太平記 現代語訳 28-6 足利直義、反撃を開始

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高師直(こうのもろなお)がいよいよ中国地方へ出発というその時、足利直義(あしかがただよし)は、「極秘裏に、直義を暗殺してしまおうとの企てあり」との情報をキャッチした。そこで直義は、我が身を守るがために密かに京都を脱出し、大和国(やまとこく:奈良県)に逃げたのであった。

直義が頼った先は、大和国土着の武士・越智伊賀守(おちいがのかみ)である。

越智は直義を温かく迎え入れ、近隣の郷民たちもこれに合力し、街道を切り塞ぎ、国の四方に関所を設け、二心なく直義を守る態勢を見せた。

翌日には、石塔頼房(いしどうよりふさ)他の、多少なりとも直義に志を通じている旧好(きゅうこう)の人々が、彼の下に馳せ参じてきた。

かくして、足利直義が大和に居る事は、天下周知の事実となった。

直義派メンバーA さてさて、現在の我々の勢力は、いかほど?

直義派メンバーB そうだなぁ・・・地域によって様々、という他ないなぁ。

直義派メンバーC 首都圏、その周囲、我々が優勢な地域もあれば、そうでもない地域もありで・・・。

直義派メンバーD 直義さま、ここはやっぱし、朝廷の威を借りないと、だめでっしょ。

直義派メンバーE 我々の力だけでは、どうにもねぇ・・・。

足利直義 ・・・院か・・・。

直義は、京都へ使者を送り、院との交渉を行った。

「なにとぞ、上皇命令書(注1)を賜りたく!」との直義の願いに、光厳上皇(こうごんじょうこう)からは何の異議も無く、すぐに上皇命令書が下された。さらに思いがけずに、「鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)補任」までもが、そのおまけについてきた。

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(訳者注1)原文では、「院宣(いんぜん)」。
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その任命の言葉にいわく、

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上皇陛下よりの院宣を受け、以下のごとく申し伝えるものなり。

古(いにしえ)の世、聖徳太子(しょうとくたいし)は、物部守屋(もののべのもりや)を誅したまい、朱雀天皇(すざくてんのう)は平将門(たいらのまさかど)を戮(りく)された。これまさに、悪を滅し善を保つ、君主の聖なる処断である。

今ここに、そちが凶悪なる逆徒を退治し、父叔両将(ふしゅくりょうしょう:注2)の鬱念(うつねん)を晴らさんとしておる事、上皇陛下におかせられては、大いにお喜びである。

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(訳者注2)父と叔父、すなわち、尊氏と直義。「凶悪なる逆徒」とは高師直の事を指すのであろう。
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よってここに、そちを鎮守府将軍に任命し、あわせて、左兵衛督(さひょうえのかみ)に任ずるものなり。

速やかに九国二島(きゅうこくにとう:注3)ならびに五畿七道(ごきしちどう)の軍勢を率いて、上洛を企て、天下を守護すべし。

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(訳者注3)九州と2島(壱岐、対馬)
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以上、ここに上皇命令書をもって、上記のごとく執達(しったつ)せしものなり。

観応(かんのう)元年10月25日 権中納言・吉田国俊(よしだくにとし)奉ず

足利左兵衛督殿
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