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la la la 118. 自分には何があるか、真剣に考えてみよう、そしてその「何か」を大切に護り育てていこう!(By も)

こんにちは。少しあきまして、すみません。
今日からまた「しくしく」と綴って行こうと思います。笑。
来月からガラッとわたしの生活が変わるので予想もしない1年になると思うのですが、この「ラララ世界」で綴っていくというのはとても大事なことなので、それを無理なく続けていけるための方法なども日々考えています。

わたしは一緒に載せる写真や絵画を毎回とても慎重に選定しているので文章が長い時ほど写真の枚数も増え、投稿に時間がかかってしまう、でもこのnoteにはこのように素敵な誰かのARTをお借りする機能もあって、
今後はそれと文、みたいな日があってもいい、なるべく更新していくことを優先してみようと思いました。それで今日この絵をお借りしているのですがなんとまたしてもtome館長さんの絵です、不思議。わたしが惹かれるものをクリックするとなぜかこのお方のものなのです。そんなわけで前置きが長くなりましたが「自分には何があるか、真剣に考えてみよう」そして「その”何か”を大切に護り育てていこう」

これ”by も” としました。このことはスピリチュアルと言うより、地続きな日々の中でわたしが強く感じていることだからです。

若い頃「やりたいこととやれることは違う」「なりたい職業と向いている職業は違う」というようなことを大人たちに言われることが多かった。
当時役者を目指していた自分としてはそれが一様に「あなたには才能がないから役者にはなれない」とか「役者に向いていない」という風に入ってきてしまって、夢を諦めさせるためのいやな言葉、という感じ、その言葉について真剣に考えたり掘り下げたりすることもなく「嫌!」って感じでシャットアウトしていたように思います。

実はこの言葉は事実です。でも付け加えたいことがあります。
それは、やりたいことと向いていることが違うから、それに成れないのではなくって、「やれること、向いていることを頑張ってやっていくことで、やりたいこと成りたいことにより早く近づける」ということです。
それが一見全然違うジャンルのことでもいいのです。まずはとにかく「やれること」「向いていること」をしくしくとやっていく、その先に「目標」や「夢」に繋がるバイパスがある、ということです。

例えばわたしは昨年公開の「蝶のように眠る」という映画で主演の中山美穂さんの「字」を担当しました。監督が本物の小説家の書いた字を使いたいということで劇中に映る生原稿の字をすべてわたしが書かせてもらいました。字というより小道具の扱いになるのですが、手元の「抜き」を撮ったり、急に字が新たに必要になる場合などのために現場に同行していました。
そしたら監督が「せっかくだから出ませんか」と。それでわたしは図書館の司書役でその映画に出ました。セリフはないし1秒しか写ってないけど、でもカメオ出演てやつですよね。笑。試写会に行きましたが、映画の冒頭では主演の代役の方でわたしの手と字が大きくスクリーンに映っていました。
これを18歳のわたしに伝えたらきっと「そういう地味な女優に成りたいわけじゃないよ!」というと思います「顔が映らないような仕事なんてイヤ」って言うと思います。「司書役なんてエキストラやん」て言うと思う。笑。

でもわたしが言いたいのは道はこうしてどこかで必ず交差するのだということを言いたいのです。そしてその交差のタイミングの数を増やしたければ、やっぱり「向いている」ことをコツコツ伸ばしていった方がいいと思います。わたしは自分の主宰舞台の赤字を、小説の賞金で支払った時に、わたしの「何か」は書くことなのだなと思いました。それからはどんなことも「書く」ことと合わせるようにしています。このマガジンもそうです。スピリチュアルなマガジンだけど、書くこと、書き方に重点を置いています。

今となってはそのミラクルを結構知っているので、あまり先を考えず、とりあえず書き続けたら何かが起こるだろう、みたいな感じで計算していません。笑。

そしてここからが本題なのですが「そういう取り立て飛び抜けたもの自分にはないから」と思っている人、本当にそうだろうか?
それを真剣に考えて見て欲しいのです。自分に何があるか。
人は自分にないもののことばかり考えて「ある」ものに注目しない。または完全に見落としていることがあります。
「気がきくよね」と言われても「こんなにこと!?ちょっと考えたら誰でもできるじゃん」て思ったり。でもそれ、誰にもはできないことなのです。

自分にある「何か」を考えてみて、と言って何もないと即答する人は、
言い方がきついかもしれないけれど、探し不足、です。
自分自身が一つの道具箱だったとしたら、世間を生き抜くツール、どれを持っているか。「才能」と言ってしまうと「才能なんかない」ってなることが多いです。そうじゃなくて「何か」自分と社会を結ぶ時に使えそうな、何か。例えばなんだけど、目の前に大きな河があって、それを渡りたいけど渡れるツールがない。その時にくるりと後ろを向いて、逆側から一周しようと思える人はその「根気」が誰にもあるわけではない「何か」です。

以前も一度お話しましたがわたしはこの「ラララ世界」を始める時、自分は霊能者でもないのにこんなことできるかな? って思いました。でもこう考えました。霊能者の方が100感じているけど言葉が足りなくて5しか伝達できていない場合もある(そういったブログを見つけることがよくある)。
わたしは感じる力はその人と比べた時に20くらいしかないけど、書く力で補い確実に19までは伝えられたら、場合によってはわたしの方が14多く伝えられることがあるかも。これはフィギュアで言うと、トリプルアクセルは飛べないけど、ミスをしないで確実にやろう戦法です。人はそういう地味なことを嫌います、なんかパッとした才能が欲しいのです誰でも。
でもトリノの時、金メダルを獲った荒川さんはまさにその手法でした。
そして才能溢れたスケーターがこれだけ日本にいるけれどまだ彼女以外はオリンピックで金メダルを手にしていません。

あなたの「金メダル」に向かう旅の中で、プロセスがどれだけ地味であっても、天才肌じゃなくってコツコツ型であっても、そこにこだわる必要はないと思うのです。「何もない」って言ってしまわないで、何かを見つけ出して欲しい。もう、宿題のように見つけてみてほしい。笑
自身の中にある本当に小さな、ささやかな「もしかしたらこれは、割と他の人より得意かも・・・」そんなことがゆくゆく大きな実りに繋がっていくと思うのです。足りないものを埋めようとする方が時間がかかるんです。
在るものを最大限に伸ばした方がいろいろと近道です。

あれわたし割と、いろんなこと長続きするタイプかも。
あれわたし割と、ふらっと入った食べ物屋で外したことないかも。
あれわたし割と、目の前の人が欲しがっている言葉、分かるタイプかも。
あれわたし割と、どんなところでも眠れる。

あなたの中に眠らせたままの「何か」に気づいて、それに声をかけて欲しい。きっとそれがあなたをあなたの求める日々を連れてきてくれる動力となると思います。

それでは、らるらるらん♪
今日は黄色、黄色は第3チャクラ「自己」を現します。
自分の中に眠る太陽を、揺り起こして。
ラララ世界で会いましょう。

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ