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VOL.22/じぶんの課題か相手の課題か見極める

こんにちは。”それ”が、じぶんの課題か相手の課題か見極める。
これ、書くのはほんの数秒ですが、これを正しく執り行うのはすごく難しいことです。なぜなら人はいつも”じぶん”というフィルターで世界を見ているわけだからそのフィルター、つまり主観が正しいかどうかを証明することはじぶんにも、また他人にもできないし、じゃあということで多数決がありますが、それはやっぱり多少プロパガンダ[政治的広報による誘導]されていたり、時代のテンション[緊張や不安]に影響されるからです。
だからこそ軸をじぶんにもつしかない。

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以前、ゴッホが色弱だったと言われていることをモチーフに、「ソメイヨシノ」という、色にまつわる短編を書いたことがありました。その時に”色”のことを色々勉強しました。色のこと、それはすなわり光のこと。つまり”色”というものは光の屈折によって発生している。人間はその光の屈折を網膜で捉えて「色のある世界」を見ている。
見ているというか構築している。けれど色は光の屈折なので、実際には存在しない。だから少し前に流行った、人によったり角度によったりして色が変わる服とかが存在します。色は全て光の魔法。

だとしたら「ピンクはどうだろう? 特にショッキングピンク」そう考えた時に”ソメイヨシノ”という作品は生まれました。わたしにはあの色はきつすぎる。けれどあれを好んで身に着ける人もいる。もしかしたら「色」というものが光の屈折だとしたなら、ちょっとずつ、わずかだけれど人によって見え方が違うのではないのかな。

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それがなぜ今日の回に繋がるかと言うと、主観というものは色の認識と同じだとお伝えしたいのです。つまり世界というもの自体が光の屈折であって誰しもに完全に同じ様に見えていることがないとしたなら、誰かが丸いと感じるものが誰かには尖って感じるかもしれない。
かもしれない、じゃなくてそういうことになります。

今日お伝えすること自体はシンプルです。”それ”がじぶんの相手の課題か、相手の課題か。簡単な例をあげると、道端ですれ違った人が突然じぶんに向かって「おい、このあばずれ!」とか言ってきたとする。この場合当然これはわたしがアバズレなのではなくって、相手の精神がどこか破綻していると考えられる。

じゃあ次に、例えばじぶんがつまづいた拍子に持っていたコーヒーを相手にかけてしまった、ということが「おい、このあばずれ!」の前にあって、その日たまたま短いスカートをはいていてなんかパンツが見えそうだったとする。そしたらどうでしょう。相手はたぶんアバズレと言うよりコーヒーをかけられて「ふざけるな!」ということが言いたい、そして自分にもコーヒーをかけてしまったという落ち度がある、いや、でもよく考えてみようよ、それにしてもこの人の態度は酷いよね、とかそうなる。

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この2つの例はとても見極めやすいと思います。

でも例えば、あなたが道ならぬ恋をしていて、それが本当にたまたま重なったーー新しく好きになった人にもパートナーがすでにいたーーとかそういった場合にじぶんが信頼できると感じている友人でも先輩にでも相談した際に「なんかそういう不幸な恋愛を潜在的に望んでるところがあるんじゃない?」って言われたときどうですか?
これすごく難しいケースだと思います。
え? わたしが、そういう恋愛を潜在的に望んでいるの?
え? そうではなくって、相手がわたしをそういう人間だと思っているということなの? 

誰かが誰かにかける「不幸」という言葉や「潜在的に」と言う言葉は、言った人にそんなつもりはなくても言われた方に刷り込まれてしまうちょっと危険な言葉です。言われた方は(そうなのかも)と思ってしまったりする。

なんかこのあたりのことも[Poppen20]で触れた「今伝えたいいくつかのこと」に繋がっていくのですが、この様に繊細であり境界線のむつかしい案件なので、また少しづつゆっくりお伝えしていきます。

とても難しいことだし、それをじぶんの感覚からみて「正しく」行うには、自身の心と魂の健康が必要です。そしてそれすらも「主観」でできているからより難しい。けれど、ちょっと心に留めてみてください。

それはどちらの課題なのか、ということを、
考えてみるってことをまずした方が良いっていうことを。

ゴッホは死ぬまで世間に認められなかったけど、それは「彼の課題」ではなかった。彼はずっと天才画家であり続けていたわけで、実は彼の絵が売れなかったのは、彼の絵を解さない世間の課題だった。けれど本人はそれに気づくことなくじぶんが生きていることが問題だと考え、じぶんでじぶんの命を断ちました。こんなことがあってはならない。


生まれたときから絶えず素晴らしいあなたが、他人の目の中の光の屈折により問題視され、それだけでなく自身で自身を問題だと思ってしまうこと。

だからまず気づいて。わたしが本当に間違っているのかな、って。


たぶんだけど、間違ってないんじゃないかな?

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それではららら。
ラララ世界で会いましょう☆


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