太平記 現代語訳 36-6 細川清氏と佐々木道誉の対立、激化

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「あの大地震(注1)こそは、日本全国に戦乱続出の予兆(よちょう)そのものであったのか!」と、万人が驚愕の渦の中に巻き込まれていた中に、さらに、京都において驚くべき事件が起こった。

なんと、将軍家執事・細川清氏(ほそかわきようじ)、その弟・細川顕和(あきかず)、その養子・仁木頼夏(にっきよりなつ:注2)の3人が京都を去り、足利幕府に敵対する側のメンバーになってしまったのである。

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(訳者注1)36-2 参照。

(訳者注2)35-2 に登場。
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その原因はといえば、またしてもあの名前、「道誉」が。

佐々木道誉(ささきどうよ)と細川清氏の間の怨恨(えんこん)から発した紛争が、ついには、主君・足利義詮(あしかがよしあきら)と臣下・清氏との険悪な対立にまで、発展してしまったのである。

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加賀国(かがこく:石川県南部)の守護職は、建武(けんむ)年間の初めより現在に至るまで、富樫高家(とがしたかいえ)がその地位を独占してきて、ただの一度も、他家のものとなることがなかった。

「足利家に対する軍功は、他に抜きんでたものがある。なおかつ、領国統治の能力においても優秀なり」との評価の下、高家は、その恩賞として加賀国守護の地位を与えられ、富樫家歴代の祖先と同列に扱われてきた。

ところが、彼の死後、加賀の守護職に目をつけた佐々木道誉は、さっそく、政界裏工作を開始、

佐々木道誉 たしかに、富樫高家はりっぱな守護だったよ・・・でもなぁ、後継ぎが問題だなぁ・・・彼の息子、まだ幼いもん・・・加賀の守護なんてぇ任には、とても耐えられないだろぉー。

足利幕府・有力者メンバー一同 ・・・。

佐々木道誉 そこで、だ、加賀の守護は、とりあえずだ、隣国、越前(えちぜん:福井県東部)の斯波氏頼(しばうじより:注3)にやらせとくってセンで、いぃんじゃぁなぁい?

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(訳者注3)斯波高経の子。
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足利幕府・有力者メンバーA (内心)おいおい、待てやぁい。

足利幕府・有力者メンバーB (内心)斯波氏頼だってぇ? 道誉さん、氏頼を婿に迎える政略結婚、もくろんでるってうわさ、あるんだけどぉ・・・。

佐々木道誉のその動きをキャッチした細川清氏は、

細川清氏 なんだってぇ! そんなメチャクチャな事、あってたまるかぁ!

清氏は先手を取って、道誉の動きを完全シャットアウト、執事の職権を行使して富樫高家の子供を後押しし、「なんじに、加賀国守護の職を与えるものなり」旨の将軍任命書(注4)を発行してしまった。

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(訳者注4)原文では、「守護安堵の御教書」。
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佐々木道誉 (内心)フゥン! 清氏め、でしゃばりおってぇ!

これが、佐々木道誉をして、細川清氏に対して、腹に一物持つに至らしめた最初の出来事である。

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備前国(びぜんこく:岡山県東部)・福岡庄(ふくおかしょう:岡山県・瀬戸内市)は、頓宮四郎左衛門尉(とんぐうしろうざえもんのじょう)の領地であった。

四郎左衛門は、一時期、幕府への軍忠を途絶えさせた事があった。その時、幕府は福岡庄を没収し、赤松則祐(あかまつのりすけ)に与えた。

その後、四郎左衛門は、細川清氏の配下となって忠誠をつくしたので、清氏の好意を得ることができた。そして、清氏は、「頓宮四郎左衛門尉を、福岡庄の領主に復帰させる」旨の将軍任命書を発行した。

しかし、佐々木道誉と舅・婿の関係にあった赤松則祐は、道誉の威勢をバックに強気に出て、福岡庄を押え込んだまま、四郎左衛門にひき渡そうとしない。

四郎左衛門は、福岡庄へ一歩も立ち入る事ができず、幕府への上訴の道も完全に閉ざされてしまった。

細川清氏 (内心)ほんとにもう、あの佐々木道誉って人はぁ!

このようにして、細川清氏の対・佐々木道誉・鬱憤が、また一つ増えてしまった。

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それからというもの、清氏と道誉の対立は、エスカレイトの一途。

例の摂津国守護職の件の時にも(注5)、二人は激しく対立した。

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(訳者注5)36-5 参照。
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「摂津国守護職を、なんとかして、孫の秀詮のものに!」と、道誉は、横車を押しまくった。

最終的には、道誉の思惑通りの結果になったのであったが、その際にも、細川清氏は、なに憚る事無く、「摂津国守護は、赤松光範に戻すべきである!」と、機会ある毎に、声高に主張して止まなかった。

そんなこんなで、佐々木道誉の心中には、細川清氏への憤りが充満していた。

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足利義詮(あしかがよしあきら) ねぇ、ねぇ、今、ふと思いついたんだけどさぁ、今年の七夕の夜は、清氏の館へ行ってみようかなぁ。天の川、見上げながら、700番の歌合わせ、なんて、とっても、オツなかんじじゃぁん?

細川清氏 えぇ! 拙宅(せったく)へおこしいただけるんですか! いやぁ、これはまことにありがたいお言葉、えぇ、どうぞ、どうぞ、ぜひとも、おこしくださいませ!

そして、今夜はいよいよ七夕、細川家では、将軍を迎える準備万端、すっかり整った。

細川清氏 えぇっとぉ、何もかもちゃんとやってるよなぁ。忘れてしまってる事、ないだろうなぁ。

細川清氏 (台所に準備された料理を見ながら)豪華なグルメも用意した・・・(控えの間に目をやりながら)招いた歌人・数10人も、全員そろった。

細川清氏 よぉし、じゃ、将軍さまの所へ招待状、出すとしようか・・・これを将軍家へ、な!(使者に招待状を手渡しながら)

使者C (招待状を受け取りながら)ハハ!

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その頃、将軍家では、

足利義詮 なんだってぇ? 道誉さんから、七夕の招待状?

義詮・側近D はい、これでございます(義詮に招待状を手渡す)

足利義詮 ・・・(招待状を開く)。

招待状 パサパサ・・・(開かれる音)

足利義詮 なになに、「今宵七夕の夜、私・佐々木道誉の拙宅にて、抹茶ブレンドテイスト大会を開催予定。自宅内会場には、七所を飾り、7種類のグルメをとりそろえおりまする。大会の賞品は700品にして、テイスト回数は70回。まさに、七夕の夕べにちなんでの七七趣向の「七七づくめ・抹茶ブレンドテイスト大会」への、将軍様のおこしを、今か今かと、お待ち申しあげております」・・・ヘぇー、おもしろいじゃぁん!

足利義詮 さぁすがぁ・・・粋人の道誉さぁん、考えたましたねぇ、七夕の夜の七七づくしかぁ!

足利義詮 歌会は他の日でもできるけど、この「七七づくめ・抹茶ブレンドテイスト大会」ってぇのは、七夕の今夜を外しちゃぁ、ぜったいできないよ。よぉし、道誉さんの方へ行っちゃお!

と、いうわけで、せっかくの細川清氏の心づくしも全て無駄になってしまい、茶道・歌道の専門家たちは、空しく、細川邸から帰っていくしかなかった。

細川清氏 エェイ!

このようなわけで、互いに憤りの念は深まる一方、両人の確執は止む事が無かった。

表面上は何事もないかのように接してはいるが、内心には、憎悪の念が煮えたぎっている。「そのうちいつか、噴火してしまう時がやってくるのでは・・・」と、先が思いやられるような状態が、続いていたのである。

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細川清氏という人は、驕慢(きょうまん)の心深く、その言動は、世間の常識を逸脱するような事が多かった。

しかし、神仏を敬う心は、人一倍深かった。

神に帰服してわが子孫の幸福を祈ろうと思ったのであろうか、あるいは、我が子の烏帽子親(えぼしおや)にふさわしい人間など、この世には一人たりとも存在せず、と思っていたのであろうか、9歳と7歳になった二人の我が子の元服の儀式を、なんと、あの男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう:京都府・八幡市)で行い、「二人の烏帽子親は、八幡大菩薩様である!」と、声高らかに宣言、兄の方を「八幡六郎」、弟の方を「八幡八郎」と名づけた。

この一件は、あっという間に、世間の多くの人の知る所となり、将軍・義詮の耳にも入った。

足利義詮 それにしても、清氏、だいそれた事、やったもんだなぁ・・・あれって、まるっきし、我が家のご先祖の頼義(よりよし)様が行われた事、そのまんまじゃぁん・・・ほら、あれだよ、あれ、三人の息子を、八幡太郎(はちまんたろう)、賀茂次郎(かものじろう)、新羅三郎(しんらさぶろう)って名づけられた、例のあれ。(注6)

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(訳者注6)源頼義は、三人の息子をそれぞれ、男山八幡宮、賀茂神社、園城寺新羅明神社で元服させた。
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足利義詮 清氏、もしかして、天下を奪おうってな野心、心中に秘めてるんじゃぁ・・・いやいや、まさかなぁ・・・。

清氏のこの言動は、自身の真意とは全く異なる心象を、義詮に与えてしまったのである。

これを聞いて、道誉は、

佐々木道誉 (内心)ウッシッシッシ・・・にっくき清氏め、みごとなミステイクを、イッパツやらかしてくれたもんだ(眼ギラギラ)。(注7)

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(訳者注7)原文では、「佐渡判官入道道誉是を聞て、すはや憎しと思ふ相模守が過失は、一出来にけるはと独笑して、薮にめくはせ([目]+[旬])し居たる處に」。「薮にめくはせ」の意味がよく分からないまま、「眼ギラギラ」としておいた。
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そのような折しも、鎌倉から上京してきた志一上人(しいちしょうにん)が、道誉を訪ねてきた。

志一は、外法(げほう:注8)をも会得していた。

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(訳者注8)仏教の正式修行の範疇には含まれていないような祈祷。
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よもやまの世間話がはずんでいる最中に、

佐々木道誉 それにしても、都へはほんと、久々のご帰還ですなぁ。

志一 そうですなぁ、京都を出てからもう、だいぶたちましたわ。

佐々木道誉 長い間、京都から離れておられたから、もしかして、経済的に大変なんじゃぁ? 誰か、檀家になってくれた人います? 祈祷を依頼してくれる人なんか、います?

志一 いやいや、まさにそれですねん、問題は。大した檀家もなかなかできひんもんやから、ほんま、なんぎしとりますねん。こないな事では、都にも長居できひんのんちゃうかいなぁと、もう、ほんま、弱気になってきとりましてなぁ・・・祈祷の依頼なんか、細川清氏殿から来たぁる、ほんの一件だけだっせぇ。

佐々木道誉 ほう、細川殿が・・・。

志一 はい・・・先方様が言われるには、「この一両日先に、重大な所願がありますから、速やかにそれが成就するように、祈祷してください」てな事、言うてきてはりましてなぁ。願書を一通封じて、祈願のおてんくに10万文そえて、おくってきてくれはりましてん。

佐々木道誉 ほぉ・・・そりゃまたいったい、何の所願ですかねぇ。

志一 はぁ・・・。

佐々木道誉 志一殿、ひとつ、その願書とやら、わしにちょっとだけ見せて下さらんか。

志一 エェッ! そないな事、できまっかいなぁ! 私、宗教家ですよぉ、守秘義務っちゅうもんがありまんがな。

佐々木道誉 まぁまぁ、そんなかたい事を言わずにぃ・・・ちょっと、ここで見るだけじゃぁないかぁ!

志一 いやぁ、そないな事、言われても・・・。

佐々木道誉 いや、そこをなんとか!

志一 エーッ・・・。

佐々木道誉 志一殿! 頼む、頼むから!

志一 ウーン・・・。

志一 (内心)あーあ、よけいな事しゃべってもたぁ、うかつやったなぁ・・・。この人、幕府の実力者やしなぁ・・・ここで逆らぉたら、なにされるかわからへん。

志一 分かりました、ちょっと待ってくださいや、今、その願書、宿所から取り寄せまっから。

やがて、問題の願書が届けられた。

志一 これですわ。(願書を道誉に渡す)

佐々木道誉 はいはい。(願書を受け取り、それを懐へ入れて立上る)

志一 あのぉ!

佐々木道誉 今日は、ちょっと急用がありましてな、これからすぐに、出かけなきゃなんない。この願書、じっくり拝見してから、お返ししますから。また明日、ここへおこしくださいな。

志一上人 あ、あ、あ・・・。

佐々木道誉 じゃぁーにぃー!(背後の門から出て行く)

志一上人 あ、あ・・・。

なすすべもなく、志一は宿所へ帰って行った。

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翌日、佐々木道誉は、足利幕府・政所奉行(まんどころぶぎょう)・伊勢貞継(いせさだつぐ)のもとへ、その願書を持参して、

佐々木道誉 (懐から願書を取り出し)見てよ、これ!

伊勢貞継 えっ?・・・いったいなんですか、それ?

佐々木道誉 陰謀だよ、陰謀!(願書を2回、つまはじく)

願書 ピン!ピン!(はじかれる音)

伊勢貞継 陰謀?

佐々木道誉 呪詛(じゅそ)だよ、呪詛!(右手で願書を持ち、左掌に2回叩き付ける)

願書 バァン!バァン!(叩き付けられる音)

伊勢貞継 エェーッ、呪詛ぉ?!

佐々木道誉 そうだよ、呪詛、呪詛! 対象はなんと、将軍様! 呪詛の依頼願書だよぉーん。

伊勢貞継 エェーッ・・・いったい誰が、こんなものを?

佐々木道誉 決まってるじゃぁないのぉ、細川清氏だよぉーん! 細川が志一に言いつけて、将軍を呪詛し奉ろうとしてるんだなぁー。

伊勢貞継 エェーッ、まさかぁ!

佐々木道誉 なに言ってんだ、ここ見ろ!(願書の一点を指さす) やつの自筆自印、あるだろ!

伊勢貞継 (願書に目を凝らしながら)・・・あ・・・り・・・ますねぇ・・・。

佐々木道誉 証拠十分だろ? なんら、疑いをさし挟む余地無しじゃないの! ね、あんた! 至急、これ持参して、将軍様のお目にかけてよ! ね! ね!(願書を、伊勢貞継に手渡す)

伊勢貞継 ・・・。(願書を受け取り、開く)

願書の内容は、以下のようなものであった。

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 敬白(うやまってもうす) 荼枳尼天(だきにてん:注9)・宝前(ほうぜん)

 一つ 清氏、日本全土を領し、その子孫、末永く栄華に誇る事
 一つ 宰相中将(さいしょうちゅうじょう)・義詮朝臣(あそん)、たちまちに、病患(びょうげん)を受けて死去せらるべき事
 一つ 左馬頭(さまのかみ)・基氏(もとうじ)、武威を失い、人望に背き、我が軍門に降らるるべき事

 前記三ヶ条の所願、一々成就せしめば、我、末永く、荼枳尼天様の檀家となりて、真俗の繁盛を専らにすべし。
 
 祈願の状、件(くだん)のごとし

 康安元年9月3日 相模守清氏
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(訳者注9)仏教の神。「荼枳尼」は、サンスクリット語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したものである。
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願書の裏には、清氏の花押印がサインされている。

伊勢貞継 (眉をひそめ)ハァー・・・(溜息)。

佐々木道誉 ・・・。

伊勢貞継 ハァー・・・(溜息)。

佐々木道誉 ・・・。

伊勢貞継 ハァー・・・(溜息)。

伊勢貞継 ま、とりあえず、これは、お預かりさせていただきます。

佐々木道誉 早いとこ、将軍様に見せなきゃだめよぉ!

伊勢貞継 はいはい・・・ハァー(溜息)・・・。

道誉が帰った後、貞継は、じっと考え込んでしまった。

伊勢貞継 (内心)筆跡は誰のものかは分からんが、花押はたしかに、細川殿のものにまちがいない。これはすぐに、将軍様のお目に入れないと、いかんよなぁ。

伊勢貞継 (内心)でもなぁ、こんなもの、将軍様に見せちゃったら、細川殿、そく死刑になってしまうだろうなぁ。

伊勢貞継 (内心)だいたい、こういった話には、陰謀がらみのものが多いんだよ・・・そうだよ、あわてちゃぁいかん、あわてちゃぁいかんのだよ、もうちょっと、じっくり考えてからにしよう。

というわけで、貞継は、その願書を、箱の底深く秘匿した。

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そのような中、足利義詮が急病になってしまった。

祈祷(きとう)の効験あらたかな高僧を呼んで、病気平癒(びょうきへいゆ)の加持(かじ)をさせたが、一向によくならず、頭痛は日を追って強まるばかり。

それを聞いた佐々木道誉は、

佐々木道誉 (内心)よぉし、チャンス!

道誉は、義詮のもとへ見舞いに行った。

佐々木道誉 将軍様、おかげんはいかが! どうですか、大丈夫ですか!

足利義詮 うーん・・・どうもいかん・・・頭がぁ・・・。

佐々木道誉 やっぱしねぇ、あれが原因だな、やっぱし・・・。

足利義詮 あれって?

佐々木道誉 例の願書ですよ、願書。ご覧になりましたでしょ?

足利義詮 えっ・・・願書?・・・いったいなんのこと?

佐々木道誉 ほら、あのぉ、細川清氏の願書ですよぉ・・・貞継が、ご覧に入れませんでしたぁ?

足利義詮 えーっ・・・なんのことだかサッパリ・・・あぁ、頭痛い、ただでさえ頭痛いのにさぁ、そんな、へんな事言って、悩ませないでよぉ、頼むからさぁ・・・ウウウ・・・。

佐々木道誉 さては貞継めぇ、将軍様がご病気だもんで、遠慮してまだ見せてないんですな。おぉい、すぐに、伊勢貞継をここへ!

義詮・側近E ハハッ!

というわけで、ついに、例の願書が足利義詮の知るところとなってしまった。

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数日後、義詮は健康を回復した。

それ以来、義詮は、道誉の言い分をすっかり信じこんでしまった。

足利義詮 (内心)道誉さんが言ってた事、真実だったんだ・・・清氏め、私を呪詛してたんだなぁ。

さらに数日後、

足利義詮 (内心)うっ!・・・清氏め、まさか、呪詛の願書を男山八幡宮に出したりしてないだろうな。

内々に神官を召して、問いただしてみたところ、

男山八幡宮・神官 はい、細川殿から願書をお預かりしとります。神馬(じんめ)といっしょに送られてきましたので、そく、神殿に奉納しました。

足利義詮 それ、取り出して、ここへ持ってこい。ちょっと不審に思うこと、あるから。

神官は、急ぎ八幡宮に帰り、願書を持ってきた。

足利義詮 ・・・。(願書を開く)

願書 パサパサ・・・。(開かれる音)

足利義詮 (内心)やっぱし! 「将軍の命を奪い、自分が最高権力者の地位につけるように」ってな発願(ほつがん)、書いてあるじゃん!

足利義詮 (内心)これで、容疑は固まったなぁ。

足利義詮 (内心)ハッハァーン・・・分かったぞぉ・・・国清(くにきよ:注10)だなぁ、志一を上洛させたのは!

足利義詮 (内心)国清め、思い上がりおって・・・清氏と手を結んで、京都と関東を我が物としようって魂胆(こんたん)かぁ。。

足利義詮 (内心)その為に、まずは、私に対する呪詛の祈祷をやらせなきゃぁってんで、国清の推薦で、志一が選ばれたってわけかぁ、なぁるほど。

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(訳者注10)畠山国清。
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それ以来、義詮の頭の中は、「細川清氏・対策」でいっぱいになってしまった。

「どうしたら、清氏を討伐できるだろうか、こうすべきか、ああすべきか」と、ただひたすら、佐々木道誉のみを相手に密談にふけり、案じ煩(わずら)う毎日である。

そのような中、道誉は突然、「病気になってしまったので、ちょっくら、湯治(とうじ)にいってきます」と称し、京都を離れて、有馬温泉(ありまおんせん:兵庫県・神戸市)に行ってしまった。

4、5日後、大勢の人間を引き連れて、細川清氏が館を出た。「仏事の為に、これから天龍寺(てんりゅうじ:右京区)へ参拝」とは言いながらも、その様は実に異様なものであった。

足利義詮 (内心)清氏の天龍寺参拝、完全武装300余騎、率いてなんだって・・・仏事に行くのに、いったいなんで、そんなタイソウな武装集団?

足利義詮 (内心)さては、私が道誉さんとこっそり相談してるの、清氏め、早くも感づいたか。こりゃヤバイ、きっと、こっちへ押し寄せてくるぞぉ。

足利義詮 (内心)京都中心部で迎撃ってセンは、こんな小勢じゃぁとてもむり。要害にたてこもって、防ぐべきだろうな。

9月21日夜半、義詮は館を出て、今熊野(いまくまの:東山区)にたてこもった。

東福寺(とうふくじ:東山区)の一の橋を引き落とし、方々に垣盾(かいだて)を立て、車を引きならべ、逆茂木(さかもぎ)や陣屋門(じんやもん)でびっしりと陣をかため、細川軍の来襲を、今か今かと待ち続けた。

今川範氏(いまがわのりうじ)、宇都宮三河入道(うつのみやみかわにゅうどう)以下のメンバーらも、続々とそこに参集してきた。

急な事ゆえ、いったい何のための集合なのか、はっきり聞いている者は非常に少ない。わけも分からないままに、武士たちは、東西に馳せ違い、今熊野付近の貴賎の人々は、ただただ四方に逃げまどうばかりである。

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天龍寺に滞在中の細川清氏は、京都でのこの一大異変の知らせを聞いて、

細川清氏 なんだってぇ? 京都で大騒動? 将軍様が今熊野にたてこもったぁ? いったいなんでまた、こんな時に? ハハハ、そんなの、デマだよ、デマ。

しかし、徐々に情報が集積してくるにつれ、その表情はみるみる、険しくなっていった。

細川清氏 なにぃ、おれが謀反?! いったいぜんたい、どこの誰が、そんなたちの悪い情報、流してんだぁ?!

清氏は、300余騎を率い、天龍寺から自宅へ駆け戻った。そしてすぐに、弟の僧侶・愈侍者(ゆじしゃ)を、今熊野の義詮のもとへ送り、弁明させた。

義詮・側近E ・・・。

愈侍者 どうか、どうか、将軍様にお伝えくださいませ、「洛中に騒動発生」と聞き、わけも分からないまま、兄は急ぎ、将軍さまのもとへと、馳せ参じてまいりました、と。

義詮・側近E ・・・。

愈侍者 ところがなんと、その騒動の原因が、他ならぬ自分であったとは・・・兄はもう、ただただ、びっくり仰天、呆然自失(ぼうぜんじしつ)でございますよ。

愈侍者 いったい兄に、何の罪があるというのですか!

愈侍者 兄は無実です! いいかげんな讒言(ざんげん)によって、もしも兄が死罪を賜るような事にでもなれば、もう、天下のご政道は大混乱、敵の嘲る所となる事、この上無しでしょうに!

愈侍者 兄は、こう申しております、「しばらくのご猶予を下さり、よくよくご調査された上で、有罪か無罪かを決めてくださる、というのであれば、喜んで、頭を延べて将軍様の軍門に参じたい」と。

しかし、愈侍者の必死の訴えも空しかった。

義詮・側近E とにかく一度、将軍様にお目通り願って、直々(じきじき)に弁明したいと、言ってきておりますが。いかがいたしましょう? お会いなさいますか?

足利義詮 ダメェ! 会わなぁい!

義詮・側近E ・・・。

足利義詮 清氏の以前からの陰謀、もう明白に、露見しちゃってんだもんな。

義詮・側近E ・・・。

足利義詮 もう結論、出ちゃってんだ。会わないよ!

義詮との対面もかなわず、一言の返事ももらえないとあって、愈侍者は、もうガックリ。なすすべもなく、悄然と細川邸へ帰ってきた。

愈侍者 ・・・と、いうわけで・・・まったく、とりあおうともしてくださいませんよ。

細川清氏 そっかぁ・・・。

愈侍者 ・・・。

細川家・メンバー一同 ・・・。

細川清氏 もうこうなったら、何をどう言い開きしても、無駄だなぁ、ハァー(溜息)。

細川家・メンバー一同 ・・・。

細川清氏 今頃もう、討手を差し向けておられるんだろうな・・・よぉし、一矢射てから、腹切るぞ!

細川家・メンバー一同 オゥ!

清氏をはじめ、弟・細川頼和(よりかず)、細川家氏(いえうじ)、細川将氏(まさうじ)、猶子(ゆうし)・仁木頼夏(にっきよりなつ)、従兄弟の細川氏春(うじはる)ら6人は、館の中門の側に集まり、鎧をひしひしとかため、旗棹(はたざお)を取り出し、馬の腹帯(はらおび)をかためさせた。

譜代の家臣たち、新参の郎従たちも、「我らの殿、大ピンチ!」との知らせを聞き、京都中のあちらこちらから馳せ参じてきた。その結果、細川集団は、総勢700余騎もの一大勢力となった。

今熊野の義詮の側には、500余騎が参集していた。

義詮陣営・メンバーF 細川なんて、チョロイ、チョロォイ!

義詮陣営・メンバーG あっという間に、かたづけてやるぜぃ!

義詮陣営・メンバーH 将軍様、おれに討手軍のリーダー、やらしてくんねぇかなぁ。

義詮陣営・メンバーI 早く、出陣してぇよぉ。

このように、集まった当初は、気勢が大いに上がっていたのだが、時間の経過と共に、情勢は一変、

義詮陣営・メンバーF (小声で)おい、聞いたか、あっちの兵力。

義詮陣営・メンバー一同 ・・・。(じっと耳をすませる)

義詮陣営・メンバーF (小声で)700だってよ、700。

義詮陣営・メンバーG (小声で)エッ・・・なな・・・ひゃく?

義詮陣営・メンバー一同 ・・・。(顔を曇らせる)

意気消沈してしまった義詮陣営メンバーらは、三々五々、こちらの僧坊の中へ、あちらの民家の中へと引きこもり、うんともすんとも言わなくなってしまった。

義詮陣営・メンバー一同 (あちらこちら、キョキョロ、東山方向を見やりながら)(内心)えぇっとぉ・・・あっちから攻めてこられたら、そっち方向へ逃げるのがいいな・・・こっちから攻めてこられたら、あの道を通って逃げるとするか・・・。

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義詮から差し向けられた討伐軍が今にもやってくるかと、細川清氏は兜の緒をしめたまま、まる2日間、じっと待ち続けたが、

細川清氏 来ないねぇ・・・。

細川家・メンバー一同 ・・・。

細川清氏 こんなぐあいに、洛中に兵を集めて臨戦態勢かためてるってのも、あんまし、褒められたもんじゃないよなぁ。

細川家・メンバー一同 ・・・。

細川清氏 まずは、この陣を解いて、京都を出よう。それから、もう一度、弁明してみよう。

細川家・メンバー一同 (うなづく)

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9月23日早朝、清氏らは、若狭(わかさ:福井県西部)を目指し、京都を離れた。仁木頼夏と細川家氏二人だけが、京都に残留した。

道中、清氏に従って共に若狭を目指す人々の数は、徐々に減じていった。

「細川清氏、若狭へ」との情報をキャッチした、京都近郊を地盤としている細川家の郎等たちは、「我ら、非力にして小兵力といえども、何とかして、殿の力に!」との志の下、清氏のもとへ、馬を駆った。

清氏たちと合流した彼らは、口々に訴えた。

細川家・郎等J 殿、いったいなんで、若狭へなんか、逃げはりますねん?

細川家・郎等K 将軍側、わずか500騎足らずやと、聞いてまっせぇ。

細川家・郎等L 兵力面で言うたら、殿の方が、圧倒的優勢ですやんかぁ。

細川家・郎等M わからんなぁ・・・いったいなんで、京都から逃げ出さんならん?

細川清氏 (馬を止めて)あのなぁ。

細川清氏 もしも、このおれがだなぁ、将軍様に対して戦争しかけれるような身分だったらなぁ、そりゃもう、とっくの昔に、やらかしてたわさ。

細川清氏 あんな、臆病もんの寄せ集め集団4、500騎、ワナワナビクビク連中をだなぁ、このおれが、ものの数とも思うかってぇ!

細川清氏 だけどなぁ、人間、「君臣の道」ってもんが、あるんだよぉ。絶対に、違えちゃいけないんだ、この道はなぁ。死んでも、踏み外しちゃぁいけないんだ、この道は。

細川清氏 下のもんが上の人に逆らう、なんて事、絶対にあっちゃぁ、いけないんだ!

細川清氏 そう思うからこそな、こうやって、いったんは京都を離れてだ、あらためて、身の潔白を弁じようとしてるんじゃぁないか。

細川家・郎等一同 (うつむく)・・・。

細川清氏 でもなぁ・・・こんな、なさけない姿を、世間の人に見せつける事になるとはなぁ・・・悲しい・・・おれ、ほんと、悲しいよぉ。

細川清氏 不肖の身としか言いようのない、こんなおれだけど・・・まぁ、いいさ、罪無くして討たれてもな・・・それで何か、世の中の為になるってんなら、わが命、惜しくはない、おれはぁ。

細川清氏 でもな、人を讒言するやつが、政治をどんどん乱していく、将軍が天下の政権を失ってしまわれる、草葉の陰で、そんな事を見聞きするような事になる・・・ほんと、かなしいなぁ。(涙)

清氏と行を共にする人々一同 ・・・。(涙)

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千本(せんぼん:注11)を過ぎ、長坂(ながさか:北区)へさしかかった所で、清氏は、弟・将氏と従兄弟・氏春を側に呼び寄せて、

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(訳者注11)北区・北野天満宮の東北のあたり
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細川清氏 おまえたちとおれは、兄弟骨肉(きょうだいこつにく)、切っても切れない縁・・・おれの運命を、とことん最後まで見届けてやろうと、ここまでついてきてくれたんだよなぁ。

細川将氏 ・・・。

細川氏春 ・・・。

細川清氏 おまえらのその志、1,000個、いや、10,000個の宝玉よりも、ズッシリ重い、一染・二染の紅色よりも、もっと深い。

細川将氏 ・・・。

細川氏春 ・・・。

細川清氏 でもなぁ、今や、おれは、心ねじけたやつの讒言におとしめられ、思いもよらない刑に沈められちゃったよ・・・もう、おれには、何の力も無い。

細川清氏 おまえら二人は、何も讒言されてないよな、将軍から嫌疑をかけられてるわけでもない。なのに、将軍から何のお沙汰もないまま、おれといっしょに京都を出て、あげくに、行く先の道中に屍を曝す、そんな事になっちゃぁ、後々、いろいろと問題も多いよな。

細川清氏 だからな、早いとこ、こっから引き返してな、将軍のもとへ帰参しろ。

細川将氏 ・・・(涙)。

細川氏春 ・・・(涙)。

細川清氏 将軍のとこ行ってな、おれの無実の申し開きしてくれ! 細川家を絶やさないように、うまくやってくれ! 頼む!

細川清氏 それで、おれは助かるんだ、おまえらの身も、それで立つ、これしか、ない!(涙)

細川将氏 ・・・。(涙)

細川氏春 ・・・。(涙)

細川将氏 う、う、う・・・。(涙)

細川氏春 うっ、うっ・・・。(涙)

細川清氏 ・・・。(涙)

細川将氏 ・・・。(涙)

細川氏春 ・・・。(涙)

細川清氏 ・・・。(涙)

細川将氏 そんな、かなしい事、言ってくれるなよぉ!(涙)

細川氏春 そうだよ! たとえ、ここから引き返してみたところでな、どうにもなりゃしないわさぁ。だってさぁ、他人の事を讒言しまくる、いやぁな例の野郎が、将軍の側にいやがるんだよぉ。もう、頼りになる人、誰もいないんだもん、いつまで生きてられるかってぇ。(涙)

細川将氏 そうだよ、そうだよ、将軍からは警戒され、みんなからは後ろ指さされ・・・そんな事になっちまったら、恥じの上塗り、するようなもんじゃん。

細川氏春 おれは、あにきといっしょに、どこまでも行く!

細川将氏 おれも! あんたの運命を、最後まで見届ける、それだけのことだい!

このように、二人は再三、清氏との同行を願ったが、

細川清氏 そう言ってくれる、おまえらの気持ち、とっても嬉しいよ。けどなぁ、おまえらが、おれにどこまでもついてきたら、世間の人、いったいどう思う? 「やっぱし、清氏、将軍への謀反、たくらんでたんだぁ」って、思われちゃうだろ? そうなったら、おれは、ほんと、無念だ。

細川清氏 心底(しんそこ)、おれを助けたいと思うんだったらな、ここから引き返して投降しろ。で、後日、音信を知らせてくれ! な、わかったな、わかったな!

細川将氏 ・・・。(涙)

細川氏春 ・・・。(涙)

細川清氏 ・・・(涙)な・・・頼むよ、頼むから、わかってくれ、わかってくれよ! おれの言う通りに、してくれぇーっ!

細川将氏 ・・・わかったよぉ。(涙)

細川氏春 ・・・そこまで言うんだったら、とにかく、言う通りにするよぉ。(涙)

細川清氏 よぉし、よく言ってくれたぁ!(涙)

細川将氏 う、う、う・・・。(涙)

細川氏春 う、う、う・・・。(涙)

二人は、泣く泣く清氏と別れ、自分の館へ帰っていった。

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「合戦になったら、都は焼け野原になってまうでぇ!」と、京都中、上下万人みな、パニック状態になっていた。

しかし、大方の予想に反し、細川清氏は何の抵抗をする事もなく、京都から去ってしまったので、9月24日、義詮は、今熊野から館へ戻った。

清氏の息がかかっていた者たちは、続々と、館を逃げ出し、身をやつして、京都から脱出していった。

あぁ、哀れなるかな、昨日までの楽しみも、今日、一片の夢と消えてしまった。有為転変(ういてんぺん)は世のならい、今に始まった事ではないが、それにしても、人間の運命とは、まことに不可思議にして予測不可能なものである。(注12)

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(訳者注12)原文では、「何しか相州被官の者共、宿所を替身を隠たる有様、昨日の楽今日の夢と哀也。有為転変の世の習、今に始ぬ事なれ共、不思議なりし事ども也。」
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