太平記 現代語訳 27-8 足利直義、逼塞状態に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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足利義詮(あしかがよしあきら)と入れ替わりに、足利直義(あしかがただよし)は、三条坊門高倉(さんじょうぼうもんたかくら:中京区)の館を出て、錦小路堀川(にしきこうじほりかわ:中京区)にある細川顕氏(ほそかわあきうじ)邸に移った。

その後、直義は、世間との接触を絶ってしまった。

しかし、直義は何といっても、ついこの間まで権力の頂点にあった人、彼の思惑通りには、世間はなかなか動いてはくれない。

直義側近A 殿、どうかご用心めせれませ。高師直(こうのもろなお)、師泰(もろやす)は依然として、殿への警戒心を緩めてはおりませんよ。

直義側近B そうですよ、ほんと危ないんですから。あいつら、「直義さまは、きっと、怒りの念を燃やし続けておられるからな、このままでは、おれたちが危ねぇんだよ」てな事、ヌカシテやがんですからねぇ! 「高兄弟は、殿を暗殺する計画まで立ててるぞ」なんてぇ、とんでもねぇ情報まで、入ってきてんですから。

足利直義 そうか・・・。ここはまず、彼らの疑心暗鬼の念を、きれいさっぱり消しとかなきゃな・・・。よし!

「もはやこの世には何の望みも無い、身を捨てた心境である」という事を示す為に、京都朝年号・貞和(じょうわ)5年12月8日、直義は出家した。当年42歳。

40歳をわずかに過ぎた年齢にして、墨染(すみぞめ)の衣をまとい、剃髪(ていはつ)してしまった直義の姿を見るに、「盛者必衰の理(じょうしゃひっすいのことわり)」とは言いながらも、まことに心が痛む。

足利直義 (内心)天下の政治を司っていた、かつての時ならばいざ知らず、今となっては、高い垣根をめぐらした、立派な家に住む必要なんか、ありゃしないのさ・・・。軽い薄物の衣服やしとね、そういったゼイタクも、もうみんなヤメだ! これからは、万事質素に、ひそやかに生きていくとしようじゃないか、なぁ、直義よ・・・。

外部との接触を全て絶ち切り、錦小路堀川の地にひっそりと暮す。垣根は苔むし、軒には古松が枝をかけている。茅(かや)や茨(いばら)で葺いた屋根は煙にかすみ、夜の月は朦朧(もうろう)。萩の花は風にそよぎ、夕暮れ時ともなると、人の声もまばらにしか聞こえてこない。

時は遷(うつ)り、事は去り、世間の人心や物事は速やかに変化していく。蔦(つた)や蔓(かずら)の生えかかる窓の中、雑草に囲まれた建物の中に、ただただ座しては、朝から夕まで終日ひたすら、仏教経典を紐解(ひもと)くのみの毎日。

やがて秋も終わり、時雨(しぐれ)がちに、冬が深まっていく。

足利直義 (内心)御簾(みす)の外は、草木も枯れて、淋しい風景になってしまったなぁ。

足利直義 (内心)「香炉峰(こうろほう)の雪 簾(すだれ)を撥(あ)げて看(み)る(注1)」か・・・あぁ、そんな風流な気分に、なってみたいもんだ・・・。

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(訳者注1)白楽天の詩の一節。枕草子にも引用されている。
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足利直義 (内心)それにしても、世の転変というものは・・・あの過去の輝いてた日々・・・あれはすべて、一瞬の夢だったのかもしれないなぁ・・・。

足利直義 (内心)「忘れては 夢かとぞ思う 思いきや 雪踏み分けて 君を見んとは 在原業平(ありわらのなりひら)」か・・・。業平の来訪を迎えた惟喬親王(これたかしんのう)の境地、思い知られるよなぁ・・・。もっともっと、訪ねてきてくれる人がいればいいのに・・・。

しかし、高兄弟の耳に入る事を恐れて、直義のもとを訪れてくる者は、玄慧法印(げんえほういん)の他には誰もいない。玄慧だけが、高師直の承諾の下、時々たずねてやってきては、海外や国内の様々の物語を直義に聞かせ、彼の無聊(ぶりょう)を慰めていたのであった。

しかしついに、その玄慧も、高齢故の病に伏してしまい、直義を訪問する事ができなくなってしまった。

玄慧の病気の事を聞いた直義は、薬を一包、彼のもとへ送り届けた。

玄慧 なになに、直義様からお薬とな・・・いやいや、またなんと、ありがたいお心づくし・・・(薬包を開く)。

薬包 ペシペシペシ・・・(開かれる音)。

玄慧 おぉ、歌が・・・。

 長生きを してまた遊びに 来てほしい 貴方の他に 仲間はいない

(原文)ながらへて 問へとぞ思ふ 君ならで 今は伴(ともな)ふ 人もなき世に

玄慧 ・・・(涙、涙)・・・。(筆を取り、詩を書く)

 あなたさまからいただいた この1日の御恩に感じ入って
 わたくしは 我が魂の100年の歳月を 今この最期の一瞬に凝縮しているのですよ
 病に伏せるこの身を奮い立たせ 床の上に座して 今 いただいたお手紙を開いております
 紙の上には点々と こぼれ落ちていきます
 拭いようにも拭いきれぬ わたくしの この涙の跡が

(原文)
 感君一日恩
 招我百年魂
 扶病坐床下
 披書拭泪痕

この一首の小詩に思いの限りを注いで、直義に贈ってから間もなく、玄慧はこの世での生を終えた。

直義は、玄慧の最後の心づくしに深く感じ入り、この詩が書かれた手紙に、さらに紙を継ぎ足し、下記の六喩般若(ろくゆはんにゃ)の真文を書いて、玄慧への追善とした。

 一切有為空
 如夢幻泡影
 如露亦如電
 応作如是観

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