太平記 現代語訳 27-10 天皇即位式に関して、閣議、紛糾す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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そうこうするうち、京都朝廷において、「年内に、天皇陛下御即位(注1)の大礼を、急ぎ執行すべし」との、重ねての決定が下った。

ここで、「重ねて」とあえて強調したのには、わけがある。実は、「当年3月7日に執行すべし」と、一度は決定を見たにもかかわらず、大礼を執行する事ができていなかったのである。「このままずるずると延引しているのも、いかがなものか」という事で、再度、日程を決定したのである。

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(訳者注1)崇光天皇の即位式。
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この「大礼」、歴代天皇即位の慣例に従って、本来ならば大極殿(だいごくでん)で執行すべきところを、大内裏(だいだいり)焼失の後は、大政官庁(だじょうかんちょう)にて執行してきた。

大礼儀式のディレクター(director:注2)任命の件において、「洞院公賢(とういんきんかた)でどうだろう」という提案がなされたとたんに、にわかに閣議がモメだした。

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(訳者注2)原文では「即位の内弁」。
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閣議メンバーA あのね、洞院殿は、太政大臣の職にあられる方ですよ。そんな最高職にある人が、ディレクターをつとめた、なんちゅう先例、あんまし聞いた事おまへんなぁ。

閣議メンバーB たしかに、あんたの言わはるように、「先例」はそら大事なこっちゃ。そやけどな、なんでもかんでも「先例」、「先例」と、昔からのしきたりにガンジガラメになっとったんでは、国政の変革なんか、いつまでたっても、できしまへんがな!

閣議メンバーC そうだっせ、今我々に課せられとんのは、まさに「変革」! これからの日本、新しい日本のガイドラインを創成する事なんや、そうやおまへんか?!

閣議メンバーD いやいや、「変革」の一点バリでは、国家はもちまへん! 革(あらた)むるべきは革め、守るべきはダンコとして守る、健全なる「保守」こそが、国政のキモ(肝要)ですわいな!

閣議メンバーA その通りですわ! 最近の世相は、まったく嘆かわしい限りや! 「良き先例に従い」なんちゅう事を、ちょっとでも口に出そうもんならな、「あいつは守旧派や、変革に対する抵抗勢力やぞ!」てな事で、フクロダタキやからなぁ・・・あぁ、いやはや・・・。

閣議メンバE あのね、ちょっとわたしにも言わせてください。この問題、先例を守るべきや否や、というような、トゥリヴィアル(trivial)な観点の議論よりも先に、もっと別の、チョウハイレベル(super high level)の観点から論じるべきやと、わたしは思いますが。

閣議メンバーB ほぉ、いったいなんやいな、あんたの言わはる「チューハイレベルの観点」とは?

閣議メンバーE 「チューハイ」ではのぉて、「チョウハイ」です・・・サウンドネス(soundness)、すなわち、「国政の健全さ」という観点ですよ。太政大臣が儀式のディレクターをつとめるやなんて、不健全なる姿以外の何ものでもない!

閣議メンバーC あのな、いったい何をもって、国政の健全・不健全を決めてなさるんかいな?! ほなら問う、「健全なる国政」の定義とはいったい何か?! そのデフィニション(definition)を述べよ!

閣議メンバー一同 グチャグチャグチャグチャ・・・・。

大納言・勧修寺経顕(だいなごん・かんしゅうじつねあき) (内心)いやはや・・・はぁーーー。

閣議メンバー一同 グチャグチャグチャグチャ・・・・。

勧修寺経顕 ちょっとちょっと、まぁまぁ・・・。みなさん、口角泡飛ばして、なんですいな! ここは大事な国政を論じる場ですやんか、もっと冷静になりましょうよ、冷静にぃ。

閣議メンバー一同 ・・・。

勧修寺経顕 「太政大臣が即位式のディレクターを務めた先例は無い」と、おっしゃいましたけどな、その先例、過去に皆無というわけでは、ないですよ。

閣議メンバーA いや、わたいはナニも、「過去に皆無」とまでは言うとりませんよ、「あんまし聞いた事ないなぁ」と・・・。

勧修寺経顕 まぁ、まぁ、よろしやん。あのな、過去にたった2回だけ、ありますんやがな、これがなぁ。

閣議メンバー一同 うん・・・。

勧修寺経顕 まず1回目は、保安(ほうあん)年間の崇徳天皇(すとくてんのう)陛下ご即位の時。その際には、太政大臣・源雅実(みなもとのまさざね)公が、ディレクターつとめはりましたわ。

閣議メンバー一同 ・・・。

勧修寺経顕 ほいでから、2回目が、久壽(きゅうじゅ)年間の後白河天皇(ごしらかわてんのう)陛下の時。その時は、太政大臣・藤原実行(ふじわらのさねゆき)公でしたわ。

閣議メンバー一同 ・・・。

勧修寺経顕 崇徳天皇陛下の時の先例は、皆様も知っての通り、エンギの悪い先例といえましょうなぁ(注3)。そやけど、後白河天皇陛下の先例は、非常にエンギのええ(良)先例と言えまっしゃろ?

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(訳者注3)崇徳天皇は、保元の乱に敗れ、讃岐に流罪となったから。
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勧修寺経顕 こういう、じつにエンギのえぇ(良)先例が、過去の日本の歴史上に厳然と存在しとるんですからな、太政大臣がディレクターを担当する事に、いったい何のさしさわりがありましょう? それになぁ、今の太政大臣は、まさに適役、洞院殿は、世に聞こえたる才覚の人ですがな。

勧修寺経顕 かりに、君主から義の道や政治の道について問われたならば、その師範役を立派にこなせるだけの才覚を持った人。他の家々からも、「礼」をはじめとする日本や外国の緒学の道において、まさにその鑑(かがみ)と尊敬され、儀式の演出・執行に関する見識・知識においても、まったく世のお手本とも言うべき、お人ですわいな。

閣議メンバー一同 ・・・。

メンバー一同、返す言葉も無く、議論は終結。洞院公賢が、ディレクターに正式任命された。

アシスタント・ディレクター(注4)には、源家信(みなもとのいえのぶ)、高倉廣通(たかくらひろみち)、冷泉経隆(れいぜいつねたか)が任命された。

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(訳者注4)原文では、「外弁」。
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左側侍従(じじゅう)には、花山院家賢(かざんいんいえかた)、右側侍従には、菊亭公真(きくていきんさね)が任命された。

即位の大礼は、まさに国家を挙げての行事、僧俗多数が参集の一大壮観ゆえに、遠近から、見物人が踵(きびす)を継いで押し寄せてきた。

光厳(こうごん)、光明(こうみょう)両上皇も、列席の為に御幸(みゆき)し、アシスタント・ディレクターの詰め所、西南の門外に車を並べた。

そして、天皇陛下のお出まし。陛下も諸卿も冠をかぶり、礼服を着し、左右の近衛府(このえふ)、左右の衛門府(えもんふ)、左右の兵衛府(ひょうえふ)緒陣が参列する。

四神(ししん:注5)の旗を四方に立て、諸衛府のメンバー各陣が、太鼓を打ち鳴らす。紅旗は風に翻り、あたかも龍が天に昇っていくかのよう、玉座には陽光がさんさんと降り注ぎ、鳳凰の模様は今にも空に飛び立つかのようである。

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(訳者注5)青龍、朱雀、白虎、玄武。
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話に聞く、あの古代中国・秦(しん)国の阿房宮(あぼうきゅう)、呉(ご)国の姑蘇台(こそだい)も、かくのごとくであったかと、思われる。

世は末世とは言いながらも、このような大儀式を執行されるのは、まことにもって尊い事である。

まさに今日この日、貞和(じょうわ)5年12月26日、天子は登壇して即位を遂げ、数度の大礼、事はめでたく執行、かくして、今年はめでたく暮れていく。

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