太平記 現代語訳 24-5 児島高徳、幕府要人の邸宅への夜襲を計画す (付・壬生地蔵の不思議)

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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児島高徳(こじまたかのり)は、脇屋義助(わきやよしすけ)に従って伊予国(いよこく:愛媛県)へ渡ったが、義助の不慮の死の後、備前国(岡山県東部)へ戻り、児島(こじま:岡山県・玉野市)に潜伏していた。

児島高徳 (内心)わしゃぁ、ナニがどうなっても、ゼッタイにあきらめんで! なんとしてでも、打倒足利の本懐(ほんかい)達成じゃぁ!

高徳は、上野国(こうずけこく:群馬県)から、脇屋義助の子・義治(よしはる)を備前に迎え、彼をリーダーに立てて旗挙げしようと、計画を様々に練っていた。

児島高徳 (内心)ふーん・・・丹波国(たんばこく:京都府中部+兵庫県東部)の住人・荻野朝忠(おぎのともただ)が、足利尊氏(あしかがたかうじ)に恨み抱いとるぅ? よぉし、いっちょう、誘いの手ぇ、入れてみるけえのぉ。

高徳は、朝忠のもとに密使を送り、反足利連合軍の結成を持ち掛けた。朝忠は喜んでこの誘いに乗った。

二人そろって備前と丹波両国から、日を定めて兵を起こそうとしていたその矢先、彼らの計画が幕府にリークしてしまった。

さっそく、山名時氏(やまなときうじ)が3,000余騎を率いて丹波へ押し寄せてきた。

時氏は、高山寺(こうさんじ:兵庫県・丹波市)の山麓の2、3里四方に塀を築き、荻野側に対して兵糧攻めをかけた。

荻野朝忠はついにこれに屈し、降伏してしまった。

一方、児島へは、備前、備中(びっちゅう:岡山県西部)、備後(びんご:広島県東部)3か国の守護たちが、5,000余騎を率いて押し寄せてきた。

児島高徳 えぇい、来よったかぁ!

児島家家臣一同 ・・・。

児島高徳 あんな大軍と、ここで戦うてみても、どうしようもないけんのぉ、いっその事、大将の脇屋義治殿といっしょに、海路で、京都へ行ってみようか。京都へ潜り込んでな、足利尊氏(あしかがたかうじ)、足利直義(あしかがただよし)、高(こう)、上杉(うえすぎ)たちに、夜討ちかけてやるんじゃ!

児島家家臣A なるほど。

児島高徳 小人数ではムリじゃけんのぉ、方々に廻文(まわしぶみ)送って、同志を集めんさい!

児島家家臣B あいよ!

諸国へ勧誘をかけた結果、ここかしこに身を側(そば)め、形を変えて潜伏していた親吉野朝サイドの武士たちが、夜を日に継いで、京都付近にたどりついた高徳の下に続々と集まってきた。その総勢1,000余人。

児島高徳 うーん・・・こないな大勢のもんが、一か所に集まっとったんでは、怪しまれるけぇのぉ・・・。

そこでまず、200余騎を、大将・脇屋義治につけて、坂本(さかもと:滋賀県・大津市)に隠し置いた。

次に、300余騎を、宇治(うじ:京都府・宇治市)、醍醐(だいご:京都市・山科区)、真木(まき:大阪府・枚方市)、葛葉(くずは:枚方市)に分散して宿らせた。

さらに、最精鋭の者300人を、京都内や白河(しらかわ:左京区)に散在させた。

このように、全兵力を一個所に集中させないようにしながら、夜襲の準備を着々と整えていった。

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「いよいよ明夜、木幡峠(こわたとうげ:宇治市)に集合の後、4手に分かれて、足利尊氏、足利直義、高、上杉それぞれの館へ夜襲を決行!」と、手はずを決めたその前日、いったいどこからどのようにして情報がリークしてしまったのであろうか、その未明、足利幕府・侍所所司代(さむらいどころしょしだい)・都筑入道が、200余騎を率いて四条壬生(しじょうみぶ:中京区)の宿へ押し寄せてきた。そこには、夜襲の手引きを担当する手練れ(てだれ)の忍びの者たちが、潜伏していたのである。

命知らずの彼らは、押し寄せてきた所司代の軍を見て、速やかに宿の屋根の上へ駆け上がり、矢を射尽した後、全員、腹を掻き破って死んでいった。

「四条壬生に潜伏中の味方勢、全滅!」との報を聞き、方々に潜んでいた児島高徳の同志らもそこから逃げ出して、散りぢりばらばらになってしまった。

夜襲計画が頓挫(とんざ)してしまったので仕方なく、児島高徳は、大将・脇屋義治と共に、信濃国(しなのこく:長野県)へ落ちのびていった。

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四条壬生の宿にいたメンバーのうち、たった一人だけ生き残った者がいた。武蔵国(むさしこく:埼玉県+東京都+神奈川県北部)の住人・香匂高遠(こうわたかとお)である。これがなんと、地蔵菩薩が身代わりになられた結果、命びろいをしたというのだから、まことに不思議な話である。

侍所所司代の手勢が未明に四方より押し寄せ、宿を十重二十重(とえはたえ)に包囲した時、この香匂高遠ただ一人、その包囲をうち破り、壬生寺(みぶでら:中京区)の地蔵堂の中へ走り込んだ。

香匂高遠 (内心)どこかに、隠れる場所は・・・どこかに!

あちらこちらと見まわっていると、寺の僧侶とおぼしき法師が一人、堂の中から出てきた。

法師 そないな格好のままでは、とても逃げおおせへんやろ。さ、早いとこ、その太刀をこっちに渡しなさい。代りにこの念珠、あんたにあげるから。

香匂高遠 (内心)なるほど!

香匂高遠 ありがとうございます! お言葉に甘えて・・・。

高遠は、法師の言葉に従った。

間もなく、所司代方の手勢4、50人ほどが、堂の庭内に乱入してきた。

所司代方リーダーC 門をぜんぶ閉じろ! 境内くまなく探せぇ!

高遠は、念珠を爪繰(つまぐ)りながら、高らかに啓白(けいびゃく:注1)を読む。

香匂高遠 以大神通方便力(いだいじんつうほうべんりき) 勿令堕在諸悪趣(もつりょうだざいあくしゅ)・・・。(注2)

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(訳者注1)開啓、開白(かいびゃく)、表白(ひょうびゃく)とも言う。法会又は修法を開始する時、事を本尊(崇拝対象)に告げもうすこと。(「仏教辞典」大文館書店刊より)。

(訳者注2)以大神通方便力(大いなる神通と方便の力を以って) 勿令堕在諸悪趣(諸悪趣の世界に堕ち在するように令(せしめる)事勿(なか)れ)
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これを見た所司代方の者たちは、

所司代方メンバーD あれは、ここの寺にお参りにきた人間やで。

所司代方メンバーE あぁ、きっとそやろな。

あえて、怪しみ咎めだてしようとする者は一人もいない。

所司代方リーダーC 仏壇の内、天井の上、残らずブチ破って探し出せぇ!

所司代方メンバーD あ、あこの堂の側に立ってるあの法師!

所司代方メンバーE あやしい! 法師のくせに、袖の下に太刀なんか持っとる!

所司代方メンバーF 見てみいな、あの太刀。切っ先に血ぃついてるやんか! ついさっき、なん(何)か切りよったんやで、あれは。

所司代方メンバーD 落人(おちうど)見つけたでぇ! それぇ!

所司代方メンバー3人は法師のもとに走り寄り、その体を宙に打ち揚げて倒し、後ろ手にして肱を曲げた形に縛り上げた。

その後、法師の身柄は侍所へ引き渡され、所司代・都筑入道がこれを受け取り、狭い牢の中に入れた。

翌日、牢の中を見てびっくり。番人は一時も牢から目を離していない、牢の扉も開いてはいない、なのに、中にいるはずの囚人がいない!

担当の者らは慌てて牢の中に駆け込み、囚人が収容されていた跡を調べてみた。

所司代方メンバーG あれぇ・・・えらいえぇ匂い、したるやん。いったいなんや、これ?

所司代方メンバーH インドの牛頭山(ごずさん)で採れるとかいう、最高品種の栴檀(せんだん)香木、あれの匂いにそっくりやわ。

所司代方メンバーI そういうたらな、あの囚人を捕まえよった人間から聞いたんやけどな、囚人の体に左右の手が触れてからっちゅうもん、鎧の草ずりのへんまで、えぇ匂い、しみついてしもたんやてぇ。その匂い、いつまでたっても消えへんねんやてぇ!

所司代方メンバーJ これは、タダゴトではおまへんでぇ!

報告を受けた都筑入道は、再び部下を、壬生の地蔵堂へやった。

地蔵堂の扉を開いた部下が目にしたもの、それは、六道能化(ろくどうのうげ)の本尊・地蔵菩薩像の身体に示された様々の不思議であった。

体の随所に、黒い細線が現れている、まるで、鞭で打たれた跡に残る内出血の黒ずみのように。腕の部分には、衣の上に縄がへばりついていた、まさしく、囚人を縛りあげた縄である。

地蔵菩薩を縛りあげた例の3人は、すすり泣きながら自らの罪を告白懺悔(ざんげ)したが、なおも犯した罪の重さに堪え切れず、たちまち髪を切って出家し、発心修行(ほっしんしゅぎょう)の身となった。

香匂高遠は、地蔵菩薩との順縁によって今生(こんじょう)に命を助かり、この3人は、菩薩との逆縁(注3)によって、来生(らいしょう)での仏との出会いを持つに至った。

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(訳者注3)悪事がかえって仏との結縁のきっかけとなること。
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まことに、み仏の残された金言(きんげん)には、一寸の齟齬(そご)も無し、今世(こんぜ)と後世(ごせ)共に、衆生を救いの岸へと引導されていく、あぁまことに頼もしきは、一切衆生を救済せんとの如来の悲願なるかな。

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