵力、こんなに少なくなってしまったんだぁ?!

山名師義 (内心)うーん・・・こんなんじゃ、まずいわなぁ。敵が反攻しかけてきたら、今度はおれたちが、京都から逃げ出さなきゃならんかもね。

表面は強気を装いつつも、内心はビクビクもの。このような中に、気がかりな情報が、どんどん入ってくる。

 「足利義詮、東山(とうさん)、東海、北陸の勢力を率いて、宇治(うじ:京都府・宇治市)、瀬田(せた:滋賀県・大津市)より、京都へ進撃開始!」

 「中国地方から、京都を目指して、赤松則祐(あかまつのりすけ)、進軍中!」

結局、「四方の敵が接近してくる前に、速やかに退却するべし」という事になり、吉野朝・山名連合軍勢力は、京都から撤退することになった。

ここ数日の間にあっという間に獲得できた大いなる戦功も空に帰し、天下の形勢をくつがえす事もできないままに、四条隆俊は、吉野朝軍を率いて南方に帰り、山名父子は、共に道中の敵を追い払いながら、本拠地の伯耆へ帰って行った。

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