太平記 現代語訳 2-5 日野資朝の最期~その時、彼の息子・阿新は

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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後醍醐天皇の倒幕計画が露見して大喜びと、いう人々も、京都にはいたのである。それは、[持明院統](じみょういんとう:注1)勢力に属する人々であった。

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(訳者注1)[持明院統]については、[太平記 現代語訳 1-5]中の訳者注をご参照いただきたい。
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持明院統・勢力の人A いやぁ、これはうまい事になりましたなぁ。

持明院統・勢力の人B ほんに。これで、今上陛下は、ご退位と・・・。

持明院統・勢力の人C そして、次の天皇位は、こっちサイドへくる事まちがいなし。

持明院統・勢力の人一同 ウキャキャキャキャキャ・・・・。

このように、身分の上下を問わず大はしゃぎである。

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しかしながら、六波羅庁によって土岐頼貞が討たれた後も、天皇位交替について、鎌倉からは何の話もなかった。

今また、日野俊基(ひのとしもと)が捕縛連行されたというのに、依然として、何らかの決定が幕府においてなされる、というような情報も伝わってはこない。持明院統・勢力サイドは、全くのアテハズレ、溜息をつくばかりである。

そういう状況ゆえに、いろいろと進言する者がいたのであろうか、持明院統・勢力より、鎌倉の北条高時のもとへ、密使が送られた。

北条高時 さてさて、いったいどんなご用件で?

密使 さるスジから、「北条高時殿に、次のように申し伝えるように」と、おおせつかって参りましたわ。

北条高時 テヘェー、いったいどんな事を?

密使 「今上天皇の倒幕計画はすでに、「今そこにある危機」の段階にまで達しておる。幕府は速やかに、それに対する糾明措置を行うべきである。さもなくば、近い日に、天下大乱になってしまうこと、必定(ひつじょう)!」

北条高時 (内心)ムムム、こりゃぁイカン!

彼はすぐに、北条家・重臣・合同幹部会議を開いた。

北条高時 持明院サイドからな、こんな事言ってきやがったぜ。いったいどうすべぇかなぁ?

会議メンバー一同 ・・・。(シーーーン)

会議メンバーA (内心)こんなこと、まっさきに口開いて言えるかい。誰か、他の人、意見言ってくんないかなぁ。

会議メンバーB (内心)自分の立場ってぇもん、考えると、うかつな事は言えないよなぁ・・・。

誰も口を開こうとしないのを見て、北条家執事(しつじ)・長崎円喜(ながさきえんき)の息子・長崎高資(ながさきたかすけ)が、ツツッとひざを乗り出し、討論の口火を切った。

長崎高資 土岐頼貞を討伐した際に、天皇も交代させてしまえばよかったんですよぉ。なのに、朝廷に遠慮して、うやむやな処置で、お茶をにごしてしまったわけじゃぁないですかぁ。

会議メンバー一同 ・・・。

長崎高資 ようはですね、天皇の倒幕プロジェクト計画という一大問題に対しての、抜本的な処置ってぇもんが全然出来てないままに、今日までずるずると、来てしまってるわけです、問題先送りのまんまねぇ。

会議メンバー一同 ・・・。

長崎高資 乱を抑え、国を治める事にこそ、武力行使の意義があるというもの! 速やかに、今上天皇は遠国流刑、護良親王(もりよししんのう)は片道切符の島流し、日野俊基、日野資朝(ひのすけとも)以下の、国を乱す近臣どもは残らず死刑、これに限りますってぇ!

会議メンバー一同 ・・・。

憚(はばか)る所なく、まくしたてる長崎高資の言葉を聞いていた二階堂道蘊(にかいどうどううん)は、しばしの思案の後、口を開いた。

二階堂道蘊 たしかに長崎殿のご意見、もっともではありますが、私が思うところを少し、述べてみてもよろしいでしょうか。

北条高時 よし、言ってみろ。

二階堂道蘊 はい・・・。武家が政権を獲得してからすでに160余年が経過、勢威は四方に及び、武運は代々輝きを増すばかりであることは、言うまでもありませんが・・・それはひとえに、武家政権が、上には、天皇陛下を仰ぎ奉って、私心なく忠節を尽くし、下には、人民をいつくしみ、仁政を施してきたからであります。

会議メンバー一同 ・・・

二階堂道蘊 なのに今、天皇陛下の寵臣の両・日野を拘留し、陛下が帰依しておられる高僧3人を流罪に処せられた、これまさに、「武臣、悪行を専らとす」と、いうべきものではないでしょうか?

二階堂道蘊 その上さらに、今上天皇陛下を遠国に遷し申し上げ、天台座主(てんだいざす)・護良親王を流罪に処す、という事になれば・・・うーん・・・天が武家政権の奢りを憎まれること、必定でありましょう。のみならず、護良親王を擁護する延暦寺(えんりゃくじ:滋賀県大津市)の面々も必ずや、憤りの炎を燃やしましょう。

二階堂道蘊 神の怒りに触れ、人間にもそむかれたならば、武家政権の武運は危機に瀕(ひん)することとなるでしょう。

二階堂道蘊 古(いにしえ)の世の人の言葉にも、「君主にその資格無しといえども、臣下は臣下としての分をわきまえ、その務めを果たすべし」と、あるではないですか。

二階堂道蘊 それにですよ、たとえ陛下が倒幕を計画されているとしても、それがいったい、何程の脅威と言えましょうや? 幕府に対抗しうる武力など、あちらには無いのですからね、その計画に加担しようなどという者がいるとは、到底思えませんね。

二階堂道蘊 ここはとにかく、我々の方がひたすら慎んで勅命に従っておきさえすれば、陛下のお考えも、必ず、変化をきたすことでしょう。かくして、国家は泰平、武家政権は武運長久・・・と、私は考えるのですがねぇ、皆様のご意見は?

長崎高資 (チョゥムカッ)アノネェッ! 政治ってぇのはねぇ! アメ(飴)とムチ(鞭)とのメリハリを効かせる事が大事だと思いますよ! あいまいな処置ってのが、イッチバンいかんのですワ!

長崎高資 世の中が治まってる時には、アメをしゃぶらせてゆるやかに統治し、乱れてる時には、ムチでバッシバシ、しばいて速やかに押え込む! これですよ、これ!

長崎高資 昔の中国だってそうだったでしょ? 戦国時代には、孔子や孟子の政治学なんか、とても適用できるような状態じゃぁなかった。武力が必要でなくなったのは、戦国時代が終わって太平の世になってからだ。

長崎高資 とにかく、事は急を要します、今は、武力を用いるべき局面ですってぇ!

長崎高資 「君主にその資格無し」の場合、臣下はどうやってきたか? 中国では、周(しゅう)王朝の文王(ぶんおう)・武王(ぶおう)が、無道の君主(注2)を打倒してますよ。我が国にだって、北条義時(よしとき)様・泰時(やすとき)様の時に、善ならぬ上皇(注3)たちを流罪にした前例が、あるじゃぁないですか!

長崎高資 あの時だってぇ、幕府は朝廷から見れば、臣下の立場でしたよねぇ。でも当時の世論は、「臣下の分際で主君を島流しにするとは何事か」なんて事を言って、幕府を非難したりはしませんでしたよ。

長崎高資 古典の中にだって、「君主が臣下を土やゴミのように扱う時には、臣下も君主を仇敵のごとくに見るであろう」って、あるじゃぁないですか。

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(訳者注2)殷王朝の紂王。

(訳者注3)後鳥羽上皇の事である。長崎高資は、承久の乱の時の事跡を用いて、自説を正当化しているのである。
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長崎高資 モタモタしてる場合じゃぁない! 天皇に先手を打たれて、「幕府追討命令」でも出されちゃったら、どうする?! そうなってから後悔しても、もう遅いんだからぁ! 速やかに、天皇を遠国に遷しィ、護良親王を硫黄島(鹿児島県)へ送りィ、倒幕計画の首謀者で逆臣の日野資朝と日野俊基の両名を死刑に処するゥ、これっしかなァイ! このような処置あってこそ、武家の安泰は万世に及ぶ、というものでしょうがァ!

高資は、居丈高(いたけだか)に、自らの意見を滔々(とうとう)とマクシたてる。会議メンバー多数は、長崎父子の権勢におもねたのか、あるいは愚かな考えに引きずり込まれてしまったのか、皆それに賛同してしまった。

二階堂道蘊 (内心)これ以上、何を言ってもしかたがないか・・・。

彼は、眉をひそめて、その場を退出して行った。

かくして、

 「天皇に対して倒幕をそそのかしたのは、源具行(みなもとのともゆき)、日野俊基、日野資朝である。彼らを死刑に処すべし!」

との決定が下った。

 「まずは、昨年より佐渡国(さどこく:新潟県佐渡島)に流刑中の、日野資朝から」

という事で、日野資朝・処刑の命令が、幕府から佐渡国守護・本間山城入道(ほんまやましろにゅうどう)に下された。

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この決定は、京都の人々の知る所となった。

日野資朝には、「阿新(くまわか)」という名の、十三歳の息子があった。この人は後に、中納言・日野國光となる。

資朝が逮捕された直後から、仁和寺(にんなじ:京都市右京区)のあたりに身を隠していたのだが、父が処刑される、とのうわさを聞いて、阿新は、小さな胸の内にある決意を固め、母の前に座した。

阿新 もう自分の命なんか、惜しぃありません。父上と共に斬られて、冥土の旅のお供をしたい・・・父上の最期のご様子も、見ておきたいと思います。母上、お願いですからどうか、父上のもとに行かせて下さい!

阿新の母(資朝の妻) あんたは・・・もう何を言わはりますのや・・・。佐渡いうとこはなぁ、人も通わん怖ろしい島や言うやおへんか。そないなとこまで、いったい何日かかって行けるもんやら・・・。そないな遠いとこまで、いったいどないして、行かはるつもりどす?

阿新 ・・・。

母 だんなさまが、あないな事になってしまわはってからいうもん、うち、ほんまにつらい日々どす・・・その上、あんたまで、うちから離れて行ってしまうやなんて・・・。(涙)

阿新 ・・・。

母 そないな事になってしもぉたら・・・一日も、いや、一時間も、よぉ生きていけへんわ、うち・・・。うっうっうっ・・・。(涙)

阿新 父上のとこに連れてってくれる人、誰もいいひん、いうんやったら・・・もういっそのこと、ボク、どっかの川の深いとこにでも、身ぃ投げて、死んでしまいますわ!(涙)

母 なにを言うねん、あんたは!(涙)

阿新 ・・・。(涙)

母 (内心)これ以上、ムリにひき止めたら、かわいいこの子の命までも、失われてしまうかもなぁ・・・。

阿新 ・・・。(涙)

母 (内心)しゃぁないなぁ。

母は仕方なく、今日まで自分につき従って来てくれた、たった一人の中間(ちゅうげん)をお伴につけ、息子を、遙かなる佐渡への旅路に送り出した。

遠い道を行くというのに乗る馬も無く、慣れない草鞋を履き、菅の小笠をかぶり、露を分けながら歩み行く阿新少年の北陸の旅路・・・ああ、思いやるも哀れなるかな。

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京都を出てから13日目、越前国(えちぜんこく:福井県東部)の敦賀(つるが:福井県敦賀市)の港に着いた。

ここから、阿新と中間は、商船に乗り、やがて佐渡に到着。

自分がやってきた事を、人を介して伝えるすべもなく、阿新は本間の館に自ら赴き、中門の前に立った。

たまたま、門の内にいあわせた一人の僧侶が、彼の姿を見て、門の外へ出てきた。

僧 ねぇ、キミ(君)、キミ、ここの館の内に何か用があって、そこに立ってるのかなぁ? どんな用事?

阿新 ボク、日野資朝の息子ですねん。父がもうすぐ処刑される、いぅて聞いたもんですから、その最期、見届よ思ぉて、都からはるばる来たんです。(涙、涙・・・)

僧侶は心優しい人であったので、すぐに、阿新がやって来た事を本間に告げた。

それを聞いた本間も、岩や木ならぬ人間の身、さすがに哀れに思ったのであろう、すぐにこの僧に命じて、阿新を持仏堂に迎え入れさせ、足袋・きゃはんを脱がせて足を洗わせ、丁重にもてなした。

阿新は、本間のこの応対をうれしく思いながらも、

阿新 お願いします、わが父に、早ぉ会わせてください!

本間山城入道 ・・・。

本間山城入道 (内心)今日、明日にも処刑される運命にある人にだよ、息子を会わせたりなんかしたら、かえって、冥土の旅出への障害になってしまうだろう。親子の対面を許した、なんて事が鎌倉へ聞こえでもしたら、後々、まずい事になるかもなぁ。

というわけで、本間は父子の対面を許さず、4、5町ほど間を隔てて、資朝と阿新を留め置いた。

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息子が佐渡までやって来たことを聞いた父・資朝は、

日野資朝 (内心)あぁ、あの子がここまで来てくれたんか・・・。先行き不安の京都の中で、いったいどないしてるんやろかなぁと、気ぃもんでたんや。

日野資朝 (内心)そやけど、こうやって近くにいると思うと、かえって悲しみが増すもんなんやなぁ。

阿新の方も同様である。

阿新 (内心)京都と佐渡との間、波路はるかに隔てて、父上の事を思ぉて涙流してた時の方が、まだましやったわ。

「父はあちらの方にいる」と聞いてからというもの、そちらの方を眺めているだけでも涙があふれてきて、たもとの乾くひまがない。

阿新 (内心)はるか彼方のあそこに、堀と塀で囲まれて、一群の竹がこんもりと茂ってる一角がある。あのへん、行き交う人もあまりいいひん。あこがまさしく、父上が囚われの身になってはる場所なんとちゃうやろか。

声A 情け無しかな 本間の心

声B 父は 囚われの身

声C 子は 未だ幼い

声A たとえ 二人を 一緒にしておいたとしても

声B なにほどのトラブル発生の おそれがあろうか

声C なのに 父子の対面さえ許さぬとは

声A 現世に共に 生きながら

声B すでに住む世界 異なるがごとき この境遇

声C 亡(な)からん後(のち)の 苔の下

声A 思い寝に見ん 夢ならでは

声B 相(あい)看(み)ん事も 有(あ)りがたしと

声C 互いに悲しむ 恩愛(おんあい)の

声A and 声B and 声C 父子(ふし)の道こそ 哀れなれ

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5月29日の暮れ方、ついに日野資朝が牢から外に出される事になった。

本間の家臣 長い間、風呂もお入りになれませんでしたでな、どうぞ、体をお流し下さいよ。

資朝 (内心)さては・・・ついに最期の日がきたな。

資朝 それにしても、なんちゅう酷(むご)い仕打ちやろ。私の最期を見届けようと、都からはるばるやってきた幼い人の姿を、一目見る事もかなわずに、このまま命終えるとは。

本間の家臣 ・・・

これが、資朝の口から発せられた最後の言葉であった。

以後、何をするにしても無言。

今朝まではただ、うちひしがれて涙を流すばかりであったのが、今や煩悩(ぼんのう)残らずきれいさっぱり、拭い去られたようである。あの世に旅立つ為の心の準備の他、一切余念無しという感じである。

その夜、資朝は輿に載せられ、牢屋から10町ほど離れた川原へ連れて行かれた。

資朝 (内心)いよいよやな。

輿から降り假た資朝は、臆した気配みじんも無く、敷皮の上に居住まいを正した後、辞世の詩をしたためた。

 心身五要素が 集合して 仮の人間存在を 形成してきたが
 四大元素は 今再び離散して この私という実存も 空に帰する時が来た
 いままさに 我が首は 白刃(はくじん)に 当てられようとしている
 一陣の風よ さぁ吹くがよい 吹いて私の首を 速やかに切断するがよい

  (原文:五蘊假成形 四大今帰空 将首當白刃 截断一陣風)(注4)

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(訳者注4)五蘊(ごうん)とは、色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)。 四大(しだい)とは、地(ち)、水(すい)、火(か)、風(ふう)。
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詩の末尾に年号月日、さらに名字を書き添えた後、資朝は筆をおいた。

刑執行担当の者が背後へ回るやいなや、首は敷皮の上に落ち、体だけは、なおも座し続けた。

しばしば、資朝を訪問して仏法の談話をしていた僧侶が来て、葬礼を形のごとく執り行い、資朝のお骨を拾って帰り、阿新に渡した。

それを一目見るやいなや、彼はくずれ落ち、地に倒れ伏してしまった。

阿新 今生での対面もついにかなわんと、白骨になってしまわはってから、父上とやっとお会いできるやなんて・・・あぁ、なんという・・・。(涙、涙)

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阿新は未だ幼いながらも、けなげな心の持ち主であった。

父の遺骨を、京都からつき従って来た中間に持たせて言わく、

阿新 おまえは、ボクより先に京都へ帰り。帰ってから、高野山(こうやさん)にお参りしてな、このお骨を、高野山の奥の院とかいう所に埋葬してな。

このようにして、彼を先に京都へ帰らせた後、阿新は仮病を使って、本間の館になおも留まった。

阿新 (内心)今生での父上との対面も許してくれへんかった、あの本間というヤツ・・・あまりに非情な仕打ちやないか! 何としてでも、この恨み、晴らさいでか!

4、5日滞在する間、昼は病のふりをして終日、床に臥し、夜になるとこっそりと部屋を抜け出して、本間の寝所などを、細々と窺(うかが)い続けた。

阿新 (内心)隙(すき)あらば、本間父子のうち、どちらか一方だけでも刺し殺す。それから、我が腹、切って果てよう。

このように、思い定めていたのである。

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風雨激しいある夜、宿直の者らは皆、母屋から離れた警護詰所で寝ている。

阿新 (内心)チャンス到来!

阿新は、本間の寝所の方に忍んで行ってみたが・・・。

阿新 (内心)あぁ、悪運、強いやっちゃなぁ! 今夜だけは、寝る場所を変えたようやぞ、どこにも、いよらへん!

その時、別の二間の部屋に、灯火の光が見えた。

阿新 (内心)うん? あれは・・・。もしかしたらあっちの部屋で、本間の息子が寝とるんやろか。よぉし、息子の方だけでも討ち取って、恨み晴らしたろ!

そこで、その部屋に忍んで入ってみた。男が一人寝入っていた。

阿新 (内心)なんやぁ、本間の息子と、ちゃ(違)うわぁ。こいつは、父上の首を切ったという、本間三郎(ほんまさぶろう)とかいうヤツやんかぁ。ガッカリやなぁ・・・。

阿新 (内心)そやけど、こいつかて、本間に負けず劣らずの親の仇やしな、よぉし、こいつを!

阿新 (内心)さてと・・・ボクには、太刀も短刀も、無いから、あいつのんを、使うしかない。なんとかして、あいつの太刀を手にいれて・・・。

阿新 (内心)燈の光、明るすぎやなぁ・・・こっちが入っていったとたん、あいつ、目ぇさましてしまいよるかも・・・。

このように考えだすと、なかなか行動に出れない、いったいどうしたものか、と思案しながら立ちつくしていたのだが・・・。

季節は夏の頃合い、燈火の光に惹かれて、蛾がたくさん障子にとりついている。

阿新 (内心)うん、ヒラメイタ、グッドアイディア! あの蛾を使ぉたろ、きっと、うまいこといくぞ!

阿新は、障子を少しだけ開いた。その瞬間、室内の光めがけて、蛾がどっと入って来た。蛾の羽ばたきに灯火は消されてしまい、室内は真っ暗になった。

阿新 (内心)ヤッタァ!

彼は室内に忍び入り、本間三郎が寝ている枕辺近くへ、にじり寄っていった。

本間三郎は、太刀も小刀も枕辺に置いたまま、ぐっすりと寝入っている。

阿新は、まず、本間の小刀を取って自分の腰に指した。そして、枕辺にあった太刀を抜き、その切っ先を、本間三郎の胸のあたりに狙い定めた。

阿新 (内心)寝入ってる相手を殺す、というのでは、どうもなぁ・・・死人を殺すのと同じようなもんやから・・・。まずは、こいつの目を醒ましてから。

阿新は、枕をポーンと蹴った。本間三郎は驚いて目をさます、その瞬間、

阿新 エェィッ!

本間の臍(へそ)の上のあたりに突き立てられた太刀は、切っ先が畳に届かんばかりに、彼の体を深ぶかと刺し貫いた。そして阿新は、返す刀で本間の喉笛を、

阿新 ヤァッ!

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阿新は、心静かに、館の奥の方にある竹林の中に駆け込み、そこに身を潜めた。

身体に太刀が刺さった時の本間三郎の叫び声に驚き、宿直の者らが火を点し、現場にかけつけてきた。

本間家の者D アァッ、三郎がやられてるぞ!

本間家の者E どこのどいつの仕業だ!

本間家の者F おい、見ろ! 真っ赤な足跡が!

本間家の者D 血だな。

本間家の者E 大人の足跡ではないな、小さい。

本間家の者F さてはあいつか! 下手人は、あのコゾウだな!

本間家の者D えぇい、こしゃくな!

本間家の者E 堀の水は深いからな、木戸から外へは出れてないだろう。

本間家の者F とっとと探し出して、打ち殺してしまおう!

彼らは手に手に松明をともし、木の下、草の陰と、残す所無く、捜索しはじめた。

阿新 (竹林の中に隠れながら)(内心)あぁ、いったいどこへ逃げたらえぇんやろか・・・。

阿新 (内心)あいつらの手にかかって殺されるくらいやったら・・・いっそのこと、自から命を絶ってしまおか・・・いやいや、にっくき親の仇を討ちとれてんから、今はなんとしてでもこの命を全うして、後々、天皇陛下のお役にも立たせていただくべきや。それでこそ、父上の志も継げるというもの、これこそが、忠臣孝子の道というもの。ここは、万に一つの可能性にかけてみよ、とにかく、頑張れるだけ頑張って、逃げてみたろ!

阿新は、竹林の中を脇目も振らずに、一気に走った。

やがて、彼の眼前に館の堀が立ちはだかった。

阿新 (内心)この堀、どないして渡ろか。いっちょう思い切って、飛び越えてみよか。

しかし堀は幅2丈、深さ1丈余り。

阿新 (内心)あぁ、ムリやなぁ。

その時ふと、目に止まったのが、掘の側に生えている一本の呉竹であった。

阿新 (内心)よし、あれを橋の代わりに。

阿新は、その竹にスルスルと登っていった。すると彼の体重によって、竹は掘の向う側へと、しなった。

阿新 ヤッタァ!

彼は、しなった竹の先から地上へ飛び降りた。このようにして、阿新は難なく、堀を越えることができたのであった。

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阿新 (内心)夜が明けるまでには、まだまだたっぷり時間ある。港の方へ行ってそこにある船に乗り、越後へ向かうとしよ!

彼は、そこらの地理も分からぬ中を、なんとかかんとか、海岸の方向を目指して進んだ。

夜は次第に明けてきた。人目につかずに通れそうな道もない。仕方なく、阿新は、麻や蓬の生い茂る中に身を隠した。

阿新 (内心)あっ、来よった、追手や!

140ないし150騎ほどが、バラバラと駆けくるのが見えた。

本間家の者G おい、そこの男! もしかして、年の頃12、3ばかりの子供が、このへんを通って行かなかったか?

通行人X いいや、見ませんでしたなぁ。

本間家の者H おいおい、そこのオネエさん、年の頃12、3ばかりの子供、見なかったぁ?

通行人Y いいえぇ。

本間家の者G いないなぁ・・・もう少し先の方を当たってみようか。

本間家の者H そうだなぁ。

このように、道に行き会う人ごとに問いながら、追手の一団は阿新の目の前を通り過ぎていった。

阿新は、日中はその茂みの中にじっと身をひそめ、夜になってから再び、港を目指して進んだ。

彼の孝行の志を神仏が良しとされて、御擁護(ごようご)を垂れたもうたのであろうか、方角も分からず進んでいるうちに、一人の年老いた山伏(やまぶし:注5)に出会った。

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(訳者注5)「山臥とも書く。修験道(しゅげんどう)の行者(ぎょうじゃ)のこと。山野を経歴して苦修練行(くしゅうれんぎょう)し、山野に起臥(きが)するので山伏という。」 仏教辞典(大文館書店)より。
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彼の様子を見て、哀れに思ったのであろう、山伏は、

山伏 キミ(君)、キミ、いったいどこから来たの? どこへ行こうとしてる?

阿新は、ありのままに、事情をうち明けた。

山伏 (内心)あぁ、なんて、かわいそうな。いま、私がこの少年を助けてやらないと、彼はきっとムザンな目にあう事になるだろうなぁ。よし、ここは何としてでも、彼の力になってやろう!

山伏 キミ、もう心配いらないからね! 港には商船がたくさん集まってるからさぁ、それに乗っけて、越後、越中の方まで、私がキミを送り届けてあげるよ。

阿新 ありがとうございます!

山伏 長い道のり、歩いてきたんだろう? 足、疲れてるよなぁ。さ、私の背中に乗りたまえ!

山伏は、阿新をおぶって歩き出した。ほどなく、二人は港にたどりついた。

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夜が明けた後、港で船を探してみたが、運悪く、港内には船が一隻も停泊していない。

山伏 (内心)さてさて困ったな。いったいどうしたものか・・・。

その時、山伏は、はるか沖合いに大きな船を見つけた。順風になってきたと見え、帆柱を立て、トマを巻いている。

山伏は、その船に向かって手をあげ、大声で、

山伏 おぉい、そこの船ぇー! ここに着けてくれよぉー! 船に乗りたいんだぁー!

しかし、船乗りたちは彼の要請に一向に応える様子もなく、声を張り上げながら、港の外に漕ぎ出ようとする。

山伏 私の願いを無視するつもりか! そうはいかんぞぉ!(大いに腹を立て)

柿色の衣の袖の紐を結んで肩に掛け、沖を行くその船の方を睨みつつ、イラタカ数珠をサラサラと押しもみながら、

山伏 えーい!

山伏
 秘密呪(ひみつのじゅ) ひとたび持(じ)すれば
 生(しょう)が変わるといえども 加護(かご)の力 持続す
 仏に奉仕し 修行する者
 即 仏の如き 存在となれり
 ましてや 多年の修行を積みし 我においてをや!

 不動明王(ふどうみょうおう)の 本誓(ほんぜい)に誤りなくば
 権現金剛童子(ごんげんこんごうどうじ) 天龍夜叉(てんりゅうやしゃ)、八大龍王(はちだいりゅうおう)
 かの船をこなたへ 漕ぎ戻させ給わんことをーっ!

躍り上がり、踊り上がり、一心不乱に祈り込める。

彼の祈りが神に通じ、不動明王の擁護があったのであろうか、沖の方からにわかに強風が吹き始め、船は今にも転覆しそうな状態となった。

船上の人々は慌てふためき、

船上の人々 山伏の御房、どうか我らをお助け下さいまし!

彼らは、手を合わせ跪(ひざまづ)き、必死になって船を港へ漕ぎ戻してきた。

水際近くに船が接近すると同時に、船頭が船から飛び降りて来た。

船頭 さ、どうぞ、船へ!

彼は、阿新を肩にのせ、山伏の手を引いて、船室へ招き入れた。そのとたん、強風はぴたりとやんで再び元の順風の状態へと戻り、船は出港した。

やがて、追手の面々が港までたどり着いた。彼らは、遠浅の海岸に馬をとどめ、叫んだ。

本間家の者G おぁい、その船、止まれぇ!

本間家の者H 止まらんかぁ、このヤロゥ!

船乗りたちは見て見ぬふりをして、順風に帆を広げ、船を進めていった。

その日の暮れごろに、船は越後の国府(新潟県・上越市)に到着した。

阿新が山伏に助けられて、虎口(ここう)を脱しえたというこの事は、不動明王のご加護の御誓(おんちかい)が、明らかなることの証拠であると、言えよう。

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(訳者注)謡曲の[壇風]は、この話を題材にしたものである。
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