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手放すくらいなら死んだ方がマシだと思っていた私が語る「手放す」


こんにちは!

覗いていただき、ありがとうございます。

そしていつもポストを見て下さる方にも
心から感謝を申し上げます。


とっても嬉しいんです。
この場を借りて、お礼を伝えさせてください。




ありがとうございます✨


今日は手放すって言葉をとにかく避け、
願望を手放すくらいなら死んだ方がマシだと思っていた私が語る「手放す」について。


そして
なんの目的で
どんな意味があって
どのように手放したのか。




それを私なりに
お話ししてみようかなと思っています。




もし、過去の私のように



「でたー。手放すー。それは無理。却下。

手放すって字を見るだけでも嫌。

叶ってないんだから手放せるわけない。

手放して叶わなかったらどうしてくれるの。

手放さないとダメみたいな風習が
そもそも気に入らない。

無条件とか言って、結局条件ある説ですか?

私は手放すことなく
欲しい!体験したい!と思っている新鮮な気持ちのうちに体験したいんで、そういうの結構です。」



という(いや、ここまでひねくれている人は
なかなかいない)



同じようなことを感じたことのある方に
読んで頂けたらと思う内容です。



何か少しでも
いいな、と思うことがあれば
採用してみてください。


では本題に入っていきます。



お話しした通り、私は「手放す」が嫌いでした。



手放すという言葉に極端に反応していたし、
それだけはできないと心が激しく抵抗していたことを鮮明に覚えています。


手放せるくらいならこんな願わないし、
この願いを失うくらいなら死んだ方がマシだ!!

と本気で思っていました。


でも私が
嫌い、恐れ、避けていた
「手放す」とは



実は
私達が当たり前にしていたことでした。



それに気がついてからは
「手放す」こと、というのは


あらゆる取り組みの一つであり
私達の持てる引き出しの一つであり



願望実現のための
有効な方法の一つだと
理解することができました。



色々なことに取り組んだり、許可できたり
嬉しいことも楽しいことも増えて
受け取り上手になっていく中、



私達はすでに全てにおいて完璧な幸せが与えられていて、それを体験している。


創る必要も得ようとする必要もなくて
受け取るだけ。
というのもわかった。


だけど、

色んなことが叶っていくのに
本願だけがなかなか叶わない。




こんな風に思ったことありませんか?
私にもそう感じることがありました。



願望を受け取るのに
難易度の差は一切ない。


本願も水を飲むのも同じだと聞いても
到底、そうとは思えませんでした。




でも本当は 

全てのことは無条件に与えられていて、難易度の差は受け取り手の私達が決めさえしなければ存在しない。

現実化を堰き止め、阻むのは
自分の抵抗や観念、まだ叶ってはいけない理由を作ってしまう思考だけ。




どんなに
外に原因、因果関係、どうにもならないことが
あると思えても


それは自分が受け取ることを拒み、
まだ体験できないと


「今」認識してしまっているだけ。


過去の選択すら関係ない。



どうですか?



私はそれを知った時
とても嬉しかったんです。



だって
自分が堰き止めているだけで
もうある、どころかもう与えられているんです
から。

受け取るだけの状態なんだ…!って。


しかも過去、何を選択してきたかも関係なく
私が「今」自由に選択することも許されている。



邪魔するものなんてひとつもないんです。



あの人にも、あの出来事にも、
運命にも、日頃の行いにも、過去世にも、カルマにも、試練にも、神のお試しにも、運勢にも


何にも邪魔されず
ただ自分が堰き止めてるだけ。



私は、ホッとしました。

自分次第でいつでも受け取れるんだという
安心感。



まずはこの事実を受け入れて
喜んでみてもいいかもしれません。


じゃあなぜ
小さいものは叶っていくのに
本願はなかなか叶わないの?


自分が一番重要だと感じている
願望とは


純粋にこうなりたいという願望への気持ちと

否定や抵抗する思考、緊張感、プレッシャー
難しいという設定、過去や未来という概念、
叶うかどうか自信がないなどの気持ちが 


表裏一体である

ということがポイントになっているからです。


表裏一体、いわゆる
コインの表と裏のように


分離できず
密接にくっついている状態。


私達が行ってきた
本願を実現させるための様々な
「取り組み」とは


例えるなら


(純粋にこうなりたいと思う気持ち)と、

(否定や抵抗する思考、緊張感、プレッシャー難しいという設定、過去や未来という概念、叶うかどうか自信がないなどの気持ち)

で、表裏一体のものを
なんとか引き剥がして


表である「快」を強くイメージし、増幅し
成長させていき、

裏である「不快」をなんとか独立させ
浄化し、無効化させていく。


という
もしかすると、とても難しいことを
しようとしているのではないかと思います。



もちろん
これが間違ってるのではありません。



単に、
本願ではない願いには



コインの表と裏が
密着せず分離できている状態にある


もしくは
裏である部分が存在しないか、
極めて少ない状態である


ということが多いのだと思います。



要するに

願望の形状が違う。

例えば
春だし桜餅が食べたいなぁ…🌸


という願望の形状は
引き剥がす必要もなく
おそらく表しかない場合が多いのではないでしょうか。

(桜餅好きなんだよね〜、食べたいな)

(でももしかしたら食べれないかも、売ってないかもしれないし、自分では作れないし、食べれなかったらどうしよう、買うお金もない、そんな人生無理、不安だ、どうしたら…)



という
裏の部分が存在する人は
いないと思います。


もし裏が強く存在する場合、
かなりのドラマが展開されると思いませんか?



桜餅を獲得する旅に出て主人公は食べることができるのかという、手に汗握るストーリー。



このように
裏の部分が肥大化、密着していると
願望への純粋な気持ちを楽しみ、感じていくことが難しくなり

激しく抵抗してしまうんだと思うんです。

だけど私達は
桜餅が食べたいというたぐいの願望は
無意識に手放しているんです。



コインの裏の部分が極めて少ない分、
その願望が気にならず、自由している状態。



本願に置き換えてみるとどうでしょう?


おそらくこのように
表と裏が存在し、コインのように表裏一体となっている形状が多いと思います。


私は思いきりそうでした。


そこから「手放す」ことを決断したきっかけとは


このことに気がつき始めた私は
初めて「手放す」ことを視野に入れて考えはじめました。


それはなぜか?

理由は

苦しくなったから

です。


表である部分を
楽しみながら感じていくことが
できなくなってきている。

望むものは
無条件に与えられているので
無条件に現実でも受け取れる

のです。

無条件です。無条件。

私達がどんな状態だろうと
何をしてようと、しなかろうと。

なので
「手放してください」「手放したら叶います」
ということを伝えたいわけではありません。



ですが
苦しくなっている私は
やり方を間違えている
とわかりました。



本来受け取ることに
苦労、困難、犠牲はあり得ない
からです。



本来は
どんな状況、状態でも、今のまま、今の自分のまま私は望むもの全てを体験していい。

これが奥義だと思います。


どんなに苦しい思考をしていても
そこに着地さえできればいいんです。


その時点で許可、受け取りモード、
完璧な幸せと満足がある方向を向く、
真実の自分と一致する、など。


そこにセットさえできれば
完了です。


そこがゴール。完結です。



でも、それができないくらい
本願と向き合うことが苦しい。



それがその時の私の答えでした。



(その時、いろいろな対処もしてきたので
それもいつか別でまとめてみたいと思っています。)


なので私は

表と裏が一体である願望そのものを
手放すことで


である
否定や抵抗する思考、緊張感、プレッシャー、難しいという設定、過去や未来という概念、叶うかどうか自信がないなどの気持ちを

を手放そうと、決めました。


それすら手放せば
現実化を堰き止め、妨げるものがなくなるからです。


表である純粋な意図を持っていることが
現実化させるのではないんです。


もうとっくに叶っているので
受け取るだけの私達には

本来、叶えるためのイメージングも
ノートに書き出すことも、意図も、設定も本当は必要ないのです。

(この辺りはnoteの許可と取り組みについてというものに詳しく書いています)


プラスの行為を増やしていくのではなく、マイナスを減らす。


いわゆる
裏である部分の気持ちで
「受け取り拒否をしない」
ことが大切だからです。

そういう意味で
手放すことを決意しました。



願望を手放すとは
私の中では

「諦める」「やめる」
「キャンセル」「いらない」

とは違いました。

(それでも叶うことには変わらないのですが、ニュアンスの好みです)



自分というものには
顕在意識と潜在意識とがあるとよく聞きますが


私は潜在意識について考えることを
だいぶ前に辞めています。



潜在意識とは無意識の領域で
心臓を動かしているのも、そう。


そんな無意識の領域にアプローチして
なんとかしようとすることに
途方にくれる努力をすることが
面倒になったのです。


なので
顕在意識や潜在意識がどうという
考えから離れ

今は
108さんも仰っている

エゴとそれ以外の領域

と認識することにしています。
(当時はよく理解していませんでしたが)

とにかく
エゴではない場所に受け渡すと

願望は現実化する状態になる

ということです。


安心してほしいのは
自分の手からではなく、
エゴの手から、という点です。


エイブラハムも表現していますが
本当の自分の世界は
「ない」なんて感じてないし
満足を体験しています。


なので
その本当の自分に
願望を受け渡すイメージを持ちました。



なので、私が考える手放すとは

叶えたいことに対して

もうそれを願っていない状態。


願望という形で置いておかないこと。

すでに与えられているならもういいやという
願望として扱うことをやめる

ようなこととも結果、重なったのだと思います。



そしてようやく手放す。


この後からは有料とさせていただくことと
致しました。

ここまで読んでいただきまして
本当にありがとうございます。

ここまででも、何か少しでも収穫があれば幸いです。

ここからは、私が行ってきた方法と
恋愛関してのエゴが騒がない安心、安沢な手放しとは?ということろでも触れています。

興味のある方はご覧になってみて下さい。

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