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見えている景色

そこにある事とそこに無い事

私は主人と見えている内容が違うんだな…と自分に納得させるような出来事がよくある。
 
私の誕生日ケーキを買ってきてくれたけど、ロウソクは貰わなかった。
なぜなら、歳を取ることに、私が喜べないと思うから貰わなかったそうだ。
…うーんなんか違うんだよな。と腑に落ちそうな、いやいやと否定したくなるような、何とも言えない気分になる。

男性だからなのか?と出会いたての頃はそう考えてみたけど、今や私の誕生日だけでなく、子供の時もろうそくをもらってこない事があるので、これはもう、そういう人なんだと思うほかないのである。
他にも、私が外出先から帰るよと連絡した際に、主人に夕ご飯どうした?買い物して帰ろうかな?と聞くと、大丈夫だよ何も買ってこなくてもと言ったので、珍しいな、何か買ってあるんだなと思って帰宅したら、何もなかったので、え?何を食べたの?私のもある?と聞いたら、??君のは無い。と言われてしまい、私は自分のために、また車を出して買い物へ・・・あ、またか、まただな。と、なる。
これは何回か繰り返している出来事で、その度に、主人は普通な顔して、私のご飯は無いと言う。あ、ごめん!なんて言葉は一度も聞いたことがない。えへへって顔くらいしてほしいもんだが、それすらも無い。私が外出先でなくても、同じ屋根の下にいて、1階と2階にそれぞれ離れた場所にいて目に見えなければ、私の食事は無い。どうする?何食べようか?この会話も皆無。なので、寝室で体調が悪く倒れていて、食事の用意ができない状態の私だとしても、目に見えない場所にいる私の食事は無い。しつこいくらい繰り返した内容の文章を何度続けても、同じ答えなのです。残念。

そこに見えている事、その先にあるだろう出来事は、彼にとっては無くて、私にはある。逆でもきっとあるだろう、私には無くて、彼にはあることが…きっと、誰に話しても、え?となるような残念さは主人のほうが多いかもしれないけど、 私は、この生き物をありのまま受け止めるのです。

面白い人だなって。





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