太平記 現代語訳 7-1 護良親王、再び危機に直面

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。

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元弘3年(1333)2月16日、幕府・吉野方面軍の大将・二階堂道蘊(にかいどうどううん)は、6万余騎を率いて、護良親王(もりよししんのう)がたてこもる吉野の金峯山寺(きんぷせんじ:奈良県吉野郡吉野町)へ押し寄せた。

菜摘川(なつみがわ)の流れの淀んだ所から寺の方角を見上げてみれば、峰上には白、赤、錦の旗が多数立ち並び、深山から吹き下ろす風にたなびく様は、雲か花かと見まがうほど。山麓には、数千の護良親王軍が、兜の星を輝かし鎧の袖を連ね、あたかも錦の刺繍の敷物を地面に敷いたかのごとくである。

峰は高く道は細く、山は険しく苔は滑らか。たとえ数10万の軍勢で攻めてみたとて、そうそうたやすく、攻め落とせそうにも見えない。

2月18日午前6時、両軍互いに矢合わせ開始、幕府軍サイドは、次々と兵を入れ替えながら攻め続けた。

一帯の地理を知り尽くしている親王軍サイドは、ここの隘路(あいろ)へ、かしこの難所へと走り回り、ダイナミックに集中・拡散を行いながら、矢をバンバン浴びせかけていく。

幕府軍サイドも、命知らずの関東武者ぞろい、親が討たれようが子が討たれようが、主が滅びようが従者が滅びようが、一切おかまいなし。自軍の死骸を乗り越え乗り越え攻め続け、じわじわと寺に肉薄していく。

7昼夜もの間、息をもつがせぬ死闘の連続。その結果、親王軍サイドの戦死者300余、幕府軍サイドの戦死者800余。矢に当たり石に打たれて、生死の境をさまよっている者に至っては、その数、幾千万。一帯の草と芥(あくた)は鮮血に染まり、死骸が小径を埋めつくす。

しかしながら、親王軍サイドには一向に戦い屈した風も見えずに、むしろ幕府軍サイドの多くに、疲労の色がにじみではじめた。

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一帯の地理に詳しいからというので、幕府軍に加わっていた金峯山寺の寺務総長(注1)・岩菊丸(いわぎくまる)は、部下を呼び集めていわく、

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(訳者注1)原文では「執行(しゅぎょう)」。
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岩菊丸 東條(とうじょう)方面軍の大将・金澤(かなざわ)殿(注2)は、もうすでに赤坂城(あかさかじょう)を攻め落とし、今は金剛山(こうごうさん)の方へ進軍してはる、とかいう話や。それにひきかえ、こっちの戦況はなぁ・・・あーあ、情けないこっちゃわ。

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(訳者注2)これは太平記作者のミス記述であろう。6-6では、赤坂城攻めの総大将は阿曽治時になっている。
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岩菊丸 このへんの地理に詳しいからっちゅうことでやな、軍の一角を任されてるわしらやのになぁ、まったくもう、なんの役にもたててへんわ。ほいでもって、敵陣は陥落しぃひんまま、日が過ぎていく・・・ほんまにナサケないこっちゃでぇ。

岩菊丸軍団メンバー一同 ・・・。

岩菊丸 よぉよぉ考えてみるにや、あの寺は大手側からいくら攻めてみても、ラチあかんわい。こっちサイドの損害が増えるばっかしで、とても寺は落とせへん。

岩菊丸 そこでやな、大手側からではのぉて、寺の背後の金峯山の方から攻め込んでみてはどないかいなぁ、思うんやぁ。あっちの方角は地形が険しいからな、敵側もそれをあてにして、防備を手薄にしとるんちゃうかいなぁ、思うんや。

岩菊丸 というわけでな、このへんの地理に詳しい足軽部隊から150人ほど選抜して、コマンド部隊を結成する。コマンド部隊は夜陰に紛れ、徒歩で金峯山方面から寺に忍び込む。愛染明王宝塔(あいぜんみょうおうほうとう)のへんまで忍び込んだ後、そこで夜明けを待つ。

岩菊丸 夜明けとともに、トキの声をワッと上げる。寺の内の連中らがそれに驚いてアワ食ぅとるトコへ、からめ手と大手からも一気に攻め込む。三方向からの一斉攻撃の結果、めでたく敵陣は落ち、親王を生け捕りにっちゅうのがな、わしの描いたスト-リーや。

さっそく、この地域の地理に詳しい者150人ほどを選んで、コマンド部隊が結成された。岩菊丸の作戦通り、部隊はその日の暮れ時から金峯山中に入り込み、岩を伝い谷を這って、寺に接近していった。

コマンド部隊長 しめた! こっち方面には、敵が一人も配置されとらんやないかい。

コマンド部隊メンバーA なぁんや、あっちこっちの松の枝に、旗結わえ付けとるだけやがな。こないして、虚勢、張っとったんやなぁ。

コマンド部隊メンバーB こないに険しい山やから、わしらが侵入してくるやなんて、あいつら夢にも思ぉとらへんかったんやろうなぁ。

コマンド部隊メンバーC 岩菊丸様のヨミ、見事、当たってたやん。

コマンド部隊100余人は、思うがままに寺の間近に忍び込み、木の下や岩の蔭に弓矢を伏せ、兜を枕にして夜明けを待った。

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一斉攻撃開始の時刻になった。

二階堂道蘊 よぉし、攻撃開始! 行けぇ!

幕府軍一同 オォーッ!

幕府軍サイド5万余は三方より押し寄せ、寺めがけて攻め上っていく。蔵王堂(ざおうどう)の衆徒500人余が、攻め口まで下ってそれを防ぎ止める。双方互いに命おしまず、追い登っては追い落とし、火を散らして戦う。

コマンド部隊長 よぉし、こっちも行くでぇ!

コマンド部隊一同 オォーッ!

金峯山の側から寺に侵入したコマンド部隊150人、愛染明王宝塔から攻め下り、寺の方々に火を放ってトキの声を上げる。

形勢は一変、前と後の双方から押し寄せてこられては、到底防ぎきれるものではない。吉野の衆徒らの陣は一気に崩壊した。こちらで腹をかっ切り、あちらに猛火の中へ走り入って死ぬ者あり、向かう敵に引き組んで、刺しちがえて共に死ぬもあり、みな、思い思いに討死にしていく。大手方面の堀はたちまち死者で埋まり、平地と化してしまった。

さらに、からめ手方面からも、親王軍サイドの虚をついて幕府軍が攻め込んできた。彼らは勝手明神(かってみょうじん)の社(やしろ)の前から、護良親王がたてこもる蔵王堂(ざおうどう)へと迫っていく。

護良親王 もうこうなっては、逃れるすべもないな。よし!

親王は、覚悟を定めて武装を整えた。赤地の錦の鎧直垂(よろいひたたれ:注3)の上に緋色おどしのま新しい鎧を寸分の隙もなく装着する。頭には龍頭(たつがしら)の飾りつきの兜をかぶって緒をしめ、足には白檀(びゃくだん)色に磨きぬいた脛当(すねあて)、脇には3尺5寸の短刀を挟む。

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(訳者注3)鎧の下に着る着物。
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親王に負けず劣らぬ武術手練(注4)のツワモノ20余人が、親王の前後左右を護る。幕府軍サイドの群がり待ち構える中に突入し、東西を払い、南北へ追い廻し、黒煙を立てて切り回る。幕府軍サイドは大兵力を擁しているにもかかわらず、このわずかの小勢に切り立てられ、木の葉が風に散るがごとくに、四方の谷にさぁっと退いていく。

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(訳者注4)大原(京都市・左京区)の三千院(さんぜんいん)に、「護良親王が所持していた長刀」とされているものがあるようだ。残念ながら、それを私はまだ見たことがない。
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幕府軍サイドを撃退した後、護良親王らは、蔵王堂内の広庭に大幕を引きめぐらした中に居並び、最後の酒宴を始めた。

見れば、親王の鎧には矢が7本も突き立っている。頬と二の腕の2か所に突き傷を負い、滝のように血が流れている。しかし、親王は突き立った矢も抜かず、流れる血潮も拭わないまま敷皮の上に立ち、大きな杯で酒3杯を飲み干した。

木寺相模(こでらさがみ)が、4尺3寸の太刀の切っ先に敵の首をさし貫き、親王の前で舞いはじめた。

小寺相模 刀剣を振り回すこと 電光を発するがごとく
     大石巨岩を飛ばすこと 春雨のごとし
     しかしながら 天帝の身にはついに近づけず
     修羅(しゅら)は破れたり

(原文)
戈鋋剣戟(かせんけんげき)をふらす事 電光の如く也
盤石(ばんじゃく)巌(いわお)を飛(とば)す事 春の雨に相(あい)同(おな)じ
然りとは云(い)え共(ども) 天帝(てんてい)の身には近づかで
修羅(しゅら) かれが為に破らる

声高くリズミカルに舞うその様は、漢(かん)と楚(そ)との「鴻門の会(こうもんのかい)」を彷彿とさせる。楚の項伯(こうはく)と項荘(こうそう)が剣を抜いて踊っていたその時、高祖(こうそ)の臣・樊噲(はんかい)が、庭に立ちながら幕を掲げて、楚王・項羽(こうう)を睨み付けたその気迫、まさにかくのごとくであったかと。

大手方面もいよいよ危うくなってきたと見え、両軍のトキの声が相混じって聞こえてくるようになった。

村上義光(むらかみよしてる)が、親王のもとへ走り来た。迫り来る幕府軍に対して、自ら最前線に立って死闘を展開していたと見え、鎧には16本もの矢が。枯れ野に残る冬草が風に伏すがごとくに、それらの矢は折り曲げれらて、鎧につき刺さったままである。

村上義光 殿下! こないなトコで、いったい、ナニしたはりますのん! 大手の方で、一の木戸がふがいなく攻め破られてしもぉたから、わしは二の木戸で敵を食い止めながら、何時間もガンバッテましたんやでぇ! そやのに、こっちの御座所の方角から、ナント、酒盛の歌声が聞こえてくるやないか! いったいぜんたいドナイなっとんねんと、肝冷やして飛んできましたんや!

護良親王 ハハハ、見ての通りや。もう死ぬしかないなぁと思ぉてな、この世の最後の宴をなぁ、ハハハ・・・。

村上義光 ナニ言うてはりまんねん、殿下! そないなコト、言うてる場合ですかぁ! 敵はもう、カサにかかって攻めてきよる、こっちはもう、気力もナンモカモ、失せてしもとる。殿下、もう、この寺はもちません。敵が包囲の網を広げんうちに、さ、早(はよ)ぉ、敵の一角を打ち破ってね、とにかくここから、脱出なされませ!

護良親王 ・・・。

村上義光 後に残って戦うもんが、一人もいいひんようになってしもぉたら、殿下がここを脱出しはった事、敵に感づかれてしまうわな。そないなったら、どこまで行っても、追跡の手が伸びてきますやろ。そやからね、殿下、まことにおそれ多い事ですけどな、殿下がいま着てはるその直垂と鎧をね、わしに下さい。わし、それ着て、殿下になりすましますわ。敵の目をあざむいて、殿下の身代わりに、わし、なりますわ。

護良親王 ナニ言うてんねん! お前も私も、死ぬ時はいっしょや!

村上義光 (声を荒げて)あぁ、ほんまに、あきれて、もぉよぉ言わんわぁ!

護良親王 ・・・。

村上義光 漢の高祖が滎陽(けいよう)で敵に包囲された時、紀信(きしん)は自ら、高祖になりすまして敵の目を欺きたい、と申し出て、高祖はそれを許したでしょうが! それにひきかえ、殿下ときたら・・・。臣下といっしょに死ぬやなんて、そないにチッポケな了見の持ち主が、いったいなんで天下平定なんちゅう、大それた事を思い立たはったんやろうかなぁ、あぁ、情けな!

村上義光 殿下、もうとにかく時間がないんですわ! はよ、その鎧、脱いで脱いで、はよ、はよ!

義光はこう言いながら、親王の上帯を解きにかかった。ついに親王も意を決し、鎧と直垂を脱いで義光に渡した。

護良親王 義光・・・(涙)もしも、生き延びる事ができたらな、お前の菩提は間違いなく私が弔ぉたるからな・・・もし、敵の手にかかるような事になったら、その時は二人いっしょに冥土へ行こな!

村上義光 殿下、さ、はよ、はよ、行ってください!

護良親王 うん!(涙)

護良親王は、涙を流しながら勝手明神の前を過ぎ、南の方へ落ち延びていった。村上義光は二の木戸の櫓に登り、逃げゆく親王の姿をはるかに見送り続けた。

村上義光 (内心)殿下、どうか、ご無事でなぁ・・・。

親王の後ろ姿は、義光の視野から消えていった。

村上義光 よし、これでよし・・・さぁて、いよいよわしの最期の時がきたわ、いぃくでえぇ!

彼は、櫓の矢窓の板を切って落とし、身を顕わにして大音声を張り上げた。

村上義光 おいおい、幕府軍のものどもら、よぉ聞けよぉ! 天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子孫、神武天皇(じんむてんのう)より数えて95代目の帝(みかど)であらせられる天皇陛下の次男、我、護良親王、逆臣の為に滅ぼされ、あの世に行って恨み晴らさんがために、たった今自害する有様を、よぉ見ておけよぉ! おまえたちの武運がたちまち尽きて腹切らんならんようになった時にはな、これを手本にするがえぇ!

義光は、鎧を脱いで櫓から下へ投げ下ろし、錦の鎧直垂と袴姿となり、練り絹の二重袖をはだけた。

村上義光 エェーイ!

美しい白い肌に刀を突き立て、左の脇腹から右の脇腹まで一文字にかっ切った。そして自分の腸をつかみ出して櫓の板に投げつけ、太刀を口にくわえた後、うつぶせに伏して絶命した。

幕府軍メンバー一同 おぉ! 親王が自害したぞ! よし、あの首、オイラが頂き!

四方の囲みを解いて二の木戸めがけて集中してくる幕府側全軍、それと行き違いに寺を脱出する護良親王の一行。このようにして護良親王は、天の河(てんのかわ:奈良県・吉野郡・天川村)へからくも脱出した。

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しかし、なおも護良親王の危機は続く。

南方から回り込んできた岩菊丸軍団500余は、地元に長年住み慣れて地理がよく分かっている者ぞろい、親王の行くてを阻んで全員討ち取とってしまおうと、包囲の輪をグイグイと縮めてきた。

親王と行動を共にするグループの中に、村上義光の子・義隆(よしたか)がいた。その時、彼の脳裡をよぎったのは、つい先ほどの父との別離の際の記憶であった。

村上義光が今まさに自害という時、義隆は父と運命を共にしようと思い、二の木戸の櫓の下へ駆けつけたが、それを見た義光は、一喝。

村上義光 こらぁ! いったいなんでそないなトコ、ウロウロしとるんや!

村上義隆 オレも、いっしょに腹切ります!

村上義光 フザケンナァ!

村上義隆 ・・・。

村上義光 そらぁな、父子の義を全うするのんも、確かに大事な事や。そやけどな、オマエ、時と場合っちゅうもんを、よぉ考えよぉ。今、一番大事な事は、殿下の身をお守りする事やろが! 自分の命を全うして、殿下をきっちりお守りせんかい!

このようなわけで、村上義隆は仕方なく自らの命をしばらく延ばして、親王のお供をしていたのであった。迫り来る岩菊丸軍団を目の当たりにして、

村上義隆 (内心)もう絶体絶命の窮地や。今ここで自分が身ぃ投げ出して敵を防がへんかったら、殿下はとても、逃げおぉせへん。

彼はたった一人で、そこに踏み止まり、

村上義隆 エーイ!

馬 ヒヒヒーーン!

追跡してくる岩菊丸軍団サイドの馬の足をなで切りにしたり、

村上義隆 エヤー!

馬 ギュヒーン!(ドターン!)

馬の前頭部を切り付けて騎手を跳ね落としたりしながら、奮戦する。

このようにして、彼は曲がりくねった細道に立ちふさがり、迫り来る岩菊丸軍団500余の追撃を、1時間ほどそこで食い止めた。

義隆の忠節は石のごとく硬い。しかし、彼とて人間、金鉄で出来た体を持っているわけではない。ついに、岩菊丸軍団に周囲を取り囲まれ、一斉に矢を射掛けられ、10余か所もの傷を負ってしまった。

村上義隆 (内心)どうせ死ぬんやったら、敵の手にかかって死にとぉないわい!

彼は、小竹が一叢(むら)生えた薮の中に走り入り、自らの腹をかっ切って死んでいった。

このようにして、村上父子が自らの命をなげうって敵を防ぐ間に、護良親王は虎口を逃れ、ついに高野山(こうやさん:和歌山県・伊都郡・高野町)へ落ち延びることができたのであった。

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村上義光が親王になりすまして腹を切った事を、幕府軍の大将・二階堂道蘊はついに見破れなかった。その首をとって京都へ送り、六波羅庁に検分させたところ、親王のではない、全く別人のものと判明。その首は獄門に掛けられる事もなく、墓地の苔の下に埋もれてしまった。

二階堂道蘊 (内心)金峯山寺を首尾よく攻め落として、最高の殊勲を達成することはできたが・・・護良親王をとり逃してしまったのが、やっぱし、心残りだ。

彼は、軍を率いて高野山へ押し寄せ、根本大塔(こんぽんだいとう)に陣取って親王の行方を捜索した。

しかし、高野山衆徒らは心を一つにして、護良親王を匿ったので、捜索数日の努力も空しく、二階堂軍は、高野山を引き払い、楠正成(くすのきまさしげ)がたてこもる千剣破城(ちはやじょう)へ向かった。

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