Bar・鬼酒仏心

 【ウイスキーの楽しみ方】

 カランカラン、と音が鳴りBar・鬼酒仏心の扉が開かれる。

 「いらっしゃいませ」

  Bar・鬼酒仏心のバーテンダーの流民と食いしん坊ノートがそうお客様に声をかけ、席に案内する。

 「こちらの席へどうぞ」

  お客様がカウンターに座ると、流民はさっと金木犀の香りの清々しいお絞りをさっとお客様に手渡し、なれた手つきで丸いコースターをお客様の前に差し出す。

「お客様・・・・・・この店は始めてでございますね? 私、鬼酒仏心のバーテンダーをやっております流民と申しますそして……」 

「バーテンダーの食いしん坊ノートと申します」

  流民と食いしん坊ノートはそう言うとさっとメニューをお客様に手渡す。「当店は世界中のあらゆるお酒をご用意しております。このメニューはほんの一部でしかございません。何かお気に入りのお酒がございましたら、お申し付け下さいましたらご用意させていただきます」

  流民はそう言うとお客様の注文を伺うためにお客様の注文を待ち、その注文を受ける。

 「はい、ウイスキーでございますね?」

  そう言うと流民はまた別のメニューを取り出し、お客様に手渡す。

 「普段どのような物をお飲みになっておりますでしょうか?」

  お客様はメニューの中から選ぶことが出来ず、自分の好みを言う。

 「はい、アイラ系のモルトでございますね? どういった飲まれ方をされますか?」

  水割りで、とお客様は答え、流民はニコリと笑い、ラフロイグの水割りを作るためにグラスと酒を用意する。

  グラスは良く磨かれたバカラのタンブラー、そしてラフロイグは一見どこに何があるのかも解らないほどのバックバーに並べられた物を難なく取り出す。

  そして、冷凍庫から氷の大きな塊を取り出し、それをアイスピックで少し大きめに砕いていく。

  程よく割れた大きめの氷をタンブラーに数個いれ、そこにラフロイグを四五ml注ぎ、そこに水が入っているであろう茶色い瓶の中の液体を注ぐ。 そして、バースプーンで軽くステアし、それをお客様の前に置かれたコースターの上に差し出す。

 「お待たせいたしました。ラフロイグの水割りでございます」

  お客様はその水割りを一口、口の中に含みゆっくりと味わい飲み下す。「ありがとうございますお褒め頂き」

  お客様のお褒めの言葉に流民と食いしん坊ノートは微笑む。

 「お客様、普段は水割りをよく飲まれるのですか?」

  お客様は頷く。

 「さようでございますか。他の飲み方を試された事はございますか? もしよろしければ今日は僭越ながら私がウイスキーの飲み方について少しお話させていただきたく思います。もちろん、それで飲んでいただいた分のお代は結構ですので。私の趣味にお付き合い頂けますでしょうか?」

  お客様は頷く。

  その横で食いしん坊ノートは流民の悪い癖が始まったと少し呆れ顔の様子。

 「ありがとうございます。では、僭越ながら私が少しばかりウイスキーの飲み方について説明させていただきます」

  嬉々とした表情で流民は話し出す。

 「では、先ず最初ですが、今お客様のお飲みになっている水割りです。これは一番スタンダード飲み方ではないでしょうか。しかし、それゆえに奥が深い飲み方ではあります」

  そう言うと流民は先ほど使った水の入った瓶を取り出した。

 「当店で使っているのは、ラフロイグの仕込水を使って水割りを作っております」

  流民は少し自慢げに話す。

 「もちろん、それ以外にもある程度は、仕込水を置いてはいますがさすがに全種類の仕込水は置くことができません。それに家で水割りを飲むときは流石に仕込水を使うことは難しいでしょう」

  流民はそう言うと、一呼吸置いてまた話し出す。

 「ご家庭で水割りを楽しむ時には、出来るだけ硬水を使用して作られるのが良いでしょうね」

  そしてお客様が水割りを飲み干したタイミングで次の飲み方を説明しだす。

 「ではお客様。次の飲み方についてお話させていただいてもよろしいでしょうか?」

  お客様はコクリと頷き、話の続きを促す。「かしこまりました、では次の飲み方ですが・・・・・・」

  そう言って流民はまた新しいタンブラーを取り出し、先ほどの要領で氷を砕き、タンブラーに氷を入れる。

  そして食いしん坊ノートがバックバーから、アイラ・ミストを取り出しそれを流民に手渡す。

 「今からお作りするのはハイボールと呼ばれる飲み方です。え? それくらい知ってる? ああ、確かに最近ハイボールはどこのお店でもお出しするようになりましたね。ですが、ここはバーです。少し変わったハイボールをお出しいたします」

  そう言うと流民はアイラ・ミストを氷の入ったタンブラーに注ぎ、そこにソーダを入れる。

 「ここまでは普通のハイボールと何ら変わりはありません。しかし、ここからが違います」

  流民はそう言うと、傍らに置いてあるもうラフロイグの瓶を持ち、バースプーンを左手に持ち、右手に瓶を持つ。

  そして瓶の中のウイスキーをバースプーンを滑らすかのように今作ったばかりのハイボールの上にウイスキーを浮かべていく。

  見事に二層に色が分かれたハイボールが完成する。

 「これは私が考え出したものではありませんが、某マンガが元になったと言われているハイボール、その名も『スーパーハイボール』です。表面にフロートさせているウイスキーですが、これは先ほどから飲まれているラフロイグ。そして、その下のハイボールがアイラ・ミストというブレンデットウイスキーで、ラフロイグがキーモルトに使われています」

  流民はお客様の目の前のコースターに今作ったばかりの『スーパーハイボール』を置く。

  そしてお客様は目の前に差し出された『スーパーハイボール』を口に含む。

  最初はシングルモルトのきついアルコールを感じながらも、その香りを楽しむ。そして、その次にハイボールの炭酸と混ざった爽やかなウイスキーの香り。

  その混然一体となった味わいにお客様は満足したかのように顔を綻ばせる。 

  それを見た流民と食いしん坊ノートも満足げに微笑む。「いかがでしたでしょうか?」

  お客様はあまりの美味さに一気に飲み干してしまったようで、次の飲み方を楽しみにしているようだ。

 「お気に召していただけたようですね。では、次の飲み方に参りましょう」 流民はオールドファッションドグラスを取り出す。

  そしてまた氷を取り出し、アイスピックで氷を割り出す。

  しかし、今度は先程とは違い、大きめに割った氷の角を取るようにアイスピックを包丁に持ち替え、氷を叩く。

  少し歪ながら、丸くなった氷を先程用意したグラスにいれ、そこにメジャーで計ったラフロイグを注ぎ入れ、それをバースプーンで少しかき混ぜる。「では次はロックでございます。氷を少しずつ溶かしながら味の変化をお楽しみ下さい」

  お客様はグラスを手に取り、中に入った琥珀色した命の水を少しずつ、舐めるかのように飲む。

  ピキーン、という氷にひびの入る音が、静かにジャズが流れる店内に響く。

  一口、また一口とお客様はウイスキーを味わいながら、その香りと冷ややかな氷のピキピキと溶ける音を堪能しながらウイスキーを飲む。  そして、三杯目を飲み終わり、お客様がほど良く酔い始めた所で流民は次の飲み方の準備を始める。

 「では、お客様。次の飲み方を試して頂きたく思いますが、ご気分はいかがでしょうか? 少し酔いが回って来られたのではないでしょうか?」

  流民はそう言う。すると、食いしん坊ノートは湯飲みに淹れられた温かいお茶をお客様に差し出す。

 「梅昆布茶です。バーで梅昆布茶というのも少しおかしな気もしますが、これが酔い覚ましにはようございます。酔い覚ましにお飲みいただければと思います」

  差し出された梅昆布茶を少しずつ冷ましながら飲むお客様。

 「どうでしょうか? ご気分の方は。よろしければ次の飲み方の説明に移らせて頂きますが……」

  お客様は酔いのさめた顔で流民に次の飲み方の説明を促す。

 「では、次はいよいよストレートで召し上がっていただきます」

  流民はそう言うとテイスティンググラスを食いしん坊ノートから受け取る。

  ワイングラスを小さくしたような形で、先の方が少しすぼんでいる。  これはウイスキーの香りを少しでも味合う為のグラスだ。

 「では、先ほどから飲まれているラフロイグをここでも味わっていただきましょう。今までの飲み方と味わいの違いをお楽しみください」

  食いしん坊ノートはコースターをもう一枚テイスティンググラスの横に置き、そこに冷えたチェイサーを置く。

 「先ずは、テイスティンググラスに鼻を近づけ、その香りをお楽しみください。そして、香りを楽しんだ後、まずは少し口含みます。そして、空気を吸い込みながら舌の上でウイスキーと空気を混ぜるようにしてみてください」   

 お客様は流民の言葉通りに空気とウイスキーを触れさせるように、口の中を転がすようにし、その香りを鼻腔に堪能させる。

  そして、それを飲み込む。

  焼けるようなアルコールを喉に感じ、慌ててチェイサーを口に含む。

  すると、含んだ水とウイスキーの香りと味が口の中で広がる。

  むしろ、今飲んだストレートよりも香りがたつ事にお客様は気が付いたようだ。

 「そうですか、それがお分かりならそのストレートのウイスキーは少し置いて置きましょう。まだ残っていますが、これは後のお楽しみという事で」  流民はテイスティンググラスの上にコースターを乗せ、蓋をする。

 「では、次の飲み方の説明をさせて頂きます。本日は今まで様々な飲み方を試してきましたが、これで一応最後という事になります」

  そういうと流民はまたテイスティンググラスを取り出し、そこにウイスキーを注ぐ。

 「なに? さっきと一緒じゃないかって? いえいえ、これからが本番です」

  そう言うと、流民はバーコートのポケットからまたコースターを取り出し、お客様の目の前に置く。

  そして、その上に今ウイスキーを注いだばかりのテイスティンググラスを差し出す。

 「まだ飲まずにお待ちください」

  流民の言葉の後に、食いしん坊ノートは冷蔵庫には入っていない水の入った瓶を取り出す。

  そしてそれをショットグラスに注ぎ入れ、そこに小さな、そうラーメン屋でラー油を掬う為についているような小さなスプーンをそのショットグラスに差し、それをお客様の前に差し出す。

 「先ほどのストレートの味は覚えていらっしゃいますか?」

  お客様は頷く。

 「そうですか、ではその味を忘れないうちに今から説明する飲み方を試して見て頂けますか」

  そう言うと流民は説明を始める。

 「まず、そのショットグラスに入った水をその小さなスプーンで少し掬ってウイスキーの中に入れてみてください」

  お客様は流民の言うとおりに、そのスプーンですくった水をほんの少しウイスキーの中に注ぐ。

 「では、水とウイスキーが混ざるように少し廻してからお飲みください」  お客様は流民の言うようにして、一口ウイスキーを口に含む。

  するとどういう事か、先ほどストレートで飲んだ時とまるで感じが変わる。

  まだアルコールの強さは感じるが、少しそれが抑えられ、今まで感じられなかった香りを感じる事が出来るようになっていた。

  お客様の驚いた顔をみた流民と食いしん坊ノートは微笑み、説明を始める。

 「今試して頂いた飲み方は、トワイスアップと言う飲み方です。もともとはブレンデッドウイスキーを作るブレンダ―がしていた飲み方です。この飲み方の肝は常温のウイスキーを常温の水で割る、という事がこの飲み方の基本です。なぜ常温に拘るかといいますと、ウイスキーに限ったわけではありませんが、蒸留酒という物は少し温めた方が香りがたちます、その香りを殺さないために常温であることが大事なのです」

  流民はそこまで説明すると、一息つき、また説明を始める。

 「そして、大事なのは水です。水を淹れる事によってウイスキーの香りは不思議と花開きます」

  真剣な表情で流民の話を聞き続けるお客様。

 「最初は少しずつでしたが、これからはお好みの所まで水を注いでみてください。しかし、入れ過ぎは禁物ですよ! 入れ過ぎると今度は味が薄くなり、香りも飛んでしまいます。少しずつ、少しずつ水を足していってお好みの味を見つけ出してみてください」

  お客様は少し水を淹れては、グラスを回し、それを口に含む。それを何度も繰り返し、ようやく自分好みの味を見つけた時にはもうほとんどウイスキーが無くなっていた。

 「おや? もうお飲みになったようですね。では、先ほどから置いて置いたストレートのウイスキーの方の蓋を取って見て、その香りを味わってみてください」

  お客様はさっき流民に言われたように、鼻をテイスティンググラスに近づけ、その香りを味わう。

  すると先ほど感じた香りよりも少し柔らかくなっているように感じた。 

「どうですか? 先ほどと少し香りが変わっていませんか?」

  お客様は頷く。 

 「ウイスキーは時間を置くことによって香りがたつものもあります。それは瓶の封を開けた時から時間が流れるにつれ日々変化していきます。その変化を楽しむのもまたウイスキーの楽しみの一つでしょう」

  その言葉にお客様は大きく頷き納得する。

 「しかし、時間が経てばいい変化ばかりする訳ではありません。ですので私達バーテンダーはなるべく空気に触れる事による変化を無くするようにこのような物で瓶の口に封をするのです」

  流民は半透明な薄いビニールのような物をお客様に見せる。

 「これはパラフィルムという物でして、もともとは医療用に使われているものです。しかし、これ良く伸びて密着性が良いので、瓶の中に空気が入る事を防ぎます」

  お客様は流民の差し出したパラフィルムを受け取り、試しにそれを伸ばす。

 「どうですか? 良く伸びるでしょう? それで、瓶とコルクの僅かの隙間を防ぐのですそれによって、ウイスキーの変化を防ぐのです」

  なるほど、といった表情でお客様は流民の顔を見、またウイスキーを口に含む。

 「お客様。本日はまことにありがとうございました。とりあえずこれでウイスキーの飲み方の殆どを説明させていただくことが出来ました。私の趣味にお付合い頂き、本当にありがとうございます」

  お客様は残ったウイスキーを飲みほし、少し酔い、気持ちよく店を後にされた。

 「本日はご来店いただきありがとうございます。またのおこしを」

そう言って流民と食いしん坊ノートは頭を下げてお客様を見送る。