太平記 現代語訳 16-13 経島の合戦

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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遠矢を射損ねて、双方の失笑を得てしまった例の武士は、その恥をそそがんと、船1隻に200余人ほど乗り込み、経島(きょうのしま:兵庫県・神戸市・兵庫区)へ漕ぎ寄せ、全員一斉に磯に飛び降りて、新田(にった)軍の中へ突入していった。

これを迎え撃つ脇屋義助(わきやよしすけ)軍の兵500余騎は、相手を包囲し、右方左方にぴったりとつけて、矢を一斉射撃。突入した200余人、意気は盛んなりといえども、射手も少なく徒歩の者ばかり、脇屋軍の騎馬武者の攻撃に悩まされ、一人残らず討ち取られてしまった。

戦い静まった後には、彼らが乗り捨てた船が、岸を打つ波に漂っている。

これを見て、足利サイドの細川定禅(ほそかわじょうぜん)は、四国勢に命令を下した。

細川定禅 後続部隊が攻め込んでいかないから、むざむざとあのように、多くの味方を死なせてしまったじゃないか!

細川定禅 このままじっと、機会を待ってたんじゃ、いつまでたっても、戦は始まらない。とにかく、上陸しやすい所に着岸して、馬を船から下ろして、一気に攻め上れ!

四国勢の大船700余隻が、動き出した。

四国勢リーダー 上陸目標地点、神戸(こうべ)ビーチィ!(注1)

四国勢メンバー一同 よぉし、行くでぇ! ワッセェ、ワッセェ、ワッセェ、ワッセェ・・・。

四国勢の船団は、海岸に沿って東へ東へ、移動していく。

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(訳者注1)原文には「紺部(こんべ)の濱」とある。おそらくは、神戸市中央区付近の浜であろう。
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兵庫ビーチ(ひょうご:神戸市・兵庫区)の3か所に展開していた新田軍5万余騎は、四国勢の上陸を阻止しようと、漕ぎ行く四国勢の船と同じ方向に、汀を東に移動していく。

この状況を上空から俯瞰(ふかん)して見るならば、四国勢船団は自ら前進するがごとく見え、陸上の新田軍はひたすら東へ退却していくかのように見える。海陸の両軍は互いに相手の様子を窺いながら東へ移動していく・・・そしてついに、四国勢は、兵庫よりはるか東方の汀に接岸して上陸開始。

足利尊氏(あしかがたかうじ) (船中より対岸を凝視しながら)(内心)東の神戸ビーチへ移動していく新田軍と、湊川(みなとがわ)ゾーンを守っている楠(くすのき)軍との間に、間隙が生じた。兵庫ビーチは、無防備状態になってるな。

足利尊氏 よし、今だ! 九州勢と中国勢を、兵庫ビーチ・和田岬(わだみさき)から上陸させよ!

足利軍の九州勢と中国勢の軍船60余隻は、和田岬に漕ぎ寄せ、一斉に上陸を開始した。

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