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勉強するのは何のため?

もはや読書感想文用のnoteになってる...
陸上の記事書きたいけど、いまいち結果出せないしなあ。モチベもまだらで、できる時とできない時がまだまだたくさんある。

実は僕、部活やめました。
これについてはまたnote書こうと思います。
新たに今シーズンからはクラブチームに所属することにしましたが、シーズンインはいつになるのやら...。
てなわけで、今回は大人しく読書感想文で。

熊本大学准教授の苫野先生
「勉強するのは何のため?」
を読みました。
この先生は哲学と教育という分野についての研究しています。自分自身哲学には興味がありましたが、どんなものかは今まで知りませんでした。今回この本を読む中で哲学の基礎的な考え方がわかって良かったです。
さらには、勉強は何のため?学校は何であるの?
という疑問にも納得のいく答え?が出ました。具体例が本当にわかりやすかった。

では本編へ。

1一般化のワナ
一般化のワナとは、自分だけの限られた経験を他の人にも当てはまるとして考えること。

それぞれがたくさんの経験をしていますが、それはそれぞれの中で全く違うもの。教育も然りです。
例えば
「俺、毎日600m全力で走ったら、800mのタイムが5秒伸びたぜ!だからお前も600m毎日走れ!」
と言うようなものです。
お前は速くなったかもしれないけど、それは俺に当てはまるかはわからないっての。
当たり前じゃん!と思いつつ、結構言ってることあるかもしれません。
こういうのって、「隙あらば自分語り」
であってアドバイスでも何でもないんですよね。気をつけましょう。

これが特に、ベテランの先生になればなるほど自分のやり方に固執して、自分の成功例を一般化してしまいます。
考え方の柔軟性が低すぎて、おそらく数年後には老害だとか言われるんでしょうね。
歳を取るごとに自分の考えをアップデートするのは難しくなりますからね。今のうちから柔軟に物事を捉え考えられるようになりたいです。

哲学の基本的な考えは
「これは本当に誰もが納得できるような考え」
すなわち
「納得解」であるだろうか。と問い続けることです。

2問い方のマジック
問い方のマジックとは、
「あちらとこちらどちらが正しいかと問われると、思わずどちらかが正しいのではないかと思ってしまう傾向がある」ということです。
その時によって答えは違うし、絶対的な正解はありません。これとあれ、どっちが正しい?と結論づける必要はあまりないかもしれません。

そうなると、その対立した意見を組み合わせて、第3の意見を作り出せたら最強です。
お互いがぶつかり合って、誰も思いつかなかった3つ目の意見ができたら、それは議論の意味があるし「7つの習慣」でも紹介したように最高の結果です。ディベートに取り入れてもいいかもですね。

3何で勉強しなきゃいけないの?
実はこれには絶対的な答えはありません。
正解のない問いに絶対的答えを求めても、私たちはどこにも行き着かないし悩むだけです。
それと同時に
生きる意味に絶対の正解もありません。

なら、何なんだと。それは
「絶対的な正解はない。けど、自分にとっての正解を見つけることができる」
a君は医者になりたいから勉強する
B君は先生になりたいから勉強する
というように、それぞれの中に答えがある。
さらには、
「これが俺の生きる理由か、」とか「生きてよかったぜええ!」というように心が感じる時はそれは、生きる意味かもしれません。

まとめると
「ゆういつ絶対の正解はないけど、自分にとっての正解を見つけよう!ということです。」
そしてそのためには
自分はどういう時に勉強する意味を感じる?と考えたり普段から意識することです。

しかし、ほとんどの人に当てはまる、勉強する理由があります。それは
「自由になるため」
根本的には自由を求めて勉強していると筆者はいいます。
自由は、ここでは
「行きたいように生きる」
「できるだけ納得して、満足して、生きているという実感」
という意味です。

生きたいように生きるには、特異的な学力や力が必要です。それを得るために勉強します。
例えば、
ブログライターがパソコンのブラインドタッチをできないのはかなりきついです。また、国語力がなければ何書いてるかわかりません()
だから、その力を得るために勉強します。

3何で学校いかなんとや
・社会にとって必要だから
・いつか必要になるかもしれん
2つ目に関しては昨日、某プロ遊び屋が嬉しそうに語ってくれました笑

そもそも、社会で必要な知識の大半を学校で学んでいます。読み書きをはじめ他の人と共存したりなど、学校がなければ難しい部分もたくさ
んあります。

そして、学校では、たくさん知識を覚えますがそれは、

学ぶ力をどうすれば最大限育めるか、という点が重要です。
そこで、最低限の知識とあとは探求型とプロジェクト型の学びスタイルで良いのではないかと筆者は考えています。
もちろん時と場合にもよりますが、基本は自分の関心に沿って自ら課題を設定してクリアしていくのが良いのではと。
個別最適化の学習ですね。

自分なりの勉強する理由や自分の生き方は、
受け身でやってくるものではない。
日常生活で行きあたった問題に自ら立ち向かう経験してからこそ、掴み取れる。
それが探求型の学び。
うん。これは家庭教師でも活かせそう。
ただ勉強させる先生にはなりたくねえ。
疑問に対して2人で考えたり調べあったりして討論したい。
どういうこと?→調べてみよう!、なんでだろう!というように

自由になるための最大条件
それは
お互いがお互いに相手が自由な存在であることを認め合い
それを理解し、
感度を身につけること。
頭だけでなく身体や心を通じて理解するということ。

学校は

全ての子供達が自由になれるよう様々な知識や技能をはぐくみ、自由の相互承認の感度を育むことが大事。
それは、生活を通し、実際に体験して育まれる。

4いじめはなくせるの?
いじめは
今の自分や環境に不満があり、その苛立ちを思わず誰か別の人に向けてしまう
つまり自分が不完全だから他の人を蔑んで優越感に浸るわけですね。
人から認められているという実感があまりない世の中、褒められることも少ないですからね。

自分たちは承認され信頼されるとその信頼に応えようとする。特に子供は信頼や証人に値する自分になりたいと自ら頑張る。
自分も普段から気をつけよう。

そして、教室内のいじめだと
立ち向かうか逃げ出すか
答えなんてありませんが、
絶対に逃げ道を用意しなくてはいけません。
逃げたい時は逃げる。それでええやん。アクア様。
居場所をたくさん作ってあげる。教室じゃなくても、保健室でも図書室でもいい。
教室だけじゃないんだよと。

それぞれの生徒が自分なりの仕方で多様な人たちと多様な人間関係を豊かに作っていけることが大事。
これは体育でも実践できる。
球技ヘタクソでも、自分にはこの仕事ができて他の人とこんな協力ができる。そんな風に。僕みたいなヘタクソでも応援だって頑張れるし、できることもある。それでいいじゃんって言う。

体罰は学校現場ではあ絶対にNG
これは間違いない。
学校では自由の相互理解を育むはずが、相手の自由を普通に侵害する行為。それだったら大きくなれば戦争と同じ。
暴力によって相手の自由は奪えない。

てな感じ
気になったところに、線を引いてそれを書いて考えもちょこちょこ書きました。
ようやくに近い形になったけど笑

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