太平記 現代語訳 35-1 畠山国清、打倒・仁木義長を図る

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「南方の敵軍を、首尾よく退治!」との公式発表の後、将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)は京都へ凱旋(がいせん)、首都では、上から下まで喜びに溢れかえっている。後光厳天皇(ごこうごんてんのう)も叡感(えいかん)限りなくめでたく、「速やかに敵を討ったる大功績、殊更にもって神妙なり」とのメッセージを、勅使を介して送った。

「今回の戦勝祈願(せんしょうきがん)に精魂(せいこん)を尽くした諸寺院の上級僧侶や諸社の神官たちに、直ちに恩賞を与えよ」との、天皇からの言葉があったが、国司(こくし)不在の国も無し、恩賞として与えれるだけの領地も無し、仕方なく、わずかに官位を与えるだけの事になった。

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京都へ帰還の後、細川清氏(ほそかわきようじ)、土岐頼康(ときよりやす)、佐々木道誉(ささきどうよ)らは、畠山国清(はたけやまくにきよ)の館に毎日集まり、先日までの戦場での辛苦を忘れようと、酒宴や茶会などを催しながら、夜となく昼となく遊んでいた。

親交の日が重なり、互いの隔心が完全に消滅してしまうタイミングを、畠山国清は、じっと見計らっていた。

そんなある夜、

畠山国清 (内心)よぉし、もういいだろう。

畠山国清 (ササヤキ声で)なぁ、みんな・・・相談したい事、あんだけどぉ。

メンバー一同 ・・・(いずまいを正す)。

畠山国清 (ササヤキ声で)わしもう、何もかも隠さないで、打ち明けちまうわな・・・実はね、今回、わしが関東からやってきたのはね・・・吉野朝勢力退治の為というのは、単なる表向きの理由でなぁ・・・本当の目的はだな、他でもねぇ・・・あの・・・仁木義長(にっきよしなが)・・・あいつの思い上がりを、いっちょ懲らしめてやろうと思ってね。

メンバー一同 ・・・。

畠山国清 (ササヤキ声で)なぁみんな、考えても見てくれよ、あの男、仁木家のリーダーが務まるような人間かい?

畠山国清 (ササヤキ声で)・・・とても、その器たぁ思えねぇ・・・なのによぉ、まったく分不相応にも、四か国もの守護職についてやがんだよぉ・・・いいかい、四か国だよ、四か国!

畠山国清 (ササヤキ声で)テェ(大)した忠功もねぇくせによぉ、数百か所もの大荘園を、恩賞でゲットしてやがんだぜぇ。

畠山国清 (ササヤキ声で)あいつのやってる事、ありゃぁいってぇなんでぃ! 外に出りゃぁ、仏神をも敬わずに、朝に夕に、狩や漁を楽しんでは殺生(せっしょう)を繰り返す。幕府内では、将軍様(注1)のご命令を軽んじ、政務は完全にほぉったらかし。

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(訳者注1)足利義詮のことである。
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畠山国清 (ササヤキ声で)今度の南方の敵との戦いでも、ひでぇもんだぁ。敵が勝ったら喜び、味方が勝ったら悲しむ。あんなの、勇士の本意と言えるんだろうか、忠臣のふるまいと言えるんだろうか。

畠山国清 (ササヤキ声で)将軍様はなぁ、尼崎(あまさがき:兵庫県・尼崎市)に、200余日もの長きに渡って、陣を敷いておられたんだよぉ・・・で、その間、義長は、いったいどこにいた? そうだよ、ヤツぁ、西宮(にしのみや:兵庫県・西宮市)に、いたんだよ、西宮になぁ・・・尼崎の目と鼻の先さなぁ・・・なのによぉ、将軍様のもとに出向いたこたぁ、ただの一度も無かったよなぁ。将軍様を招いて饗応(きょうおう)するなんて事も、ぜーんぜん(全然)無かったよなぁ。

畠山国清 (ササヤキ声で)あんな不忠者、あんなトンデモヤロウに、大国の守護を任せ、広い領地を支配させといたんじゃ、世の中、ぜぇったい(絶対)うまく治まりっこねぇやなぁ。

畠山国清 (ササヤキ声で)でぇ、この際だぁ、ここに集まったみんなで一致協力して、仁木義長を退治してだなぁ、将軍様のやっかいごと始末をお助け申し上げるってのは、どうだろうねぇ? そうなったら、今は亡き先代様(せんだいさま)だってきっと、草葉の陰で嬉しく思われるにちげぇねぇ(注2)。なぁ、みんな、どう思う?

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(訳者注2)原文では、「故将軍も草の陰にては、嬉くこそ思召候はんずらめ。」。「故将軍」とは、尊氏のことである。
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それを聞いたメンバー一同は、

細川清氏 (内心)国清の言う通りだぜ。あの仁木義長ってヤツ、まったくもって、とんでもないトンデモヤロウだ。今回の戦で、三河国(みかわこく:愛知県東部)の星野(ほしの)、行明(ぎょうみょう)たちは、三河国守護であるヤツの配下じゃなく、おれの配下で戦った。あいつめ、それにヘソ曲げちゃって、星野や行明たちの領地をブン取って、自分とこのもん(者)らに配分しちゃった・・・まったくもって、なんてぇヤロウなんだろう、あの仁木義長ってやつは。

土岐頼康 (内心)「義長」って聞いただけで、おれ、もう、吐き気、もようしちゃうんだわぁ。今はなき土岐頼遠(ときよりとお)の子の左馬助(さまのすけ)は、義長の養子になってる。だもんで、何かといやぁ、義長め、おれの領地を取り上げて、左馬助に与えやがる・・・貯まりに貯ったおれの怒り、もう、ダム決壊寸前よぉ。

佐々木氏頼 (内心)長年の仇敵(きゅうてき)の高山(たかやま)を、ようやっと討てて、あいつの領地を、おれ、将軍様から拝領したわいな。ところが、仁木義長め、ヌケヌケとヌカシよったわい、「あの領地は、建武(けんむ)年間の合戦の勲功として、この義長が先代様から頂いたものである!」・・・フン!・・・でもって、未だに、あこの領地、義長に不法占拠されたまんまや。ほんまに、おもろないでぇ!

佐々木道誉 (内心)フフフン・・・こいつら、義長に、さんざん煮え湯飲まされちゃってるからなぁ・・・さぞかし、恨みイッパイ、骨髄(こつずい)ズイズイズイッコロバシってとこだろよ・・・いや、おれはさぁ、義長に対して恨む含むような事、これといって何もないんだよなぁ・・・ただなぁ・・・あの男の傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の振舞い、あまりにも、目に余るものがあるよなぁ・・・。

このように、そこに集まった今川、細川、土岐、佐々木らは皆、仁木義長に対して不快の念を抱いていたので、畠山国清のこの提案に、全員が乗ってきた。

メンバー一同 (ササヤキ声で)やろうじゃないの! 軍勢が手元に確保できてる今この時に、仁木義長を討ってしまおう! その趣旨はただただ、世の混乱を静めんがため。

畠山国清 (ササヤキ声で)じゃ、今からすぐに作戦会議、始めよう。

メンバー一同 (うなづく)。

メンバー全員、下人らを遠くにやった後、「さぁ、これから作戦会議」というタイミングに、招かれてもいない時宗僧侶や田楽児童ら多数が、室内にゾロゾロと入ってきた。

メンバー一同 (内心)こりゃ、まずいな。

メンバー一同 ・・・(互いに、めくばせ)

というわけで、その日の作戦会議は中止、酒宴のみで終わった。

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