太平記 現代語訳 5-4 北条高時、田楽と闘犬に、のめりこむ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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この頃、京都では、田楽(でんがく:注1)を楽しむ人が多くなり、身分の上下を問わず、こぞって熱中していた。

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(訳者注1)食物の「デンガク」ではない、芸能の田楽である。
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これを聞いた北条高時(ほうじょうたかとき)は、新座と本座の田楽チーム(注2)を、鎌倉まで呼び寄せた。

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(訳者注2)[日本古典文学大系34 太平記一 後藤丹治 釜田喜三郎 校注 岩波書店]の注には、「田楽の家元の名。京の白川田楽を本座、その他の流派を新座という。」と、記述されている。

[新編 日本古典文学全集54 太平記1 長谷川端 校注・訳 小学館]の注には、「早く結成された宇治白川田楽が本座で、奈良田楽が新座(能勢朝治『能楽源流考』)と、記述されている。
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それからというもの、彼は、日夜朝暮もっぱら田楽三昧(ざんまい)、という状態に。

ついには、有力武家の者たちに田楽ダンサーを一人ずつ預け、いときらびやかに装わせるまでに。

北条家の人々 このダンサーは、XX殿づき、キャッキャッキャァ・・・。

北条家の人々 あのダンサーは、YY殿づき、ワァワァワァ・・・。

北条家の人々 ダンサーみんな、金銀珠玉(きんぎんしゅぎょく)を、ワンサと身に着け。

北条家の人々 ダンサー諸君、きれいな着物をイッパイ着込み。

北条家の人々 ダンサー、ダンサー、ヤァヤァヤァ。

北条家の人々 宴会で一曲舞うたんび。

北条家の人々 キレイな着物、パッパッパァ!

高時はじめ、北条一門の有力メンバーらは我先にと、自らの直垂(ひたたれ)、大口袴(おおぐちばかま)を脱ぎ、田楽ダンサーたちに褒賞(ほうしょう)として投げ与える。全部集めてみたら着物の山が出来てしまうほど、その費用はいったい幾千万、まったくもって、想像の限界を超えてしまっている。

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ある夜の宴会の場において、高時は、酔っ払ってすっかりいい気分になってしまい、自ら立ち上がって、田楽ダンスに興ずること長時間に及ぶ。

座興を進めるための若者のダンスでもなし、狂言師が言葉巧みに演ずる一幕でもなし、四十路を越えた古入道(注3)が、酔狂(すいきょう)の果てに舞うダンス、風情(ふぜい)も何もあったものではない。

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(訳者注3)出家した人の事を「入道」という(仏の道に入ったから)。
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その時、いったいどこからやって来たのであろうか、新座・本座の田楽チーム10余人、忽然(こつぜん)とその座に入りきて、舞い歌い始めた。

彼らのダンスの面白さ、尋常(じんじょう)ではない。

一舞いの後、曲が変わり、一座は別の唄を歌い始めた。その歌詞は、

田楽歌唱メンバー全員 ヤッ

田楽ダンサーA て ん の う じ の

田楽歌唱メンバー全員 ヤッ

田楽ダンサーB  よ お れ ぼ し を

田楽歌唱メンバー全員 ヤッ み た い も の よ ヤッ

田楽楽器奏者C ヨォーッ

田楽楽器D ポン!

田楽楽器奏者E ハァーッ

田楽楽器F カーン!

田楽楽器奏者CとE ヨォーッ

田楽楽器D ポン!

田楽楽器D ポン!

田楽楽器F カン!

田楽楽器D ポン!

田楽楽器F カン!

一人の侍女がこれを耳にして、そのあまりの面白さに、障子の隙間から室内を覗き見してみた。

侍女 (内心)うわ! この室の中には、田楽ダンサーらしき者なんか、一人もいやしないわ!

侍女 (内心)アレ、ナニよぉ! あの嘴(くちばし)がトンガッテ、トビみたいなの・・・うわっうわっ、あっちの、あの山伏みたいな格好してるの、あれいったいナニよぉ、体に翼が生えちゃってるじゃないのさぁ!

まさに、異類異形(いるいいぎょう)の化け物どもが人間になりすまして、その座に連なっていたのであった。

彼女はビックリ仰天、すぐに、高時の舅・安達時顕(あだちときあき)のもとへ、急を告げさせた。

時顕は、取るものも取りあえず、太刀をひっつかんで駆けつけてきた。

中門を駆け入ってくる彼の荒々しい足音を聞くやいなや、化け物たちは、かき消すように失せてしまった。

その場には、前後不覚のまま、酔い伏している高時がいるばかり。

灯りをつけて遊宴の席をあらためてみると、畳の上には、禽獣(きんじゅう)がつけたような足跡が多数、残っていた。やはり、天狗(てんぐ)たちが、そこに集り来たっていたようである。

しばし、虚空をにらんで立ち尽くす時顕であったが、その眼にとまるような者は何も存在しない。

ようやく、眼を覚まして起き上がった高時は、ただただ呆然とするばかり、記憶は一切無し。

後日、この事件を伝え聞いた藤原南家(ふじわらなんけ:注4)の儒学者・藤原仲範(なかのり)(注5)いわく、

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(訳者注4)藤原武智麻呂の子孫。

(訳者注5)[太平記 鎮魂と救済の史書 松尾剛次 中公新書 1608 中央公論新社]の138Pに、次のようにある。

 「この仲範は、丹後守保範の子で鎌倉佐介ヶ谷に住んでいた人物で・・・」
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藤原仲範 えぇ? その者たち、「よおれぼし」と、謡(うた)っていたというのか。ふーん・・・。

藤原仲範 天下まさに乱れんとする時には、「妖霊星(ようれいぼし)」なる悪星が地上に降りてきて、世の中に災いをもたらすと、言われているからな。

藤原仲範 「てんのうじ」と謡っていた? ウーン・・・天王寺(てんのうじ:注6)というところはだな、日本に最初に仏法が根づいた霊地だ。そのお寺を建てられた聖徳太子(しょうとくたいし)様が、「大予言・日本の未来はこうなる」という題名の本を、この天王寺でお書きになっておられるのだよ。

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(訳者注6)「四天王寺」(大阪市に現在もあり)。
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藤原仲範 その化け物どもは、「天王寺の妖霊星」と、謡っていたという、これは、極めて不気味な事といえるなぁ。天王寺のあたりから天下大乱が始まり、やがて、わが国が滅んでしまう、という事を暗示しているのでは、ないだろうか。

藤原仲範 とにかく、朝廷は徳を治め、幕府は仁を施して、妖しい勢力の力をウチ消してしまうような事を、速やかに真剣に考えていってもらわねば・・・。

その後の歴史はまさに、彼の危惧(きぐ)の通りに展開していったのである・・・事前に凶を察知した藤原仲範の博学、まことにもっておそるべし。

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この化け物騒ぎをも意に介さず、高時はその後も、奇妙な事物を珍重する生活へ、際限なくのめりこんでいった。

ある日、庭先に犬たちが集まり、互いに噛み合っている姿を見て、

北条高時 おぉ! こりゃぁ、オモシレェ!

というわけで、今度は闘犬(とうけん)に、骨の髄まで入れ込むようになってしまった。

北条高時 ヤイヤイ、今すぐ全国に命令を出して、強い犬をかき集めろぃ!

というわけで、「犬を献ずることは、納税の一環である」、「国有の財産として、犬を集めることとなった」等々、あれやこれやと名目を付けて、あるいは、有力者たちに要請して、犬をかき集めにかかった。

さぁこうなると、国々の守護や国司、諸処の北条一族、有力御家人たちが、10匹、20匹と犬を集めて飾り立ては、続々と鎌倉へ送ってくる。

集められた犬たちには、魚肉や鳥肉を餌に与え、金銀をちりばめた綱で繋ぐ。その飼育費用たるや、莫大な額に。

鎌倉への道中、なんと、犬は輿(こし)に乗せられて行くのだ。運悪く道すがら、それに出会ってしまった旅人は、たとえ先を急いでいようとも馬から降りて、これに跪(ひざま)づかなければならない。農作業に忙しい民たちにも、「お犬様の輿かつぎのおしごと」の割り当てが、回ってきてしまう。

かくのごとく激しき、高時の犬への入れ込みの結果、肉に飽き、錦を着た名犬が鎌倉中に充満、その数は4、5千匹に及ぶまでに。

月のうち12日間が、[デイ・オブ・ドッグ・バトル]に定められ、一族御家人(いちぞくごけにん)、外様(とざま)の人々が、あるいは殿上に席を連ね、あるいは庭前に膝を屈して、[ドッグ・バトル]を見物する。

ドッグ・バトル・ショウ・進行役 ルレイディーズ、アーンド、ジェントルメーン! 長らくお待たせいたしましたぁー! いよいよ、ドッグ・バトル開演の時刻と、あいなりましたぁー!

見物人一同 イェーイ! ピィー、ピィー、ピィー!

ドッグ・バトル・ショウ・進行役 どうかぁ、最後までごゆるりぃーと、お楽しみ下さいませぇー! さぁ、それでは、犬たちを、放ちますぞぉー、ゴゥー!

100、200匹ずつ、まとめて犬を一斉にパァッと放す。

犬どもは入り乱れ、とっくみ合い、上になり、下になり・・・互いに噛み合うその声は、天に響き地を揺らす。

犬たち ウギャギャギャギャギャ・・・ガキッガキッ・・・ウワォウワォウワォ・・・。

バトルを見物する心ない人X ウヒョヒョヒョ・・・こりゃぁオモシレェや、人間が戦場で勝負を競うのにそっくりじゃねぇかよぉ、ワハハハ・・・。

バトルを見物する智ある人Y (内心)あーぁ、こんなヤなモノ、見たくないなぁ。野原で人間がバタバタ倒れ、屍(しかばね)の山を築いていく様を想像してしまうじゃないか。悲しい・・・ジツにカナシイ・・・。

これは、犬と犬との闘いに過ぎない、とは言いながらも、なにか、人間世界の闘諍(とうじょう)と死の前兆のごときものと、感じられてならない。まったくもって、あさましい高時の行状である。

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