太平記 現代語訳 33-2 石清水八幡宮において、決定的神託、下る

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都攻撃の陣を引き払って撤退してきた、足利直冬(あしかがただふゆ)陣営側の兵力は、ざっと5万余騎であった。

直冬陣営リーダーA これだけの兵力がありゃぁ、まだまだ、戦えるよなぁ。

直冬陣営リーダーB そうだよ! それにさぁ、これからも続々と、援軍やってくるって情報、入ってきてんだからぁ! 伊賀(いが:三重県西部)、伊勢(いせ:三重県中部)、和泉(いずみ:大阪府南西部)、紀伊(きい:和歌山県)から、続々とね。

直冬陣営リーダーC せっかく集まったこの軍勢を、バラバラにしてしまったんじゃぁ、非常にもったいない。このままの編成で、もう一戦やるべきだ。

直冬陣営リーダーD うーん・・・でもねぇ。

直冬陣営リーダーE 京都に、あそこまで攻め入りながらさぁ、結局、ああいう結果になっちまっただろ? 再度、戦うにしてもだ、タイミングってぇもんが、あるんじゃぁなぁい?

リーダーたちの意見は、まちまちであった。

直冬陣営リーダーA どうします? 直冬様・・・。

足利直冬 そうだなぁ・・・再び戦うべきか否か・・・うーん・・・。

直冬陣営リーダー一同 ・・・。

足利直冬 (ハァー・・・溜息)どうもこれは、我々のようなタダの人間が、いくら考えてみたって、分かりっこないからな、どうだい、ここは一つ、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)様に、お伺(うかが)いを立ててみようじゃないか。

直冬陣営リーダー一同 ・・・。

足利直冬 八幡様の神殿の前で、お神楽(かぐら)を奏したてまつって、神様の託宣(たくせん)を聞かせていただこう。それでもって、戦の吉凶を教えていただこうや。

というわけで、直冬とリーダーたち全員は、岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう:京都府・八幡市)へお参りした。

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彼らは、神殿の前に様々の奉幣(ほうへい)を奉り、供物(くもつ)を上納してその場に座し、神のお告げが下るのを、じっと待った。

足利直冬 (内心)ドキドキドキドキ・・・。

リーダーたち一同 (内心)ドキドキドキドキ・・・。

更け行く夜の月光の下、神官の打つ鼓(つづみ)の音と、巫女(みこ)が袖振る鈴の音が、シンシンと響きわたる。やがて下されるであろう神託を待ちうけて、全員、一心に祈りを傾注(けいちゅう)する。

巫女 うー・・・オホン、オホン・・・偉大なる八幡大菩薩様を仰ぎ奉(たてまつ)り、ここに足利直冬、切なる祈願を込め、深尽微妙(じんじんみみょう)の御神託を下さるべく、乞い願いたてまつるものなり。なにとぞ、凡夫(ぼんぷ)の我を憐れみ給うて、ご擁護(ようご)の御手(みて)を差し伸べたまわんことを。

巫女 おうかがいしたき儀は、戦の事にて、そぉろぉ。我ら、再び兵を結集して、王城(おうじょう)の地を攻めるべきや否やぁ?

巫女 三千世界を一望に見そなわしたもう八幡大菩薩様の偉大なる通力を下したまいて、右の件につき、我らに教えたまわん事をーーっ・・・たまわん事をーーっ・・・たまわん事をーーっ・・・うーっ、うーっ、うーっ・・・アアアアァァァ・・・。

巫女 (形相一変)アアアアァァァ・・・ウウウウウウ・・・・。

足利直冬とリーダーたち一同 (かたずをのんで、巫女を凝視)・・・。

巫女 タァ・・・タァ・・・タラ・・・チネ・・・

巫女 タラチネノ オヤマヲマモル カミナレバ コノタムケヲバ ウクルモノカワ(注1)

巫女 タラチネノ オヤマヲマモル カミナレバ コノタムケヲバ ウクルモノカワ

巫女 タラチネノォ オヤマヲマモル カミナレバァ・・・コノタムケヲバ ウクルモノカワァ・・・ウウウウ・・・

巫女 ウウウウ・・・アッ! アッ!アッ!(ドタッ 倒れ伏す)

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(訳者注1)原文では、「タラチネノ親ヲ守リノ神ナレバ此手向ヲバ受ル物カハ」だが、[日本古典文学大系36 太平記三 後藤丹治 岡見正雄 校注 岩波書店]の注記を参考にして、「たらちねの 男山(おやま)を守る 神なれば この手向けをば 受くるものかわ」という事にしておいた。「男山」は岩清水八幡宮のある山の名。「たらちね」は「親」にかかる枕言葉。
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足利直冬とリーダーたち一同 ・・・。

そして、神霊は巫女から離脱した。

直冬陣営リーダーF (内心)オヤマ(男山)ヲマモル カミナレバ・・・なるほどなぁ、ここの神様は、「おや(親)を守る神」ってわけか。

直冬陣営リーダーG (内心)コノタムケヲバ ウクルモノカワ・・・なんてったって、尊氏様は、直冬殿の実の親なんだもんなぁ・・・そうだよなぁ、親を守る神様なんだもん、父親に対して弓引く人の手向けなんか、受け取られるはず、ないよなぁ。

直冬陣営リーダーH (内心)こりゃぁ、いかんわねぇ。

直冬陣営リーダーI (内心)八幡の神様、わしらには、力、貸して下さらんとよ。

直冬陣営リーダーJ (内心)あーあ、しょせん、ムリな戦だったというわけか・・・直冬様を大将に頂いてる限りは、将軍様といくら戦ってみても、勝ち目、ないんだぁ。

というわけで、東山道、北陸道からやってきた武士たちは、馬にムチを当てて自らの本拠地へ引き上げてしまい、山陰勢、九州勢も、船に帆を揚げて逃げ帰ってしまった。

戦の法則は厳然としている。戦闘を実際に行うのは士卒ではあるが、勝敗を決するのは大将である。

ゆえに、古代中国・周(しゅう)王朝・武王(ぶおう)は、父・文王(ぶんのう)の位牌(いはい)を作り、それを戦車に載せて戦場に臨み、殷(いん)王朝を倒した。漢(かん)王朝の高祖(こうそ)も義帝(ぎてい)を尊んでその命の下に、秦(しん)王朝を滅ぼした。これは、古い時代の歴史書に記されている、万人周知の事実である。

「子が父を攻める」・・・まったくもって、足利直冬は、なんというけしからぬ事をしたのであろう・・・このような行為を、天が許すはずがあろうか。かつて、遊和軒朴翁(ゆうわけんはくおう)がインドと中国の事例をもとに、「今度の戦、吉野朝廷側は、勝利を得がたし」と、眉をひそめて予言したのも(注2)、まことに真理をついていたと、今まさに、思い知られされるのである。

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(訳者注2)32-6 参照。
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東寺から直冬らが退いた翌日、門前に、落書が二、三、立てられた。その内容を以下に紹介しよう。

 苦労して 九重重ね(きゅうじゅうがさね)の 石の堂 取(と)り建(た)てた思(おも)ぉたら またコケてもたわ

 (原文)兔(と)に角(かく)に 取立(とりたて)にける 石堂(いしどう)も 九重(くじゅう)よりして 又(また)落(おち)にけり(注3)

 深い海 高い山名(やまな)と 頼むなよ 前にも同じ事 した人や言うやん

 (原文)深き海 高き山名と 頼(たのむ)なよ 昔もさりし 人とこそきけ(注4)

 唐橋(からはし)や 塩小路(しおこうじ)らへんが 焼けたんは 桃井(もものい)はんが 鬼味噌(おにみそ)摺(す)ったから

 (原文)唐橋(からはし)や 塩の小路(しおのこうじ)の 焼(やけ)しこそ 桃井殿は 鬼味噌(おにみそ)をすれ(注5)

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(訳者注3)直冬を大将にかついだ(とりたてた)石塔頼房の野望も、空しくなってしまった、の意。「九重(9階)」と「九重(ここのえ=都)」を、「石堂」と「石塔」を、かけている。

(訳者注4)「高い山」と「山名」を、かけている。「山名」は山名時氏を指す。山名は以前にも、京都に攻め込みながら結局、撤退してしまった。(32-5 参照)

(訳者注5)「唐橋(からはし:南区)も「塩小路(しおこうじ:下京区)」も、東寺付近。「桃井」は桃井直常。「鬼味噌(おにみそ)」は、辛味がある味噌。「辛(からい)」と「唐橋(からはし)」とをかけている。
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